第一話 岬にて(2)
カーロの言葉はジューンにとって、彼の思念を読み解くまでもなく予想していたことだろう。彼女は穏やかな、ただ笑顔というには少々喜色に欠けた表情のまま、
まさか彼の言葉を聞き逃したわけではない。無言のまま、どう言えばカーロを納得させることが出来るかを、考えを巡らせているのだ。
だがカーロは、このまま沈黙に任せるつもりもなかった。
「門外不出ということはわかっている。でも、スタージアを切り拓くのに欠かせなかった技術は、今度の開拓団にもやはり必要だと、その全てを皆で共有すべきだと、僕は思うんだ」
「開拓に必要な技術も物資も、十分に提供しているはずよ」
ジューンの冷静な指摘に対して、カーロは頭を振った。
「確かに計画上では問題ないよ。だけどこの開拓計画に失敗は許されない。半世紀近くかけて見つけ出した、唯一の植民適合環境の揃った星なんだ。万が一の事態を回避するためにも、団長としては万全を期したい」
天井から歪に垂れ下がるパイプの下を、長身を屈めてくぐりながら、カーロは一歩前に踏み出した。
「考え得る範囲内で準備はし尽くしている。でも同時に、机上の計画では予測出来ない事態が必ずある。我々の先祖がスタージアを開拓した際に用いた《オーグ》の秘術は、そういった不測の事態を乗り越えるのに役立つはずなんだよ」
「机上の計画ではないわ」
カーロの熱弁の一部を取り上げて、ジューンが否定を口にする。
「開拓計画は、ミゼールやスヴィが命を賭けて持ち帰った調査結果を基に立案されているのよ。あなたは自分の両親の成果を、ただのデータとしか見ていないというの?」
「そんなわけないだろう」
一瞬声を荒げそうになったカーロは、ジューンの挑発に乗りかけていることに気がついて、すぐに大きな口を引き結んだ。相手を興奮させて会話を有利に進めようという手法は、ジューンが時折り用いる話術のひとつである。昔ほどではないにせよ、《繋がれし者》はやはり底意地が悪いという想いを、カーロは未だ拭い去れない。
「逆だよ。父さんと母さんの犠牲を無駄にしたくないからこそ、この開拓計画を絶対に成功させたいからこそだ」
落ち着いた口調を取り戻しつつ、両手を広げて身振り手振りを加えながら、カーロはジューンに訴えかける。
彼の言葉に嘘はない。かつて《原始の民》がスタージアに降り立ったとき、まだ過酷だったこの星の環境を徹底的に改造して、人々が安定した生活が営めるようにまでしてみせたのは、《オーグ》の秘術――彼らが《星の彼方》から持ち寄った知識と技術を振るったからである。カーロたちが向かう惑星エルトランザは、スタージアに比べればはるかに植民の難易度は低いとされているが、《オーグ》の秘術があればその成功率がさらに高まるのは間違いない。
だが博物院は、開拓団に《オーグ》の秘術の全貌を明らかにしようとしない。
彼らが開拓に必要と判断した、恒星間航法や
「今じゃ《オーグ》の正体を知る者はほとんどいない。僕が知っているのだって、たまたまあなたに育てられて、ほかの人よりも秘術に触れる機会が多かったからに過ぎない。開拓団のメンバーにもスタージアの住民にも、《オーグ》といえば《星の彼方》から《原始の民》を追いやった化け物扱いされているよ」
《オーグ》の秘術の開示だけではない、長年の疑問に対する答えを求めて、カーロはさらに一歩足を前へ踏み出した。
「いったい《繋がれし者》は、《オーグ》の正体をこのまま歪めたままにしておくつもりなのか?」
そこまで口にしてから、ようやくカーロはジューンの意図を理解する。
まるで世間から隔絶されたかのようなこの屋敷は、カーロが《繋がれし者》に抱き続けてきた想いを吐露するのに絶好の環境であった。ここであれば《オーグ》の名をいくら口にしても、耳にするのは《オーグ》の正体を誰よりも知るジューンであり、彼女に《繋がれし者》だけだ。
カーロが開拓団長としてスタージアを発つこの時期、もしかすれば今生の別れになるかもしれないというこのタイミングだからこそ、ジューンは彼の長年の葛藤を解消するために、この屋敷に足を運ぶよう仕向けたのだ。今頃そのことに気がついて、カーロは我ながら察しの悪さに頭を掻き毟りたくなる。
