第二話 読心者(2)

「読心者の裏を掻くのは痛快だね。ほら、このままだと僕の勝ちだよ」


 口惜しそうにホログラム映像を睨みつけるウールディを見て、ルスランの口元が優しげに綻ぶ。


 鬱屈とした日々を送るという“妹”が、束の間でも表情豊かな顔を見せていることを喜んでいる――立方棋クビカの盤面に目を凝らしながら、同時にルスランの心配が脳裏に流れ込んできて、ウールディは申し訳ないような、情けないような気分だった。


 中等院での出来事は確かにショックだったが、同時に自分がどれほど迂闊であったかも痛感した。心を読むということが、読まれる側にとってどれほどの不安を駆り立てるものか、ウールディはよくわかっていなかった。


 母からも、村の大人たちからも、ラセンやルスランからも重ねて注意されていたことだったが、いざ体感するまでは実感出来なかった。母からの注意はいつも「でもこればかりは、一度体験してみないとわからないことだからねえ」という言葉で締めくくっていたものだ。それは母自身が経た苦い経験に基づく言葉だったのだろう。


 一生村で暮らすのなら、あるいはこれ以上苦しまなくても良いかもしれない。だが彼女の血筋はそれを許さなかった。村を出て、いずれはこの星も出て宇宙に飛び出すべきであると、幼い頃から言い含められている。それは大人たちの事情によるものではあったが、ウールディ自身もまた村の外を見てみたいという、人並みの好奇心は備えている。


 立方棋クビカの駒のひとつひとつを見比べながら、ウールディは傍らにそっと手を伸ばした。彼女が腰掛ける籐椅子の横にはいつの間にか愛犬のレイハネが、どこか主人を心配するように首をもたげながら寄り添っていた。毛むくじゃらの頭を何度も撫でる内に、レイハネが彼女を労る暖かい感情が伝わってくる。


 人間だけではない、動物たちにも様々な感情が存在することを、ウールディは幼い頃から誰よりもよく知っている。


「相変わらず、レイハネはウールディの面倒見がいいな」


 ルスランにそう言われて、レイハネはふさふさの尻尾を小さくぱたぱたと振った。


 ウールディとほとんど変わらないほどの大きな身体からだを横たえるレイハネは、既に齢十五を超える老境にある。彼女が生まれたときから側にいるこの雌の老犬は、彼女にとって誰よりも心を許せる友人だ。


 ――レイハネみたいに、なんて贅沢は言わない。ラセンやルスランみたいに普通に、対等につきあえる友人が、せめてひとりでもいれば――


 その機会を早々にぶち壊してしまったのだと思い返して、ウールディの表情がどんよりと暗くなる。立方棋クビカの前で頭を捻っているふりをしながら、徐々に面を俯かせていたウールディは、だが突然目を大きく見開いて、面を上げた。


「ウールディ?」


 ルスランに驚いた顔で見返されながら、ウールディは籐椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がった。そのまま呆気にとられるルスランに目もくれず、その場から駆け出して全速力で邸内へと飛び込む。その後を老犬が尻尾を振りながらゆっくりと追いかける。


 居間を横切り、長い廊下を駆け抜けて、玄関ホールにたどり着いたウールディの黒い瞳に、馴染みのある大きな人影が映り込んだ。


「ラセン!」


 その名を叫ぶように口にしながら、ウールディは身を屈めて両手を広げる巨漢に飛びついた。


「よう、ウールディ。遅くなって済まなかったな」

「大遅刻だよ! もう、お母さんのご馳走も全部食べちゃったんだから」

「そいつはしまったな。現像機プリンター製の飯ばかりだったから、シャーラの手料理を楽しみにしてたのに」


 太い首に手を回したままのウールディを片手で抱えながら、ラセンが笑顔で応じた。強面のラセンしか見たことのない人には、彼が相好を崩すと思いがけず優しい表情になるということに驚くだろう。


 ふたりがひとしきり再会を喜んだのを見計らうかのように、ラセンの陰からひょいと顔が覗く。ラセンと同年配と覚しき、耳元が隠れるほどの長さの赤茶けたソバージュヘアの女性もまた、ウールディにはここ数年で慣れ親しんだ顔だった。


