第二話 エルトランザの花嫁(2)

 デスタンザは銀河連邦域内に食い込むような形に位置する、エルトランザと連邦を結ぶ星である。


 複数の無人星系を経たところで連邦加盟国のスレヴィアと接しており、連邦との交通の要として栄えてきた。今では主星エルトランザを凌いで、領内最大の人口と経済規模を誇っている。


「星中が、眩しい」


 高度百メートル以上の空間を縫うようにして、何本ものパイプ・ウェイが街中を貫いている。その中の一本を走るオートライドの車窓からは、輝きに塗れるデスタンザの地表を一望することが出来た。


 眼下に広がるのは、夜半にも関わらず一面を覆い尽くす光の群れだ。縦横を走る何本もの太い光の流れの隙間を、さらに異なる色合いの光が埋め尽くしている。ガラスルーフ越しに空を見上げれば、地上の輝きに星明かりは打ち消されて、ぼんやりとした夜闇に向かっていくつもの高層建築が天を突く様が目に入った。

 きっとこの街の住人は、夜闇に瞬く満天の星空など見たこともないに違いない。


「ねえ。こんなに明るいと、目がちかちかする」


 隣りの席から反対側の景色を見下ろしていたウールディが、目をしばたたかせながら振り返った。


「こんな大都会に来たの、初めてだよ」


 空を飛ぶかのごとくパイプ・ウェイの中を滑るオートライドには、地上から高層ビルから人工的な明かりが射し込んでいる。角度のついた照明に照らし出されながら微笑むウールディは、見慣れているはずのユタも思わず息を呑むほど美しい。


 出会ったときから変わらない艶やかな黒髪は、背中まで届くほどの長さが保たれている。耳の上から後頭部に向けて細く編み込まれた髪型は、表に出た彼女のすっきりとした輪郭を際立たせていた。普段よりもやや濃いめな化粧が整った目鼻立ちを強調して、今夜のウールディはいつにも増して大人びた雰囲気をまとっている。


「博物院で化粧しても誰も気にしないから、ずっと手抜きしてたけど。たまには気合い入れてみるのも悪くないかもね」


 ユタの視線を頬に受けながら、ウールディが愉快そうに笑う。スタージアにいるときはゆったりとした長衣姿ばかりの彼女は今夜、褐色の両肩もあらわにした紫紺のフォーマルドレスを身にまとっていた。


「これにショールを羽織れば、そんなに変じゃないよね? 博物院じゃこんなの着ないから、よくわかんないのよ」


 変なところなどあるわけがない。既にここに至るまでの道中で、擦れ違いざまに彼女の姿を振り返る人々がどれほどいたことか。


「今日はあくまでお祝いする側だから。悪目立ちしないように気をつけないと」


 良い悪いは関係なく、目立ってしまうのはどうしようもないだろう。それは中等院の頃からの、ウールディの宿命のようなものだ。


「それにしても――」


 さすがに面映ゆくなったのか、ウールディはユタの思考を遮るようにして話題を切り替えた。


「これだけ栄えた星を支配するガーク家って、どれだけ凄いのかしらね。ああ、あれかな。あの大きなタワーみたいなの」


 ふたりが乗るツーシータ―のオートライドは、摩天楼が連なる不夜城の合間をスピードを落とさずにかいくぐっていく。やがてパイプ・ウェイの行き先に現れたのは、遠目からもよく見える巨大な屋敷――いや、塔と呼んだ方が差し支えないような建物だった。数多聳えるどの建物よりも高い、光り輝く街を睥睨するかのような建造物。これこそ代々デスタンザ市政長官を務めるガーク家が住まう邸宅であり、ウールディとユタの目的地であった。



 シャトル発着場と直結するパイプ・ウェイがあるというだけでも、その塔がこの星でどれほど要性な建物なのかわかるというものだ。地上百メートル以上の高さに突き出した、まるでヘリポートのような車寄せに足を下ろせば、自分たち以外にも何十台ものオートライドがひしめいている。巨大な格納庫ハンガーのような形状ながら、隅々まで施された装飾が無機質さを払拭する玄関ホールでは、ロボットが出迎える。上着を受け取ったロボットに案内されてエレベーターに乗り込み、降りた先は広大な展望階であった。