だとしたら、彼に出来るのは後はもう、彼女の答えを待つことだけであった。ジューンに限らず、《繋がれし者》は底意地が悪い。だが悪意に満ちているわけではない。真摯に向き合えば相応の態度を示してくれるのだということも、カーロはよく知っていた。
「話は少々長くなりそうね」
いつの間にか
「ここで立ちっぱなしのまま長話も、老体には堪えるわ。あなたの好きな柑橘茶を淹れてあげるから、上に場所を移しましょう」
♦
屋敷の二階はジューンの生活スペースとなっていた。寝室、キッチン、浴室等がひととおり揃っているものの、いずれも必要最低限の広さに設備ばかり。カーロが通されたリビングも至って質素な造りだったが、彼の目を引いたのはそこではなかった。
「こいつは凄い」
リビングの奥、南に面した壁面は、調光の施されたガラス窓で一面を覆われていた。その奥に見えるのは広々としたバルコニーであり、さらにその端の手摺り越しには、夕陽に照らし出されて静かに凪ぐ海面が広がっている。バルコニーに出れば三方に広大な大海原を望み、まるで海の上に立っているかのような眺望を味わえるのだ。
「ジューン、ここに屋敷を構えたのは、この景色を独り占めしたかったからじゃないのか?」
茜色に染まる水平線のその先に沈みかける、恒星の輝きの美しさに目を奪われながら、カーロは窓際に立ってそう尋ねる。
「素敵でしょう? もし別荘を建てるならここって、ずっと狙ってたの」
キッチンから卓上サイズの
「ここはよく、スヴィに車で連れてきてもらったところなのよ。ミゼールと三人で、暇さえあればここまでドライブして、キャンプして過ごしたこともあったかな」
「父さんや母さんと? そいつは初耳だ」
「その頃はまだここまでの道も未舗装で、車酔いの酷いあなたはとても連れて行けなかったしね。そうこうしている内にふたりともエルトランザへの調査に行ってしまったから」
そう言うとジューンは、リビングの中央に据えられた木製テーブルの、周りに添えられた四脚の椅子のひとつに腰掛けた。傍らにワゴンを引き寄せて、
ソーサーに乗ったカップには、微かな甘い香りをくゆらす黄金色の暖かい液体が満たされている。カーロの立つ窓辺にまで漂うその匂いは、彼の鼻腔をくすぐると同時に少年時代の記憶を呼び覚ました。
「ジューンに柑橘茶を淹れてもらうのは久しぶりだな」
柑橘茶はスタージアでもありふれた飲み物だが、ジューンが
「そうそう、この香りだ。懐かしい」
そう言ってカーロはジューンの向かいの椅子に腰を下ろし、香り立つ柑橘茶が注がれたカップを手に取った。一口啜って、記憶にある味と変わらないことを確かめながら、堪能する。
「ミゼールもその柑橘茶が好きで、よく淹れてあげたものよ」
茶を啜るカーロの顔を眺めていたジューンが、そう言って表情を和ませる。彼女の言葉に、カーロは太い首を傾げた。
「うちで柑橘茶が出た覚えは、あんまりないんだけど。父さんも母さんも、コーヒーを飲んでばかりだった気がする」
「それはそうよ。このお茶の
カーロの疑問に、ジューンは黒目がちの目を心持ち細めて答えた。
「でも、教えてあげれば良かった。ミゼールもスヴィも、まさかあんなに早く逝ってしまうとは思わなかったから」
「そうだね。父さんも母さんも生きていれば、開拓団もあと十年は早く出発出来たろう」
「彼らの夢をあなたが引き継ぐことになったと知ったら、ふたりともどんな顔をするかしらね」
ジューンもまたカップに唇をつけて、柑橘茶を口にする。やがて口を離したカップをソーサーの上に戻したとき、彼女の目はそれまでよりもしっかりと見開かれて、カーロの顔を見返す視線には強い意志が込められていた。
「カーロ、私はもう若くないわ。エルトランザに旅立つあなたとこうして話す機会は、これで最後になるかもしれない。だからあなたに全てを伝えておきましょう。ミゼールとスヴィのことも含めて、全部ね。《オーグ》の秘術が本当に必要かどうか、その上で判断してちょうだい」
ジューンの真剣な眼差しを受けて、カーロは椅子の中で姿勢を正しながら、唇を引き締めて彼女の話に耳を傾けた。
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