第三話 欲張りなジューン(1)
「宇宙ステーションは、ちょうどあのバルコニーの向こうに見えるわ」
すっかり暗くなった窓の向こうへと視線を向けて、ジューンが説明する。彼女の視線につられて、カーロもまた星明かりが灯り始めた外の景色に目を向けた。室内の明かりがガラスに反射してはっきりとは見えないが、夜空と海の境界も溶け込んで曖昧な黒い闇が、バルコニーの先に広がっている様が窺える。
「今頃宇宙ステーションの周りは、開拓団の船が取り囲んでいるかな」
開拓団の宇宙船十二隻は宇宙ステーションの周囲に停泊し、今まさに多くの荷物が搬入されているはずだ。カーロも来週には静止衛星軌道まで昇って、作業の監督のために宇宙船に乗り込まなければならない。
しばらく無言で窓越しに夜景を見つめいたジューンは、やがて思い出したようにぽつりと口にした。
「中等院を卒業後、ミゼールとスヴィは惑星調査員の訓練課程に進んだの」
そう言うとジューンは、たった今飲み干したばかりのカップをソーサーの上に戻した。陶磁器が互いにぶつかり合う澄み渡った音が、室内に微かに響き渡る。カーロの目の前のカップも既にほとんど空になっていた。
彼女が
「お茶ばかりじゃ、お腹が空くわね。何か食べる? 簡単なものならすぐ用意出来るわよ」
実際、カーロにとってジューンは半分母親のようなものだ。彼が成人するまでの間――いやこうして独り立ちした今でも、彼女には頭が上がらない。
ただの後見人などとは口が裂けても言えないほどの恩義があるジューン自身のことを、だがカーロは未だ多く知らされていない。
「ジューンは?」
腹を満たすよりも先に、カーロは脳裏に浮かんだ疑問を口にした。
「私はどうしようかしらね。フライドボールはそろそろ胃にもたれるから、少しさっぱりしたものを……」
「そうじゃないよ。ジューンも宇宙を目指していたんだろう。父さんと母さんと、一緒の道に進まなかったのかい」
わざとらしく惚ける彼女に付き合うつもりはなかった。単刀直入な質問に、ジューンは黒いカーディガンを羽織った肩を小さくすくめて、「もうちょっと遠回しに尋ねてくれてもいいんじゃない」と呟く。
「私は不合格だったの。筆記は問題なかったんだけど、体力測定でね」
「ミゼールにもスヴィにも鍛えてもらったんだけど、駄目だったのよ。私以上に、ふたりの方が余程落ち込んでいたわ」
「そうだったのか。知らなかった……」
「そんなときに声を掛けてくれたのが、キンクァイナ師だった」
ジューンがそう告げると同時に、
「ベーコンとほうれん草と、茸のキッシュにしたわ。あなたも好きだったでしょう?」
そう言ってジューンは小皿の上に一切れを取り分けると、そのままカーロの前に差し出した。
「僕がっていうより、母さんの好物だな。何かあればいつもこればっかり作ってた」
カーロは受け取った皿の上のキッシュの切れ端を眺めてから、おもむろに素手で摘まみ上げて齧りつく。しっとりとした卵の味わいと茸の歯触りが懐かしい。幼い頃は嫌いだったほうれん草だけ選り分けようとして、よく怒られたものだ。
「今はもう、ほうれん草も食べられるのね」
微笑みながらそう語りかけるジューンに向かって、カーロはキッシュを頬張りながら文句を言う。
「ジューン、僕の意識を読み取るのはまだしも、それに向かって返事するのは禁止だったろう」
「ああ、ごめんなさい。あなた相手だとつい気が緩んじゃうわ」
ジューンは謝罪を口にしながら、なおも穏やかに笑っている。
ジューンに引き取られる際、カーロは彼女が《繋がれし者》であることは知ってはいたが、実際に共に生活するとなるとやはり戸惑うことは多かった。それは環境の変化だったりそれまでと異なる生活習慣だったり様々だったが、もっとも閉口したのは頭で思い浮かべたことに対する反応であった。
「ごめんなさいね、ミゼールとスヴィはすぐ慣れてくれたから、ついつい同じようにしちゃうのよ」
ジューンにそう言い訳されても、当時のカーロは到底納得出来なかった。ちょうど思春期に差し掛かった頃であるから、頭の中を覗き込まれて、あまつさえいちいち反応されるのは耐えがたかった。博物院の中で暮らすようになって、《繋がれし者》とはそういう存在なのだということが理解出来るまで、しばらくの間は彼女と目を合わせるのも避けるようにしていたものだ。
「キンクァイナ師が、ジューンを博物院生に誘ったのか」
キッシュの登場で中断されていた話題を引き戻すつもりで、カーロは空いた小皿をテーブルの上に戻しながらそう尋ねる。ジューンは彼と同じようにキッシュを一口含みながら、口元に手を当てたまま頷いた。
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