 複雑にカーブしたガラスが壁一面三百六十度を取り囲み、地平線の先までまばゆいばかりの夜景を一望することが出来る。だがそれ以上に圧倒されるのは、その場を埋め尽くす人々の数であった。


 スタージア博物院の展望階も十分な広さを誇るが、ウールディたちが足を踏み出したフロアはそれどころではない。スタージアでいえば、博物院公園中央の一万人収容のステージに匹敵する面積だ。にも関わらずフロアは大勢の着飾った人々で賑わって、とても自由に歩き回るだけの余裕はない。


「あんまり慌てて歩き出すな。ほかの客に気をつけろよ」


 ユタの言うことはもっともだったが、ウールディはこの人混みの中を早々に突っ切りたくて仕方がなかった。


「こんなに思念の密度が高いところ、久しぶりなのよ」

「いつもは周りに居るのも《スタージアン》だから、気を遣わないしな。巡礼研修の連中が来ても、ここまで混み合うことはないし」

「この中でただぼんやり居るだけだと、酔いそう」

「おいおい」


 ウールディの訴えを聞いて、今度はユタが彼女の前に立ち、人混みを選り分けて進んでいく。心持ち見上げるほどの高さにまで追い越されてしまった彼の背中を追いながら、ウールディの脳裏には列席者たちの思念が怒濤のように流れ込んでくる。


(誰だ、あの女)

(あら、綺麗な子)

(あんな子、今まで見たことある?)

(美人だな、一晩お相手願えないかな)

(どうせお高くとまった、嫌な女に違いない)

(こっそりワインでも引っ掛けてやろうかしら)

(顔だけじゃなく、ありゃあいい身体からだしてるぜ)

(男連れかよ。ちぇっ、つまんねえ)


 自分の容姿が人目を引くものであることを、ウールディは嫌というほど理解している。だからといって恵まれていると思ったことは、これまでほとんどなかった。注目を集めるということは、同時に己に向けられる意識が殺到するということである。同じ他人の意識であっても、自身に対するものであるか否かによって、ウールディが認識するかどうかには大きな差があった。


 もっと地味な外見だったらと願ったことは、一度ではない。そうであれば少なくとも、彼女への露骨な意識・感情に苛まされることはなかった。スタージアが居心地が良いのは、《スタージアン》がウールディに対して研究材料としてしか関心を示さない、彼女にとっては心安らぐ環境であった。


「ウールディ、ほら、あそこじゃないか」


 後ろを振り返って、ユタが手を伸ばした。何度も掴んできたはずなのに、掴み返した彼の手からは微かな緊張が伝わってくる。それはユタのウールディに対する異性としての認識によるものだ。


 他人ではない、ユタであればそれも全く不快ではない。むしろ――


「ご来場の皆様、誠に長らくお待たせした!」


 パーティー会場となった展望階に集まった来客に、初老の男性のものと思われる挨拶の言葉が投げかけられた。

 声のする方向と、ユタが指し示した先は同じであった。

 声の主は、当代のガーク家当主デヤン・ガーク。満面の笑顔を浮かべたデヤンは、朗々とした声で眼下に望む面々に向かって語りかける。


「まずはご覧頂こう。我が息子ジョンセン、そしてその妻となるベルタ嬢の入場だ」


 デヤンが指し示した先には、会場の壁際から天井に向かって伸びる、緩やかなカーブを描いた大階段があった。最上段の先にある扉が開いて現れたのは白いフロックコートのような、だが細かい刺繍が施された婚礼衣装に身を包んだ長身の若い男性。そしてその横に立つのは、ウールディもよく知る人物であった。


 純白のドレスに丁寧な装飾が施されたレース地のストールを羽織り、柔らかいベールの下から亜麻色の髪が覗く。耳飾りやネックレス、ブレスレットには煌びやかな宝石がふんだんに奢られた豪奢な衣装をまとうベルタ・マドローゾは、彼女が今夜の主役のひとりであることを物語っている。


 何年かぶりの友人の顔を見て、ウールディの“思念酔い”は吹き飛んだ。晴れの日に着飾った友人の姿に目を細めながら、「ベルタ、結婚おめでとう」という言葉が思わず漏れる。


 ガーク家の令息ジョンセンとマドローゾ家の令嬢ベルタの結婚披露パーティーに招かれて、ウールディとユタはスタージアからデスタンザまで足を伸ばしたのである。

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