第三話 閉塞する墓標(1)

 連邦軍と外縁星系コースト軍の戦闘が、《星の彼方》方面の宙域が間もなく始まろうとする頃、モズは自分たちの置かれた状況を理解出来ないまま、ただ呆然としていた。


 連邦軍主力部隊は目の前の敵を目指して、圧倒的な迫力をもって堂々と行軍している。

 だが彼らは、索敵範囲にいるはずのモズたちの艦隊に全く気づく気配がない。

 火力重視で編成された外縁星系コースト軍の伏兵部隊が、身を隠す遮蔽物のない宇宙空間にひとかたまりになってたたずんでいるというのに、連邦軍は彼らをまるで無視したまま正面の敵――外縁星系コースト軍の主力部隊を目指して突き進んでいくのだ。


 球形映像の中では、連邦軍を示す光点の群れが迷うことなく伏兵部隊の目の前を通り過ぎていく様子が映し出されている。モズだけではない、艦橋にいる誰もが固唾を呑んで、その動きを見守っている。


「連邦軍は伏兵に気づかない」


 開戦直前にシャレイドと交わした言葉を、モズは思い返さずにはいられなかった。


「小惑星もデブリもない、極小質量宙域ヴォイドのど真ん中だぞ。気づかれないままやり過ごせるわけがあるか」


 モズの当然の抗議に対して、シャレイドの返答は至って冷静だった。


「やり過ごせる。信じられないかもしれないが、お前たちが連邦軍に見つかることはないんだ」


《星の彼方》方面の宙域に働く未知の力場が、連邦軍の索敵の目を欺いてくれるというシャレイドの説明は、航宙関係の知識に乏しいモズにとっても眉唾ものであった。


「シャレイド、お前の言うことが間違ってたら、俺は連邦軍に蜂の巣にされるんだぞ」

「安心しろ。俺の言う通りに動けば、蜂の巣にされるのは連邦軍の方だ」


 シャレイドは彼の言うことに全く耳を貸そうとはしない。それどころかさらに厳しい条件を突きつけてくる始末だった。


「連邦軍は伏兵を敷かれる可能性を考慮して、全軍を二分してきた。お前たちは連邦軍の主力と別働隊が合流するまで、絶対に動くな」

「どうしてだよ。お前の言う通り俺たちが見つからないとして、相手が別行動を取っている内に攻撃を仕掛ける方が各個撃破のチャンスじゃないか」

「駄目だ。仮に主力部隊を叩けたとしても、その後駆けつけた別働隊にやられる。言っておくがまともにやりあっても勝てるとは思うなよ」


 外縁星系コースト軍の力を、シャレイドは全く信じていないようだった。モズにしてもそれは同様なのだが、だとしても頭ごなしに否定されるとさすがに文句の一つでも言いたくなる。


「いくらなんでも言い過ぎだろう。トゥーランでもそこまでの差は無かったじゃないか」

「トゥーランではこっちの方が戦力的に上回っていたのに、壊滅前に逃げ出すのが精一杯だったんだ。今回は敵の方がはるかに数も多いんだぞ。頼むから無茶はしてくれるな」

「散々無茶振りしておいて、今さらそれを言うのかよ」


 だがモズにはそれ以上もっともらしい反論は思いつくことは出来なかった。結局シャレイドの言う通りに、訝しむ外縁星系コースト軍の幹部たちの説得に専念するしかなかったのである。


 幸いにしてモズは、トゥーランの戦いでは最悪の事態も想定し対策を用意していたことで、外縁星系コースト軍を全滅の危機から救ったということになっていた。幹部連中たちは謎の力場とやらの存在を明らかに疑っていたが、戦力に劣る外縁星系コースト軍が勝利するにはほかに手もないという事情もあって、なんとかモズの言うことに従ってくれることになったのである。


 そして今、連邦軍主力部隊はモズたち伏兵部隊の前を真っ直ぐに通り過ぎて、ついに外縁星系コースト軍の主力と戦端が開かれた。モズたちは連邦軍の背後をいつでも襲える位置を確保したことになる。伏兵部隊の指揮艦で、艦橋の全員がモズに向ける視線には、驚愕か賞賛のいずれかの念が込められていた。


