第二話 星降る夜に見ゆるもの(1)

 ミゼールことバルトロミゼール・デッソは、幼い頃から宇宙に飛び立つことを夢見る少年であった。


「俺たちのご先祖様は、あの星空を延々旅してここまでたどり着いたんだ。俺もいつか宇宙に出て、色んな星を旅してみたい」


 初等院の導師に率いられて博物院の中を訪れた際、北門に面した玄関ホールの吹き抜けに浮かぶ巨大な天球図のホログラム映像を見上げながら、ミゼール少年は興奮した面持ちでそう語った。明るい茶髪の下で紅潮した彼の横顔を眺めて、隣りに立つ黒髪の少女の表情は、感心すると同時に若干心細げでもあった。


「ミゼールは、宇宙に行っちゃうの? 《星の彼方》には《オーグ》がいるんでしょう? 怖くないの?」

「怖いわけなんてあるもんか! それに《星の彼方》以外にも、宇宙は広いんだぜ。《オーグ》のいない星を探して回るんだよ」

「……じゃあ、私も一緒に行ってもいい?」


 そう言って上着の裾を引っ張る少女に向かって、ミゼール少年は当然のように大きく頷いてみせる。


「当たり前だろ、ジューンも一緒に、沢山の星を見て回ろうぜ!」


 そのときの彼の、にかっと口を開けて白い歯の覗く笑顔が、黒髪の少女――ジューン・カーダのその後の原動力となった。ミゼールと共に宇宙に行くために、ミゼールに置いていかれてしまわないようにという想いは、少女を学業へと駆り立てていく。


 少年の後を追いかけて、学業一辺倒だったジューンの意識が変化することになったのは、中等院に進んでスヴィ・ノマと出会ってからである。


 スヴィは癖の強い黒髪を短髪に刈り込んで、褐色の肌に活力をみなぎらせた瞳が特徴的な、行動力の固まりのような少女であった。同じ黒髪でもその頃にはストレートの長髪を背中まで垂らしていたジューンとは、外見からして対照的である。


「いいなあ、その綺麗な髪。私が伸ばすとそのまま頭がまん丸に大きくなるだけだから、あなたみたいなさらさらした髪は憧れるわ」


 ジューンの髪に興味を持つや否や、スヴィは初対面であることなどまるで頓着せずに、一気に距離を詰めてきた。なんと反応していいのかわからず戸惑うジューンに、スヴィは自己紹介と共に躊躇わずに手を伸ばす。握手を求められているのだと気がついたジューンが、おずおずと出して右手をしっかと掴んで、スヴィは握り締めたまま勢いよく手を振ったものだ。

 その様子を見かけたミゼールが、面白くなさそうな顔でふたりの間に割り込んだ。


「おい、お前。ジューンを怖がらせてんじゃねーよ」


 傍から見れば、同年代の中では背の高いスヴィが、小柄なジューンにちょっかいを出しているように見えただろう。だが幼い頃からの付き合いであるミゼールに、ジューンが怯えているかどうか判別出来なかったとは思えない。後から思い返せば、あれはジューンに対して馴れ馴れしいスヴィへの対抗心の表れだった。


「何よ、私はこの子と仲良くしたいだけなの。ちんちくりんはあっちに行ってな」


 スヴィは適当にあしらうだけのつもりだったろうが、「ちんちくりん」という言葉はミゼールのプライドをいたく傷つけた。当時、ミゼールの身長は小柄なジューンとほとんど同じ程度、もしかするとやや低いぐらいで、口には出さなかったものの彼の悩みの種だったのだ。

 憤懣やるかたないといった表情のミゼールと、文字通り彼を見下すスヴィが睨み合い、お互いに掴みかかるまで、ものの十秒と掛からなかった。


「誰がちんちくりんだ、このオトコ女!」

「ちんちくりんが嫌ならはっきり言ってやるよ、このチビ!」


 長身で男勝りのスヴィと、小柄ながらはしっこさでは負け無しのミゼールは、後々中等院で語りぐさになるほどの取っ組み合いを繰り広げる。最初は呆然としていたジューンは、やがて自分が原因であることを思い出すと仲裁に入ろうとするが、興奮するふたりにあっさりと弾き出されてしまった。

 その際に運悪く頭を打ちつけたジューンが目を回してしまったことで、派手な取っ組み合いは中断された。医務室に運ばれたジューンがベッドの上で意識を取り戻したとき、目の前でふたりが揃って泣きそうな顔で覗き込んでいたことを、よく覚えている。


 かくして何かとぶつかり合うミゼールとスヴィ、そんなふたりの間でおろおろするジューンという図式が出来上がった。


 衝突の切欠には事欠かない。身体能力を競うものは個人競技から団体競技まで当然のこと、座学の成績でも鍔迫り合う。もっとも座学ではふたりを抑えてジューンが常にトップに立っていたので、体力勝負ほど白熱することはなかったものの、突っかかるふたりをその都度止めに入るのはジューンの役割になってしまっていた。


 困ったことに幼馴染みのミゼールはもちろん、スヴィもまたジューンにとっては大切な友人であった。時折り兄貴分を気取るミゼールと異なり、スヴィはジューンに対等の友人として接し、その上で引っ張り回すのだ。


「この前、美味しいジェラートの店を見つけたんだ。行ってみよう!」

「博物院公園のステージでコンサートがあるって!」

「今度の院祭の演し物、一緒に考えよう!」


 ジューンの中等院での生活が充実していたのは、ひとえにスヴィのお陰と言っていい。思いついたら即行動に起こすスヴィに振り回されるのは体力が要ったが、疲労以上に得るもの、感じるものの方がはるかに多かった。


 だからこそふたりが何かにつけて張り合い続けるのは、ジューンにとって頭痛の種であった。大抵は彼女が間に入ることで事態は収まるのだが、仲裁が失敗してかえって油に火を注ぐ羽目になることもある。そうなるとジューンにはどうしようもなくなって、大人の出番となる。

 中等院で大人と言えば専ら導師を指すが、彼らは同時に博物院生であり、即ち《繋がれし者》でもある。ジューンたちの導師のキンクァイナはひょろりとした、起伏に乏しい目鼻立ちの若い男性であった。


「バルトロミゼール・デッソ、スヴィ・ノマ。いい加減にしたらどうだ」


 キンクァイナの声はぼそぼそとして、聞き取りにくいことの方が多いぐらいだったが、どういうわけか彼の言葉は効き目があった。講義にしても、眠気を誘いそうなほど抑揚がないはずなのに、なぜだかその内容は脳裏に刻み込まれているのだ。キンクァイナが一言言ってくれれば、ミゼールもスヴィもとりあえず大人しくなった。


 だが運悪くキンクァイナが不在の場合もある。たまたま彼が不在のタイミングが相次いだある日、仲裁し損ねてまたしても取っ組み合いから弾き出されたジューンは、とうとう堪忍袋の緒を切らしてしまった。

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