第六話 隔たりを超える者(1)

 思念と思念が、結びつき、絡み合い、互いに意思の疎通を果たす。それも常人には及びもつかない、瞬時に交わされる意識の交換量は膨大な数だ。周囲に飛び交う数多の思念は、めいめい好き勝手な方向を向いて漂っているのではなく、そのどれもが密接に関わり合っている。まるで何百何千という目に見えない糸を張り巡らされた中を歩いているようであった。一歩踏み出す度に、額に、指先に、二の腕に、腰回りに、太股に、足首に、思念と思念を結びつける糸が絡みつく。この星を外から訪れる人々は、その糸に触れる度に自身の中身を少しずつ裸にされて、それまでの生涯で積み上げてきた知識や経験を汲み取られていくのだ。


 だがウールディは、その対象から外れる数少ない存在であった。


「君のように先天的にN2B細胞が欠損している人間には、我々の精神感応力は及ばないんだ。君の曾祖父がそうだったようにね」


 天蓋状の天井の下に浮かぶ、巨大な球形のホログラム映像を背負いながら、ウールディに語りかけるスタージア博物院長ジュアン・フォンは、人好きのする笑みを浮かべてみせた。


 中等院巡礼研修の最終日、通信端末イヤーカフを通じて呼び出されたウールディは、スタージア博物院の院長室を訪れている。入室した瞬間に目に飛び込んできたのは、ひとりで使うには広すぎるドーム状の部屋の中央で、圧倒的な存在感を放つ黒い球体だった。


 ホログラム映像に映し出される天球図の美しさに目を奪われて、その前でたたずむ院長にしばらく気がつかなかったほどだ。


 やや猫背気味の中背に、少々小太りな中年男という特徴以上の特徴が見受けられない、平凡としか言いようのない外観の人物だった。控えめな目鼻立ちがたたえるのは、少々遠慮がちな程度の人畜無害な笑顔。


 だが彼の外観が博物院長という肩書きに比べてどれほど無個性だったとしても、その落差がウールディに与える落胆など、彼女がこのスタージアに降り立ってから驚かされてきたことに比べれば微々たるものであった。


(ようこそ、ウールディ・ファイハ)

(話には聞いていたけど、じかに目にするとまた綺麗な子ね!)

(受講中は今ひとつつまらなさそうな顔をしていたが、講義内容はお気に召さなかったかな)

(昨今の中等院生なんて、真面目に受講する者はほんの一握りよ)

(その代わり自由行動は楽しんでいたように見えたけど……)

(柑橘系のデザートは、ジャランデール人の味覚には相性がいいんだ)

(スムージーをおかわりしすぎて、お腹を壊したベルタのことなら安心して)

(スタージアへの来訪者は全員、我々が各自のN2B細胞に干渉して、すぐに体調が整うようにしているから)

(ああ、でも君みたいな先天性N2B細胞欠損者は例外なんだ。済まない)

(そこはオルタネイトの服用で、なんとか自分で対処してちょうだい)

(直接思念から反応を得られない、このまどろっこしさ! 久々の感覚ね)


 ウールディの脳裏に直接流れ込んでくる、怒濤のような膨大な思念の数々。そのひとつひとつが互いに絡まり合い、ほとんど融け合ってひとつの思念のように降りかかってくることを知覚して、ウールディの口から思わず零れだしたのは「凄い」の一言であった。


「ヒトとヒトの思念が《繋がり》合う集団って、もっとごちゃごちゃしてぶつかり合うものだと思っていたけど、全然そんなことない。それどころかほとんど一体化しながら、その中でひとつひとつがちゃんと感じ取れる」


 この数年ファナとユタの《繋がり》を目の当たりにし続けて、ウールディには《繋がり》合うことへの憧れこそあれ、抵抗感はない。むしろ彼らの考えはわかるのに、こちらの想いを伝えるのには言葉を用いるしかない、双子の《繋がり》に割って入ることが出来ない自分自身に、不満すら抱くことがある。