「まだまだ、攻撃してはいけませんよ」


 分不相応な賛辞を浴びることにむず痒さを感じながら、モズは逸る仲間たちに向かって努めてのんびりした口調で語りかけた。


「連邦軍の別働隊が合流するまでは、我慢です。敵が全軍集まったときが攻撃のタイミングですよ。それまでは友軍が持ちこたえることを信じて待ちましょう」


 痺れを切らして暴発しそうになる兵たちを必死に宥めながら、モズたち伏兵部隊がとうとう攻撃を仕掛けたのは、それから五十時間が経過してのことであった。



 かつてジェスター院のカフェテリアでひたすら立方棋クビカの対局に明け暮れていた頃、カナリーがしばしば口にしていた台詞を、シャレイドは思い出していた。


「必ず結果が出るのが、立方棋クビカのいいところだよね」


 立方体のホログラム映像に目を凝らしていたシャレイドは、素っ気ない返事をしたのを覚えている。


「ゲームなんだから、決着がつくのは当たり前だ」

「必ずしもそうとは言えないんじゃないか。俺はまだ見たことがないが、千日手になる場合もあるんだろう?」


 モートンが疑問を差し挟むと、カナリーは頭を振って否定した。


「決着じゃなくって結果。千日手も結果のひとつだよ。どんな形にしろ結果が出ないことには、その先に進めないじゃない。お父様の受け売りだけどね」

「確かに、延々悩み続けるカナリーは、想像つかないな」


 納得した顔を見せるモートンに、カナリーがにっと白い歯を覗かせて笑顔を返す。ふたりのやり取りを横目で見ながら、シャレイドは立方体の格子体ブロックのひとつに指先を向けて、ついと動かした。


「さすが、ホスクローヴ提督ともなれば言うことに重みがある」


 そう言いいながらシャレイドが立方体の中の赤い駒を動かすと、途端にカナリーの青い駒の多くが一度に消滅してしまった。


「ああっ! またやられた……」


 立方体の中の惨状を目の当たりにして、カナリーが悲鳴と共に頭を抱える。


「こんだけ同じ結果を繰り返して、そろそろ俺には敵わないとわかったんじゃないか?」


 シャレイドから小馬鹿にしたような台詞を投げかけられても、きっと見返すカナリーの瞳からは一向に戦意は失われていなかった。


「お父様に言われたのは、結果が出なければ反省も改善も出来ないってことなの。なんでもさっさと諦めろってことじゃないんだから」


 少なくとも、簡単にはへこたれない前向きな強靱さが、カナリーにはしっかりと培われていた。単に諦めが悪いだけとも言えるが、こんな彼女を育て上げたクレーグ・ホスクローヴとは、どんな人物なのだろう。会ったこともない人間に興味を抱くこと自体、シャレイドにとっては珍しいことであった。

 カナリーの素直で、かつ急所を外さない棋風を見れば、彼女の師匠たる父親の人柄もおぼろげに見えてくる。最後にカナリーの思考をほんの少し読み取れば、シャレイドの想像と彼女の記憶にある父親像に、それほどの差が無いことも確かめられた。

 厳格にして実直、その上で海千山千の経験に裏打ちされた柔軟さまで併せ持つ、まさに理想の軍人にして父親。それがシャレイドの知るクレーグ・ホスクローヴという人物だ。なるほど、真っ直ぐで勢い任せでありながら、人としての節度を十分にわきまえたカナリー・ホスクローヴという人格は、この父親の下で育てられてこそ形成され得たのだろう。


「一度、カナリーの親父さんにはお目にかかってみたいもんだ」


 シャレイドが思わず口にした呟きを、カナリーは聞き逃さなかった。


「本当? だったら今度の長期休暇はシャレイドもモートンも、イシタナの私の家に遊びに来ない?」


 カナリーの実家ホスクローヴ家はイシタナでも由緒ある武門の血筋であり、広大な敷地の中に巨大な屋敷を構える、いわゆる名家と聞く。庶民代表のシャレイドやモートンには、間違っても縁の無い世界だ。


「今さらそんなこと気にしないで。ジェスター院にはとんでもない立方棋クビカの指し手がいるって話してあるから、お父様もきっとふたりに会いたがるよ」


 カナリーの屈託のない申し出にシャレイドもモートンも乗り気になり、ホスクローヴ家の訪問の予定はとんとん拍子に決まる。

 だがその長期休暇は、立方棋クビカ大会の決勝戦後のことであった。


 結局シャレイドはホスクローヴ家を訪れるなく、ジェスター院から姿を消す。


 決勝会場から脱出するために派手に焚きつけたベープ管の煙の中で、狼狽えるカナリーに声をかけた瞬間が、シャレイドが彼女を見た最後の瞬間となってしまった。

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