第五話 船乗りの夢 従者の覚悟(3)

「ウールディが不在とは思わなかった」


 ウールディが四回生に、ファナとユタが三回生に進級したその年、久方ぶりにファイハ家を訪れたラセンは、厳つい相貌におよそ似合わない落胆の声を上げて、肩を落としていた。


「まさかスタージアへの巡礼研修にぶち当たっちまうとはなあ……」

「そういえば長期休暇の時期だもんね。四回生は巡礼研修で休みが半分潰れるから、嫌でたまんなかったの、よく覚えてるわ」


 ヴァネットが懐かしそうな顔で中等院時代を振り返りながら、目の前のさらに山盛りに積まれたフライドボールを一個摘まんで口の中に放り込む。ベーコン入りの塩胡椒の効いたフライドボールは、ジャランデール人には馴染みの深い家庭の味だ。


「私、タラベルソのよりジャランデールの味つけの方が好きだな」


 ラセンの右隣りに腰掛けるファナがそう言って、ヴァネットに倣うようにフライドボールを頬張る。向かいの席ではユタが早くも三個を平らげて、四個目に取りかかろうとしていた。


「こっちの方がなんか味つけが濃くって、食ったって感じするよな」

「そんなに慌てなくてもまだたくさんあるから。落ち着いて食べなさい」


 ユタの健啖ぶりに苦笑するシャーラの横で、ヴァネットは感心した声を漏らした。


「あんたたちもすっかりジャランデールに馴染んだねえ」

「もう四年になりますからね。ふたりとも中等院の三回生ですし」

「そうか、あれからもうそんなに経つのか」


 つまり大途絶グランダウンから四年経つということだ。シャーラに告げられた年月を思い返して、ラセンの口調にも感慨がこもる。


「そうだよ。あと二年したら、もう仕事にも就けるんだよ」


 ファナの顔は、いかにも何かもの言いたげだ。義理の娘の熱のこもった視線からあえて目を逸らして、ラセンはシャーラに尋ねかけた。


「ウールディは卒業したらどうするんだ。進学か?」

「そうですね。最近は勉強を頑張っているようです。なんでもお友達がジェスター院を目指すそうで、それに刺激されたらしくて」


 さらりと口にされたシャーラの言葉に、ラセンとヴァネットは揃って目を丸くした。


「友達って……」

「中等院の?」


 あまりに大仰な反応を示すふたりを、ファナが軽く睨んだ。


「いくらなんでもそんなに驚くことないでしょ」

「まあ、一応友達って言えるんじゃないか。巡礼研修でも同室らしいし」


 四個目のフライドボールを平らげたユタが、指先についた衣のかすを舐めながら補足する。


「少なくとも俺が見張ってる限りでは、大丈夫なんじゃないかな」

「……見張ってるって、ユタ。お前、中等院で何をやってんだ」


 相変わらず鬱陶しげな前髪の下で、ラセンが訝しげに眉を寄せる。義父の問いに対して、ユタは当然といった顔で答えた。


「だってあいつ、時たま危なっかしいんだよ。友達っていったって、そいつ以外には相変わらず口をきく奴もいないし」

「俺は別に、お前にウールディの護衛を頼んだわけじゃねえぞ」

「俺だって別に、誰に頼まれたわけじゃねーよ。俺が好きでやってるんだ」


 思いがけず反抗的なユタの物言いに、ラセンの顔がむっと渋くなる。一瞬ふたりの間に漂った険悪な雰囲気は、シャーラの朗らかな笑声に打ち消された。


「そうやって喧嘩腰になるところを見ると、本当の親子の喧嘩みたい。ほとんど一緒に暮らしたこともないから気にはしていたんですが、心配ないようですね」

「……この歳で息子の反抗期を体験するとは、勘弁して欲しいぜ、全く」

「いいじゃないですか。娘の方は素直に勉強に励んでいるようですよ。ねえ、ファナ」


 弟の稚気を澄ました顔で眺めていたファナが、突然話を向けられて目をしばたたかせる。そこでようやくラセンは、彼女の顔を真正面から見返した。


「そうなのか、ファナ」

「ま、まあね。去年とかはウールディの友達のお兄さんに、色々と勉強教えてもらったりしてた」

「へえ。ファナもジェスター院とか目指してるの? それともテネヴェ?」

「いや、その、総合学院じゃなくって」


 身を乗り出して興味を示すヴァネットの顔をちらりと見やってから、ファナは少しだけ声を落として、答えた。


「その、宇宙船員の資格試験を受けようと思って……」


 ファナの言葉の語尾は弱々しかったが、その場の全員の耳には十分聞き取ることが出来た。彼女の意向を事前にわきまえているユタとシャーラは、今さら驚かない。ラセンとヴァネットも驚愕こそしなかったが、ふたりの顔に浮かぶ表情はいささか微妙だった。特にラセンは、先ほど以上に渋い顔を見せている。


「あのなあ、ファナ。俺はお前を宇宙船ふねに乗せるつもりは……」

「絶対に試験に受かるから!」


 ラセンの言葉を遮るように叫びながら、ファナは席から勢いよく立ち上がった。


「そうしたら私を、ラセンの宇宙船ふねの研修生として乗せてください。ラセンの手伝いをさせて欲しいの」


 そう一気に捲し立てたファナは、そのまま深々と頭を下げた。


「お願いします」


 肩までに切り揃えられた黒髪が、顔の横を覆うように流れ落ちる。彼女の頭頂部を厳しい目つきで見つめるラセンに比べれば、ヴァネットの表情は今少し柔らかかった。


「ファナに頼むとしたら、通信士・兼・雑用係ってところかなあ」

「おい、ヴァネット」


 渋い顔のまま窘めるラセンに対して、ヴァネットは両手を広げてみせた。


「ここまで頼まれたらもう、仕方ないじゃない。そもそも宇宙船一隻飛ばすのに、本当は三名は必要なところを無理矢理ふたりで回してるんだから。身内で補えるなら悪い話じゃないでしょう」


 ヴァネットの言うことには一理ある。そのことがわかっているだけに、彼もそれ以上異を唱えようとはしない。代わりに残るふたりに目を向ければ、シャーラは常と変わらない穏やかな顔のまま。そしてユタは観念したとも諦めたともつかない表情で、だが真っ直ぐに顔を見返してくる。


 ふたりの顔を何度か見比べてから、しばらく瞼を伏せていたラセンは、やがておもむろに口を開いた。


「ファナ」


 ラセンに呼び掛けられて、ファナはおそるおそる顔を上げた。視線の先では太い両腕を組んだラセンが、大きな目を見開いて彼女の顔を見据えている。


「そこまで言うなら今年の長期休暇で、お前の覚悟を見せてみろ。話はそれからだ」

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