 目を輝かせながら感想を口にするウールディに、フォンは興味深げに頷いた。


「シャレイド・ラハーンディとはまた異なる感想だ、面白いね。彼は我々のことをひたすら気色悪いと毛嫌いしていたものだが」

「私は曾お爺さまには会ったことないけど、話に聞く限り相当癖のある人だったんでしょう?」

「癖も棘も溢れんばかりだったが、銀河系人類史上でもずば抜けた人物だったことに間違いはないよ。なんだったら今から彼の記憶を思い返してみるから、よく覗いてみるといい。我々は機械に記憶を焼きつけているから、ヒトよりも記憶が摩耗することは少ない」


 フォンがそう告げると同時に、ウールディの脳裏に痩せぎすの、赤銅色の肌色をした黒髪の青年の姿が浮かび上がった。この院長室内の席に腰掛けてベープ管を片手にしていたり、覆い繁る緑の下で黒いコートに身を包んで立ちすくんでいたり、《スタージアン》が記憶するシャレイドの姿は様々だ。


 だがいずれの姿にも共通しているのは、その表情だった。


 端整な顔立ちの口元は皮肉そうに歪められて、長い睫毛の下に覗く黒い瞳には、時折り嘲笑や憎悪が浮かぶ。《スタージアン》に向けられたシャレイド・ラハーンディの感情は、ひいき目に見ても好意的とは言い難い。


 若かりし曾祖父の姿を脳裏から追いやったウールディは、天球図の前にたたずむ博物院長に呆れた顔を見せた。


「どんだけ嫌われてたの、あなたたち」

「彼の場合は状況も状況だったし、やむを得ないところはあったよ。君も、我々の記憶をたどれば追々わかるだろう」

「追々って、研修は今日で最後でしょう。そんな時間ないじゃない」

「そのことなんだがね」


 そう言ってフォンは一歩前に歩み出た。


「今日ここに君を呼んだのはほかでもない。君をスタージアの博物院生として招き入れたいと、そう申し出るためなんだ」


 ウールディは驚かなかった。

 通信端末イヤーカフから呼び出されて、この部屋にたどり着くまでの間、既に《スタージアン》たちの意向は十分すぎるほど彼女に伝わっている。ただ、博物院長という役割を担うフォンの口から発せられるまでは、彼女の方からその件について口にするつもりはなかった。それだけのことだ。


「……私が、あなたたちとは違う、天然の精神感応力者だから?」

「もちろんそれは理由のひとつだ。我々は天然の精神感応力について、まだまだ理解が足りない。N2B細胞を介さない精神感応力とはいかなるものか、その研究の助力を願いたい」


《スタージアン》が彼女を院生として迎え入れようとする、その理由の大雑把なところは既に理解している。ウールディにとっては既知の理由を確認するだけの作業だったが、それでも彼女は言葉に出して確かめようとした。


「今、ちらっと考えてたでしょう。銀河ネットワークもなんか関係あるの?」

「それはどちらかといえば君のお父上、ラージ・ラハーンディの都合だな。我々の思念を探るよりも、直接彼に確認する方が早いだろう」


 含みを持たせた答えだが、つまるところは父ラージも、ウールディが博物院生となる可能性を容認しているということだ。


「最終的な判断は君に委ねられている。だがあえて言うなら、ラージ・ラハーンディは君がスタージアに常駐することを望んでいるよ」


 容認どころか希望するという父の真意まで、ウールディには推し量ることは出来ない。ラージが自治領総督である以上は十中八九政治的な理由に基づくのだろうが、たかだか中等院四回生に過ぎないウールディにはまだ、政治そのものがよくわからない。


 ただひとつだけ、彼女にもはっきりしていることがある。彼女はN2B細胞に由来する《スタージアン》の精神感応力を受けつけない。即ち《スタージアン》になることはできないのだ。


