第二話 読心者(1)

(あの子、なんだか怖い)

(気味悪いよな。なんでもわかってますって顔して)

(あいつの母親、総督様のお妾さんなんだろう?)

(あの子のこと苛めてた男の子、一家揃って捕まっちゃったらしいよ)

(綺麗だけどさあ、なんか色々と近寄りがたいよな)


 邪推、冷笑、畏怖、その他諸々の負の感情――その中には明らかに事実とは異なる、面白半分の噂も混じっていたが――に晒され続けて、ウールディが進学したばかりの中等院への通学を拒むようになっても、母は責めなかった。


(みんな、どうしてあんな酷いこと考えるの? 私は普通にしているだけなのに)


 彼女の心の叫びに対して、母は悲しそうに頷きながら答えた。


(心を読めない人たちは、私たちみたいな読心者のことを、得てして遠巻きにしてしまうものなのよ)

(だって、村の人たちはみんな、そんなことなかったよ)


 ウールディが生まれ育ったのは銀河連邦トゥーラン自治領構成国のひとつ、惑星ジャランデールの中でもとりわけ奥深い、自然に包み込まれた山村である。


 母は若い頃から村一番の美しさを謳われ、また読心者としても一流であった。ウールディはそんな母の血を外面から内面まで色濃く継いでいる。長ずれば母以上の美貌の読心者になるだろう、そう言い聞かされて彼女は育ってきた。

 村の人々はウールディ母子が読心者であることを、全く気にもかけなかった。ここは元来読心者の多い一族が安住の地を求めて、外縁星系コーストのジャランデールまで流れ着いた末に出来た村なのだ。彼女たち母子のような存在は珍しくない。


 それにウールディと分け隔てがなく接するのは、村人たちだけではなかった。

 生まれたときから共にいる愛犬のレイハネは、彼女にとって一番の友人であり、理解者である。同年代の子供のいない村の中で、ウールディは常にレイハネと一緒に過ごしてきた。

 そして月に一度ほど顔を見せる“兄”のラセンやルスランも、彼女に接する態度はごく自然だった。たまにコミュニケーションが噛み合わないことはあるけれど、それだっていつも笑い話で済ませられたものだ。


 だがウールディが中等院へ進学する歳になって、母やレイハネと共にジャランデールの中心街区へ移り住んでから、そんな状況は一変してしまった。


 風景が横長から縦長に変わったとか、空気の匂いが違うとか、食べ物や水の味が違うとか、ストレスが堪る要因は色々とあった。転居先として用意されたのは、都会といってもやや郊外の、十分な敷地が確保された広大な屋敷だったが、それまで暮らしてきたこぢんまりとした家屋との違いに戸惑ったのもある。


 しかしそれ以上にウールディの心を苛んだのは、都市の住人たちの読心者に対する態度であった。


 転居したばかりの頃、村では同年代に恵まれなかったウールディは、中等院で同い年の友人に出会えることを楽しみにしていた。そんな彼女に対して母は、読心者であることを極力悟られないよう、何度も言い聞かせたものだった。


(都会にはたくさんの人がいるけれど、読心者はとても少ないの。読心者という存在を知らない人も多い。そんな人たちがいきなり心を読まれたらびっくりしてしまうわ。くれぐれも読心者であることは隠し通すようにしなさい)


 ウールディは、ただでさえ際立った容姿の持ち主だった。


 溌剌とした生命力が匂い立つような張りのある褐色の肌。彫りの深い整った顔立ちには、大きな黒い瞳が黒曜石の如き輝きを放つ。そして瞳同様に美しく長い黒髪を頭の後ろでひとつに束ねて、すらりとした小鹿のような肢体で院内を闊歩する彼女は、入学当初から人目を引く存在だった。彼女の一挙手一投足が注目されやすく、それだけに彼女が読心者であることが露呈する可能性が高いことを、母はわかっていたのだろう。

 ウールディとて母の言いつけを忘れたわけではない。中等院に入学して最初の一ヶ月は、彼女なりに注意して振る舞っていた。村とは異なる同級生や導師たちの、目に見える言動と内心の乖離に戸惑いつつも、やがて友人と言える存在も出来たのだ。


 だがウールディが読心者であることに最初に気がついたのも、その友人であった。


 ウールディはよく気遣いの出来る子であった。というよりも出来過ぎた。

 友人が忘れ物をすれば真っ先に貸し出したし、友人の喉が渇けば絶妙のタイミングでドリンクを用意した。帰り道に寄り道する先は、いつも友人の希望する場所だった。

 友人が勝手気ままにウールディを振り回していたわけではない。友人が口にするよりも先に、全てウールディが先回りしてしまうのである。

 初めて同年代の友人が出来たことに、彼女が浮かれてしまったのは無理からぬことだったかもしれない。だがそのせいで友人の思念の奥底に疑いが生じつつあることを、つい見逃してしまっていた。