「ヴァネット、いらっしゃい!」


 満面の笑みで歓迎されて、ヴァネットは小さく手を振りながら笑顔を見せた。


「遅くなっちゃってごめんね、ウールディ。あんたのお兄ちゃんがまたやらかしてくれて、道中大変だったんだ」

「仕方ねえだろう。だいたい、ってなんだ」


 口を曲げて反論するラセンを、ヴァネットが心底呆れたという表情で見返す。


「ちょっと勘弁してよ。今まであんたがやらかしたことを全部吐けって言われたら、一晩かけても足りないよ」

「“兄さん”、あんたはどれだけ彼女に助けてもらっているか、もう少し自覚した方がいい。ヴァネットはいつもお守り役で、お疲れ様だ」


 ふたりの会話に割って入ったのは、レイハネと共に玄関ホールに現れたルスランだった。尻尾を振る老犬に巨体を押しつけられながら、ラセンはへっと一息吐き出して厚い唇の端を歪める。


「総督府でデスクに齧りついてるだけのお前には言われたくねえな」


 前髪の奥からラセンが大きな黒い目で睨みつけても、ルスランは涼しい顔を崩さない。


「何はともあれ無事にたどり着けて、良かったじゃないか。父さんにまで泣きついたみたいだから、余程のことがあったんだろう」

「言い方にいちいち棘があるんだよ、お前は」


 そう言ってふたりが視線を正面からぶつけ合っても、傍らのヴァネットには慌てる気配もない。顔を突き合わせる度の定番のやり取りを前にして、小さく肩をすくめるだけだ。彼らの内心を読み切っているウールディに至っては、相変わらずラセンの首にしがみついたまま降りようともしない。


 剣呑に振る舞うふたりをよそに、彼女の関心事は別にあった。ウールディの大きな黒い瞳は、玄関の扉の陰に向けられている。


「ねえ、ラセン。大変だったのってもしかして、あそこにいる“もう”と関係あるの?」


 ウールディの質問に、ラセンとヴァネットが顔を見合わせる。

 ヴァネットはウールディの言葉を確かめるように「?」と聞き返し、ラセンが「やっぱりそうだったか」と確信するかのように唸った。ふたりの反応にウールディは戸惑い顔を見せ、ルスランが何かを察したかのようにラセンに尋ねる。


「誰か連れてきているのか、ラセン?」


 するとラセンはその問いに答える代わりに、扉の陰に向かって大きな声で呼び掛けた。


とも、入ってこい!」


 ラセンの大声が響き渡る玄関ホールに、そろりといったていで入ってきたのは、ウールディとほぼ同い年と思われる少年少女のふたりであった。


 黒い髪の毛の長さが違うとか、ニット帽を被っているかいないかの違いはあるが、共に思春期に差し掛かるかかからないほどの年齢の、一見しただけでも双子だということがわかる、姿形のよく似た少女と少年。立派な屋敷に連れてこられて、場違いに思える場所にいることに気が引けているところまでそっくりだ。


「あれ?」


 ようやくラセンの首から手を離して床に降り立ったウールディは、ふたりの姿を見て首を傾げた。


「おかしいな、ひとりだと思ったのに。というよりも……」


 凝らすように目を細めて、ウールディはふたりの顔をまじまじと見つめ直す。何度も目を擦ってからやがて口にした言葉からは、隠しきれない困惑が滲み出していた。


「あなたたちふたりとも、なんか《繋がって》いるみたい。どういうこと?」


 そう言われて、今度は少年少女がそろって顔を見合わせる。その様子を眺めていた大人たちの中で、最初にため息混じりに口を開いたのはルスランだった。


「彼らはいったいなんだ? それに《繋がって》いるって?」


 当然の疑問に対して、ヴァネットがまるで耳打ちするような仕草でそっと答えた。


「あのね、ルスラン。多分なんだけど、このふたりはってやつだよ」

「双生児性精神感応?」


 聞き慣れない言葉を耳にして、ルスランが呟くように反芻する。

 そしてラセンは依然としておっかなびっくりな少年少女の後ろに回ると、その大きな両手をふたりの頭の上にぽんと置いた。


「ウールディ、こいつらはファナにユタ。俺からの誕生祝いだ。仲良くしてやってくれ」

「よ、よろしく……」

「よろしく、お願い、します」


 ラセンの手にぐいぐいと頭を押し下げられながら、ふたりが慣れない挨拶を絞り出すようにして口にする。対するウールディはぎこちないことこの上ない双子を前にして、誕生祝いと言われても素直に頷くわけにもいかず、一層戸惑うばかりであった。


 それがウールディとファナ、ユタとの、初めての出会いであった。

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