第三話 欲張りなジューン(2)
博物院の敷地内に設けられていた初等院や中等院に通い詰めていたジューンにとって、博物院は十分に馴染みのある場所である。だが自分が博物院生になるという発想は、ついぞなかった。
「博物院生になるってことはつまり、《繋がれし者》になるってことですか?」
ジューンの問いにキンクァイナは頷きながら、必ずしも強要するわけではなかった。ただ彼は、ジューンにはその資質があると前々から考えていたことを告げ、同時に《繋がれし者》の存在意義について説明した。
「《繋がれし者》たちは互いが精神感応的に《繋がる》だけじゃない。我々のご先祖、いわゆる《原始の民》が《星の彼方》から持ち寄った記憶をも共有し、そこから産み出される知恵を今に還元することが目的だ。もちろん時を経れば、いずれその目的や存在意義も変わっていくかもしれないがね」
導師の説く《繋がれし者》の在り方とは、概ねジューンも知識として心得ている。いわばスタージアの住人たちを正しい方向へと導く人々たちであり、だからこそ全住民から畏敬の念を抱かれているのだ。
そんな人々の中に自分が加わって良いものか。いつものジューンならそう躊躇したことだろう。だがミゼールやスヴィと進路を違えることがはっきりしたこの瞬間、彼女の心が平衡を保てているとは言い難い。
「《繋がれし者》は、スタージアの住人全員の心の内を知ることが出来るんですよね?」
キンクァイナに誘われて、最初にジューンの脳裏に浮かんだのはその一点であった。
「ああ。我々は《繋がらぬ者》の内心を窺うことも、干渉することさえ出来る」
そう答えた導師の起伏に欠けた顔は、いつにも増して無表情であった。特徴に欠けた面持ちだとは思っていたけれど、こんな顔をする人だったろうか。キンクァイナの言葉には感情が伴っているようには聞こえず、まるで機械が吐き出す無機質な電子音声のようだ。
ただ、そのときのジューンには、彼が告げた言葉の内容そのものの方が大事であった。
「干渉出来る……人の心を思いのままに操れる、ということですか?」
ジューンの問いに、キンクァイナは無言で頷いてみせた。
「導師は、私の内心もご存知なんですよね」
そう尋ねるジューンは細い眉をしかめて、そのくせ黒目がちの目を見開いて、小さな口の片端だけが不自然に引き攣れていた。
博物院生となった彼女は、欲望の赴くままに《繋がれし者》の持つ精神感応力を振るってしまうかもしれない。自分の中にそんな可能性があり得ることを、精神的に追い詰められたこの状況下で、彼女なりに自覚しているつもりだった。
「例えそうしたとしても、我々は君を掣肘するつもりはない」
彼女の心の動きを読み取った上で、キンクァイナの回答は相変わらず平板で心がこもっているようには聞こえない。だが自分がどんな酷い表情をしているのか想像もしたくなかったジューンにとって、導師の無表情はかえって有り難かった。
「ただし、付け加えるなら」
ジューンの内心の葛藤などまるで取るに足らないというように、キンクァイナは最後にぼそりと告げた。
「心配することはない。君がそんな選択をすることは、おそらくないだろう」
♦
スタージアの住民であれば誰しも、《繋がれし者》はこの星の全ての人々を把握しているということを知っている。だが彼らが全ての人々を、事象をどのように感知し、内に蓄えていくのかという点については、知る由もない。それについて《繋がれし者》たちが語ることもなかったし、であればわざわざ詮索することではなかったからだ。
実際のところ、《繋がらぬ者》には理解の及ばない感覚だろう。この星の上に立つ全ての人々が見聞きし、感じたことが、怒濤のように全身に降りかかるのである。もしただの一個人であれば、その人の精神はそのまま押し潰されてしまう。
《繋がった》ばかりのジューンも、スタージアの住民たち全員の知覚するところをその小さな
