第二話 星降る夜に見ゆるもの(2)

「ふたりともいい加減にしてよ!」


 スヴィだけでなく、ミゼールも聞いたことが無いような大声を張り上げて、ジューンは目に涙をためながらふたりを睨みつけた。


「やってらんない。私もう、疲れた。ふたりとも、好きなだけ喧嘩してればいいんだわ。もう知らないから!」


 スヴィもミゼールも初めて目にするジューンの怒りに驚き、狼狽え、何か声を掛けようとするが、ジューンはふたりを無視して踵を返した。頬を伝う涙は、果たして性懲りもなく衝突し続けるスヴィとミゼールに向けられたものか、それともふたりを取り持つことが出来ない自分が情けないからなのか、当のジューンにもそれはよくわからない。


 その場を離れて、中等院の校舎も飛び出して、どこをどう彷徨ったのか、ジューンはいつの間にか博物院北側のホールの隅にいた。


 結構な数の人影が行き交うホールの壁際のベンチに腰掛けて、ジューンは座面に両脚を乗せてスラックスの膝を腕で抱え込み、誰にも見つからないよう隠れてしまいたくて仕方なかった。

 怒りに任せて感情を爆発させてしまった自分が、つくづく恥ずかしい。これまでにもふたりの前で泣き出すことはよくあったが、怒りをぶちまけたのは多分初めてだ。実のところ、あんな風に感情を発露させる自分に一番驚いていたのは、ほかならぬジューン自身であった。

 おもむろに顔を上げれば、ホールの中空には巨大な漆黒の球体が浮かんで彼女を見下ろしている。球体の中には数え切れないほどの星が煌めいているが、その大半がスタージアからの観測結果に基づく予想図でしかないことを、ジューンはミゼールに聞かされて知っていた。


「この前、《星の彼方》方面以外の極小質量宙域ヴォイドが見つかったんだ。新しい、植民可能な惑星を探し出す計画が、ついにスタートするんだよ!」


 そのことを教えてくれたときのミゼールは、緑色の瞳をきらきらさせて興奮していたものだ。


「もうすぐ極小質量宙域ヴォイドの向こうへ、無人探査機が派遣される。もしかしたら、そこでまた人が住めるような星が見つかるかもしれないんだ。そうしたら今度は有人調査だぜ。俺も早く大人になって、そういう星に行ってみたい!」


 熱く夢を語るミゼールの表情は、幼い頃から変わりない。そんなミゼールの側にいたくて、ジューンは努力してきたつもりだった。身体能力には自信がなかったから、せめて勉学を頑張れば、彼と肩を並べていくことが出来るだろう。


 そう思って頑張ってきたというのに、中等院に上がってもミゼールは、彼女のことを相変わらず世話を焼くべき妹分としてしか見ようとしない。彼が対等に相手をするのはジューンではなく――


「ジューン、こんなとこにいたの」


 彼女の名を呼ぶ声を耳にして、赤く腫らした目で振り返ると、その先に立っていたのはスヴィのすらりとした長身だった。


「良かった。通信端末もオフになってるから、どこに行っちゃったのかと思った」


 全速力で探し回っていたのだろう。息を切らしながら、安堵を浮かべて歩み寄ってくるスヴィの顔を、ジューンは真っ直ぐに見返すことが出来ない。何も言わずに視線を逸らし、再び腕の中に顔を埋めるジューンを見て、スヴィは愕然として立ち尽くす。


「その、ごめん。いつもジューンが間に入ってくれるからって、甘えてたよ」


 困惑と反省を褐色の顔に浮かべて、スヴィが心から謝罪を口にしているのは、ジューンにも十分に伝わった。


「なんでかなあ、ミゼールとはいっつも喧嘩になっちゃう。でもジューンを困らせてるのはわかってるんだ。もうあいつとは喧嘩しないよ。約束する」


 本当に喧嘩しないままでいられるとは思えない。だが、少なくとも喧嘩をしないようにスヴィが努力するだろうことは、信じられる。


 でも、そうじゃないのだ。


 立てた膝に額を擦りつけながら、ジューンは己の怒りの正体をとっくに見極めていた。


 感情が爆発してしまったのは、喧嘩を止めないふたりに痺れを切らしたからではない。喧嘩出来るふたりが、羨ましかったのだ。

 ミゼールの目には、スヴィは彼と同等の、いやもしかすると共に高め合う存在として映っている。本当は自分こそがその立ち位置を望んでいたのに、スヴィは初対面からごく自然にその場所に入り込んでしまった。それが口惜しくて、妬ましい。


 スヴィが嫌な女の子だったらいいのに、とジューンは理不尽なことを思った。そうであれば彼女を嫌うのに引け目を感じないで済むのに。

 しかしそんなわけがない。スヴィ・ノマはジューンにとって大切な、今ではミゼールと並ぶほどの存在だ。そんな嫌な女の子ならミゼールが最初から相手にするはずがないし、ジューンと友人でいられることもなかっただろう。


「ねえ、スヴィ。ひとつお願いがあるの」


 ゆっくりと面を上げたジューンは、頬に残る涙の跡を拭いながら、不安そうにこちらを覗き込む友人の顔を見返した。


「なに、なに? なんでも言って」


 スヴィは中腰の姿勢のまま、勢い込んで身を乗り出す。そんな彼女の顔の向こうに、ジューンはそっと人差し指を突き出した。その指の先には、スヴィの背後で宙に浮かんだままゆっくりと回る、巨大な天球図がある。


「私とミゼールはね、将来は宇宙を旅したいって思ってる。新しい入植先候補の星を探して、調べて回るの。元々はミゼールの夢だけど、ずっと聞かされている内に、私もすっかりその気になっちゃった」


 想定外の話題を持ち出されたのだろう、スヴィは少々戸惑いながら後ろを振り返る。


「ミゼールから聞いたことあるよ。いずれ宇宙を飛び回ってやるって」


 数え切れないほどの光点が散りばめられた、真っ黒な球形のホログラム映像に目を向けながら、スヴィは答えた。その前に身長制限で引っ掛かるよ、とからかって喧嘩になったことは、ジューンも知っている。


 だがジューンはそんなことを混ぜっ返したいのではなかった。彼女が提案したのは、もっと別のことであった。


「スヴィも一緒に、宇宙を目指さない?」


 思いがけない誘いを受けて、スヴィは再び振り返ってジューンの顔を見つめ返した。


「私も? 宇宙に?」

「そう。私と、ミゼールと一緒に。三人で一緒に宇宙に行くの」

「ミゼールも? それは、うーん、どうなんだろう」


 腕組みして考え込むスヴィに、ジューンはようやく笑顔を浮かべて言った。


「もう喧嘩しないんでしょう? 一緒に宇宙を目指すなら、きっと仲良くやれるよ」


 ミゼールもスヴィも大切なら、ふたりとも失いたくないのなら、三人で一緒にいられるようにすればいい。それがジューンの出した、彼女なりの結論だった。

 スヴィの意向やミゼールの気持ちを無視した、無茶な願いであることはわかっていた。

 だが誰よりも自分自身を偽っていることに、そのときのジューンはまだ気づいていなかった。

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