「あなた、私の心が読めるの?」


 そう尋ねる友人の思念に疑心と、それと同じぐらいの恐怖が浮かんでいることにウールディが気づいたときには、もう遅かった。


 ウールディが読心者であることが暴かれた途端、彼女の周囲から友人たちの姿は消えた。やがて遠巻きから向けられる思念が悪意や怖れに満ちたものになるまで、それほどの時間はかからなかった。


 いつしか中等院への足が遠のくようになったウールディは今、屋敷の中でレイハネと戯れるばかりの日々を過ごしている。そんな彼女にとって数少ない楽しみが、月に一回ほどの“兄”たちの訪問であった。


「ねえ、ルスラン。ラセンとヴァネットは、もしかして来れないのかなあ」


 円卓の上に浮かび上がった立方体のホログラム映像を前にして、そう尋ねるウールディの顔はいかにも不満げであった。


 穏やかに降り注ぐ午後の日差しが、丁寧に刈り揃えられた芝生の緑を引き立てる。広大な敷地をとり囲む白い壁に隔てられて、外界の喧噪から切り離された屋敷の中庭に面したテラスで、ウールディはルスランと立方棋クビカの対局中であった。


「心配しなくていい。ふたりとも、ちょっと遅れているだけだよ」


 格子体ブロックに区切られた立方体の中に布陣する赤と青の駒の群れを覗き込んで、ルスランは水色の瞳を細めながらそう答えた。


 ややウェーブのかかった金髪に、白磁のような瓜実顔。中背ながら均整の取れた体格。ウールディとは似ても似つかないルスランは、間違いなく彼女が幼少の頃から慣れ親しんできた“兄”である。


 同じ家で暮らしたことこそないが、村にいた頃も、そして都会に移り住んだ今もこうして、定期的にウールディを訪ねてくれる大事な家族だ。成人してからの彼は、その都度プレゼントの持参も欠かさない。今、ふたりの間に鎮座するホログラム投影盤がセットされた円卓も、今回の訪問でルスランからウールディに贈られたものだった。


「前から欲しがってたよね。せっかくの誕生祝いだから、ちょっと奮発してみたよ」


 彼の言う通り、今日はウールディの十二歳の誕生日であった。だからこそ既に仕事に就いて多忙なはずのルスランが、こうして今日顔を出している。彼がなんとかスケジュールをやりくりして、この日にわざわざ休暇を取ってくれたことは喜ぶべきなのだ。


 だがウールディの顔はどうにも晴れなかった。ラセンの不在に機嫌を損ねているわけではない。むしろ心配という方が正しい。


「タラベルソと連絡が取れないって、どういうこと?」


 ウールディが思わず口にした問いに、ルスランは軽く目を見開いて、すぐに苦笑を浮かべた。自分の脳裏を掠めた思考が、彼女を不安がらせてしまったことに思い至ったのだ。


「しまったな。なるべく考えないようにしていたのに」

「ねえ、ラセンはサカに行くって言ってたよね。サカに行くにはタラベルソを通らなきゃいけないんでしょう。もしかして、タラベルソでなんかあったの?」


 何かあったということは、ウールディには実はわかっている。だがルスランの思考を読み取れるということと、それを理解をするということはまた別であった。ウールディがルスランの思考を理解するには、まだまだ知識も経験も不足している。


「タラベルソとの連絡船通信が途絶えたのは、一ヶ月以上前だ」


 観念したという表情で、ルスランはウールディに事情を説明した。


「連絡船通信以外にも、タラベルソに向かった宇宙船がことごとく帰ってこない。おかしいってことでタラベルソ代表の評議会議員も調査に向かったんだけど、これも行ったきり音沙汰がない。今もって原因不明だ」

「そんな大変なことになってたの? 知らなかった……」

「報道も肝心なところは伏せているからね。僕が知っているのは、父さんの下で働いているからだ。だからウールディも他言無用だよ」


 少しだけ真剣な表情になったルスランが、唇に人差し指を当てる。つられて真剣な顔で頷きながら、ウールディは重大なことに思い当たった。


「じゃあ、やっぱりラセンも!」

「いや、大丈夫。ラセンはなんとか逃げ出せたって。ただ、なんか途中で足止めを食らっているらしい。僕のところに届いた連絡船通信では、絶対に今日までに戻るって息巻いてたけどね」

「足止めって、なんで?」

「それは僕もわからない。珍しく父さん宛の連絡船通信もあったから、もしかしたら父さんは知っているかもしれないが」


 そう言って首を捻りながら、ルスランは立方体に向かっておもむろに人差し指を向けた。彼の指の繊細な動きに合わせて、立方体の中の青い駒が右斜め下に向かって音もなく動き出す。青い駒が動きを止めると、同時に周囲の赤い駒の一群がぱっと消し飛んだ。


「ああ、話の最中に指すなんてひどい!」


 立方体の中の形勢が一気に不利になったのを見て、ウールディが悲鳴を上げる。その顔を見て、ルスランは愉快そうな笑顔を浮かべた。


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