(突然大音響の中に放り込まれたて、まともに聞き分けようとしたらあっという間に鼓膜がいかれてしまう。それと同じことだ。慣れるまでは情報量を絞るようにするから、安心するといい)
膨大な情報量が自らの
「キンクァイナ師が情報量をコントロールしてくださっているんですか?」
(私やほかの院生も手を貸しているが、大半は博物院の機械が制御している)
キンクァイナの思念がそう告げた途端、ジューンの脳裏に巨大な博物院の建物が、鮮やかな映像として浮かび上がった。横になった長大な円筒と、その両側面のふたつの弧状の建物から成る外観は、俯瞰の視点からは巨大なφ字状に見える。
同時にジューンの意識野には、博物院の内部の様子が違和感なく併存していた。
彼女がミゼールやスヴィと共に何度も足を運んだ、天球図のホログラム映像が浮かぶ北側ホールや、公園に面した南側の展望室は、ほんの表層的な部分でしかない。《繋がらぬ者》であれば一生知ることのない、博物院の建物の中身はまるで――
「これは、宇宙船じゃないの……」
仮にも宇宙を志しただけあって、彼女も宇宙船の基本的な構造は理解している。博物院とは、想像を絶するスケールではあるものの、そこに収まる内部構造は宇宙船そのものであることに、ジューンは唖然とするしかなかった。
正確には、元々宇宙船の中に収まっていた動力部分や計算資源としての機械類の大半は、建物の地下奥深くに移設されている。その結果生じた空洞部分が建物として利用されているのだ。例えば北側ホールのアーチ状の入口は、推進エンジンの噴出口の形状の名残だ。
それ以上にジューンが驚かされたのは、地下部分に収容された動力や機械そのものであった。
「スタージアの生活を支えているのは、もしかしてこの宇宙船の動力源なんですか?」
ジューンがおそるおそる口にしたその言葉を、キンクァイナの思念はこともなげに肯定した。
(その通り。《原始の民》がこの星に降り立って以来、人々の生活を支えるエネルギーの大半はこの宇宙船――今は博物院が供給している)
「そんな、嘘でしょう」
彼女から問いかけたことだというのに、ジューンは信じられないといった面持ちで、導師の言葉を即座には受け入れられなかった。
「だって、降下直後ならいざ知らず、今はもうスタージアの人口は二十万人を超えるはず……」
(博物院の動力源は、今の生活レベルなら二十万人どころかその数百倍の人口を、およそ千年は支えられる)
「なんですか、それ。そんなの、人間の技術じゃありえない」
(そうとも、少なくとも今の人間の技術じゃない。遙か昔に、《オーグ》が編み出した技術だ)
キンクァイナの思念が告げる言葉は相変わらず抑揚に欠けるので、ジューンは重要な単語も思わず聞き流してしまうところであった。
「《オーグ》? あの、《原始の民》を追い出した、《星の彼方》の化け物ですか?」
(それは違う。君はまだ《繋がった》ばかりだから、そう思うのも無理はないが)
この場にいないはずのキンクァイナが、瞼を伏せてゆっくりと首を振る様が、ジューンの思念に手に取るように伝わってくる。初めて感情らしきものを表出させた彼が、やがて口にした内容は、ジューンにさらなる驚愕を与えた。
(《オーグ》とは“
何気ない口調のまま脳に直接語りかけられる言葉が、ジューンの脳裏にこれ以上ない衝撃を刻み込んだ。
ただ、彼の言うことがあまりにも突拍子がなさ過ぎて、思考が追いつかない。
反応に窮するジューンに対して、キンクァイナの言葉はあくまで淡々としていた。彼女のような反応は既に何回も見てきたという導師の想いが、まるで肌に染み込むように伝わってくる。
(博物院には、《オーグ》から産み出されて以来の我々の記憶が蓄積されている。《繋がる》ことに慣れれば、君も自然と知ることになるだろう)
キンクァイナの言葉に対して、ジューンはしばらくの間何を口にすることも、問い返すこともなかった。ただひたすら、その場で呆然とすることしか出来なかった。
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