「個人的には《スタージアン》の有り様には興味をそそられるの。でも非《スタージアン》の博物院生なんて、あなたたちはそれでもいいの?」


 ウールディの問いに、フォンはこともなげに首肯する。


「構わないよ。博物院生は全員が《スタージアン》でなければならないとか、そんなことには拘らない。ただ前例がないだけだ」

「じゃあよその星系へ自由に出掛けてもいい? 確か博物院生は、スタージアから外に出ることは禁止されているんでしょう」

「その言い方には語弊があるね。対象となるのは博物院生ではなく、《スタージアン》だ」


 院生の回答の誤りを指摘する導師のごとく、フォンはウールディの言葉に訂正を入れた。


「そしてスタージア星系から飛び出すことを禁じられているのではない、《スタージアン》にはそれが不可能というだけだよ。そういった意味では、《スタージアン》になりえない君には関係の無い話だ。自由に移動してくれて構わないよ」


 彼女が博物院生となることにはなんの障害もないことを証明しきって、満足げな表情を満面に浮かべたフォンの視線の先で、だがウールディは形の良い眉をわずかにひそめていた。


「《スタージアン》には不可能って、どういうこと……」


 訝しげな黒い瞳が、フォンの細く小さな目を射貫き、その向こうの天球図も通り越して、《スタージアン》の思念を読み解いていく。やがて知り得た真実は、ウールディに少なからぬ衝撃を与えた。


「《繋がり》を無理矢理断ち切ろうとすれば死んじゃうって、何よそれ」

「正確には《繋がって》いた期間と同じだけの時間を費やせば、《繋がり》を解くことは可能だ。ただそれを実施したヒトは、今ではもうほとんどいない」

「《繋がり》がカバー出来るのは、ほぼ一星系。だから《スタージアン》はスタージアから出て行くことが出来ないのね……」


 N2B細胞に由来する精神感応力の、思いもよらない限界を知らされて、ウールディの顔は徐々に険しくなっていった。


 思いがけないのはフォンも同様だろう。博物院長はウールディの変化に軽く目を見開いたが、すぐにまた落ち着いた声で尋ねる。


「わざわざ吹聴して回ることでもないので、こちらから言及することはなかったんだ。君の父や兄たちも、おそらく知らないだろう。だから初めて知って当然なんだが……ウールディ・ファイハ、何か気にかかることでもあるかな」


 細い指先をそろそろと口元に当てるウールディの仕草からは、精神感応力に頼らずとも動揺の気配が見て取れる。


「君自身のことではないね。誰か、心配する相手でもいるのかな」

「……私の、妹と弟がいるの。双子の。正しくは姪と甥だけど」

「ああ、そういえば以前にラセンが来たときに、彼が養子を迎えたということを知ったよ。直接教えてはくれなかったけど、彼の頭の中を少し覗かせてもらった」


 フォンは形だけでも申し訳なさそうな素振りを見せつつ、双子について彼らが知りうる情報を口にした。


「ファナ・カザールにユタ・カザール。タラベルソの養護施設出身で、君のひとつ年下。どうやら双生児性精神感応力者だそうだね」

「ファナもユタも、ふたりともN2B細胞保有者ノーマルなの」


 天球図に注がれていた視線をいつの間にか足元にまで落として、ウールディの顔は深刻そのものだった。フォンが首を傾げたのは、何がウールディをそこまで悩ませるのかという点といまひとつ、たった今彼女が口にした台詞にある。


「てっきりふたりとも、君と同じ先天性N2B細胞欠損かと思っていたのだが、そうではないと」

「間違いないわ。初等院に編入するときのメディカルチェックで、そう診断されてた」

「母胎にいる間に何らかの原因で、胎児のN2B細胞が持つ精神感応力が目覚めることは有り得るだろう。だがその場合、精神感応力は全方位に発揮されるはずだ。例えば大途絶グランダウン、あれは突発的に覚醒したN2B細胞由来の精神感応力が、無差別にヒトやモノと《繋がろう》とした結果生じた事故かもしれない。その可能性は十分にある、と我々は踏んでいる」


 フォンが解説した双生児性精神感応発生の原因は適切なものだったが、ウールディにとってはいささか的外れでしかなかった。


「そんなことはどうでもいいの。私が聞きたいのはそういうことじゃない」


 思い詰めるあまりこめかみをひくつかせて、ウールディが懸念することといえばただひとつであった。


「ファナとユタの、どちらか片方が別の星系に飛び出したりしたら、ふたりはどうなっちゃうの?」

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