第五話 船乗りの夢 従者の覚悟(2)

 ウールディが怪我を負ったことに最も責任を感じているのは、ユタであった。


「ウールディが気絶しちゃって、みんな相当慌てたのよ。ユタなんかベルタのお兄さんに散々殴りかかってたし」


 資料館でのその後の出来事をファナから聞き出したところによれば、誤ってウールディを殴りつけてしまったことに、リオーレも相当青い顔をしていたらしい。だがユタに殴りかかられながら、最初にウールディを抱えて医務室に向かったのも、リオーレだったという。


 自宅でシャーラお手製の柑橘茶を口にしながら、ファナは身振り手振りを交えながら事細かに説明する。


「何回も謝りながら、頭を揺らさないようにってこう、抱きかかえる感じでね。それを見てユタも殴るのをやめたの」


 姉が語る間、ユタは食卓の上に片肘をついた右手に顎を乗せたまま、一言も口を挟もうとはしなかった。


 黙りこくった彼の思念から漏れ伝わってくるのは様々な悔恨と、そして贖罪の意識である。リオーレが殴りかかってくることに気がつかなかったこと、ウールディが彼の代わりに殴りつけられたこと、そして昏倒するウールディを介抱することに思い至らなかったこと――


「まあ、あんたが同じことしようとしても、多分無理だったけどね」


 ファナの言う通り、ウールディを両腕に抱きかかえて運ぶことは、ユタの体格的に不可能だっただろう。軽々とは言わないにせよ、長身のリオーレがウールディを抱える様を見て、ユタの胸中に複雑な想いが渦巻いたのは間違いなかった。


 鬱屈した彼の気持ちを、ウールディは慮らざるを得ない。


「そんなに気にしないでよ、ユタ。大したことなかったんだし。ベルタもリオーレも、あの後また謝りに来てくれたでしょう」

「……別にあのふたりについてはもう、どうこうはねーよ」


 少々ふて腐れたような顔と声で答えるユタは、どう見ても気にしていないようには思えなかった。


「ただ、もうあんな思いをすんのは嫌だ」

「私もちょっと考え無しだったわ。心配かけてごめん」

「違うよ、そうじゃなくって」


 ユタは自身の不甲斐なさに苛立っているのだ。ウールディには百も承知だったが、それを彼女自身の口から指摘するのは躊躇われた。だからといって慰めるのもまた適切ではないように思える。彼の心情は手に取るようにわかっているのに、かけるべき言葉が浮かばない、それがウールディにはもどかしい。


 相手の考えはそのままに読み取れるのに、自分の思考を伝えるには言葉や身振りを交えなければならない。自分ばかり手間をかけなくてはならない、ウールディにしてみれば理不尽ですらある。だがそれは彼女自身の中で伝えるべき思いが定まらない、ということでもあった。


「とりあえずウールディの背を抜いてから悩むのね」

「うるせえな。もうほとんど変わらないだろ」


 気まずい沈黙を打ち破るかのようなファナの揶揄に、ユタが不満そうに睨み返した。

 このふたりの間には、ウールディが感じるような口に出来ない想いなど存在しないのだ。彼らにとっては当たり前の関係性を見せつけられて、自分はその間には入り込めないのだということをウールディは痛感する。


 資料館の騒動以来、中等院での休憩時間にウールディの様子を見に来る役目を、ユタは欠かさないようになった。ファナが一緒の場合ももちろんあったが、ファナがひとりきりということはほとんど無くなった。


「あんなに健気なところ見せつけられると、さすがに責任感じるわ」


 ユタが自分の教室へと戻ったところへ、入れ違いにウールディの席の前に立ったベルタが、申し訳なさそうな口調で言う。


 あの日以来ベルタは、教室でもウールディと口をきくようになっていた。周囲の級友たちは驚いた顔を見せたが、彼女自身はまるで気にする素振りはない。


「あれって私たちのせいでしょう。もしかしてまだ彼、私とかリオーレのこと、恨んでる?」


 ユタが前にも増して目を光らせるようになったということに、ベルタもまた当然気がついている。同時にまた彼女も、頻繁に視界に入るユタの顔を見る度にうんざりしていた。


「そういうわけじゃないの。どっちかっていうと、私がまた危なっかしい真似しないか見張ってるって感じ」


 肩をすくめるウールディを、ベルタはなるほどといった顔つきで見返した。


「あなたのこと、心配でしょうがないってことか。そう考えると可愛いわね」

「大袈裟なのよ。年下のくせして生意気なんだから」

「しかし同じ双子でもえらい違いだよね。あなたの妹分の方、ファナだっけ? 彼女なんか最近、放課後はしょっちゅうリオーレと一緒だってよ」

「うん」


 ファナがここのところリオーレにつきまとっていることは、ウールディもユタも知っている。それはリオーレに対してファナが好意を寄せているから、というわけでは無論ない。むしろもっと打算的な理由に基づくものであった。


「リオーレは巡礼研修から帰ったばかりでしょう。試験直前で本腰入れなきゃいけない時期だろうに、ファナの勉強なんか見てていいの?」

「あの子に教えることでちょうどいい復習になるからって言ってたから、いいんじゃない。それで喜んでもらえるなら、私たちも多少は気が楽になるわ」


 ベルタとリオーレのマドローゾ家は、ジャランデールでもそれなりの規模を誇る運輸関係の企業のオーナー一族に名を連ねている。いずれリオーレはその経営に参画することになるのだろうが、まずは現場を知るために宇宙船に乗る資格を取ることを義務づけられているのだという。四回生の彼は、今年の資格試験に臨む身なのだ。


 そのことを知ったファナは、リオーレに個人教師を頼み込んだのである。


「私が言うのもなんだけど、あんな目に遭わせた相手に勉強を教えてもらうって、なかなか肝が据わってるよね」


 ファナの宇宙船ふな乗りになる夢は、あんな騒動を経た後も一向に萎む気配はない。むしろやるべきことの詳細がつまびらかになるに連れて、もはや夢と呼ぶよりも将来の具体的な目標として固まりつつある。


「ああ見えてファナもユタも、結構苦労してるから。ふたりとも私なんかより、よっぽど逞しいわ」

「貿易商人のお父さんの後を継ぎたいんだって? 弟とはまたちょっと違うけど、健気って点ではやっぱり同じ双子ってことかしら」


 ファナが養父に抱く感情が、果たしてベルタの言うような単純なものなのかどうかは怪しかったが、そこはわざわざ口にすべきことではなかった。曖昧な表情で頷きながら、ウールディが口にしたのは別のことだった。


「ファナを見てると、随分先のことまで考えてるんだなってちょっと焦るわ。中等院を出たらどうするかなんて私、まだなんにも考えてないや」


 年下のファナに追い越されていくような感覚に襲われて、ウールディは小さくため息をついた。ラセンに執着するファナのことを子供に見ていたはずが、いつの間にか自分の方がよほど子供に思えてくる。


「進学するんじゃないの? あなた、成績は悪くなかったでしょう」

「そのつもりだけど……何をやりたいかとかまだ、そんなの考えたことないし」

「私はジェスター院に進むつもりよ。なんだったらウールディ、あなたも一緒に来なさいよ」


 思いがけない誘いの言葉に、それまで俯き加減だったウールディは思わず顔を上げた。


「一緒に? ジェスター院へ?」

「そうよ。あなたも一緒なら、ジェスター院でも素敵な男性を見つけるのに苦労しなさそうだし」


 偽悪めいたベルタの言葉は、半分は文字通りだったが、残り半分は彼女なりの好意――というよりも好奇心から出ている。ウールディと共に過ごすことで充実した院生活を送れるだろうという、友情と呼ぶには多分に利己的だったが、少なくとも負の感情に基づくものではなかった。


「あなたの恋人鑑定のためにジェスター院を目指すの? いくらなんでも割に合わないわ」


 ウールディは精一杯の呆れ顔で答えながら、ベルタと共にジェスター院で学ぶ未来が頭の片隅に思い浮かんだのも、また事実であった。

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