第三話 閉塞する墓標(2)

 カナリー・ホスクローヴは、ジェスター院に入学する前のシャレイドであれば嫉みすら覚えそうな生まれ育ちの、言ってみればお嬢様だった。だが実際に彼女と接してみれば、そんな浅ましい感情を抱く暇も無い。それほどに彼女は溌剌として明朗快活、そして誰に対しても偏見を持たないという美点を備えていた。

 それまで己の特異な能力や、外縁星系人コースターという出自に悩まされてきたシャレイドは、彼女と共に過ごす内にそんなことでくよくよすることが、いかに時間の無駄であるかを思い知らされる。そのことに気づかせてくれただけでも、カナリーはシャレイドにとって得難い友人であった。


 そのカナリーの死をシャレイドが知ったのは、彼女が乗ったトーレランス78便が爆発四散してから数ヶ月のことだ。


 当時ミッダルトから脱出したばかりで、保安庁の目をかいくぐりながらあちこちに潜伏していたシャレイドは、外縁星系人コースターたちの地下組織に身を寄せていた。そこで彼は組織のメンバーから、トーレランス78便の爆破事件について初めて知らされたのである。


 カナリーの名を耳にしたわけではない。だがミッダルト発イシタナ行きの旅客船と聞いて、胸騒ぎがしたのも確かだった。やがて過去の報道記事の山から被害者名のリストを探し出して、その中にカナリー・ホスクローヴの名を発見したとき、シャレイドは自分の周囲がぐにゃりと歪むような、足元が急激に泥沼と化してしまったような覚束ない感覚に陥った。


 今、彼を匿ってくれる組織のメンバーたちからは、事件について胸をすくような想いすら伝わってくる。彼らの中で泣き喚くことも出来ず、人目につかない場所でひとりになっても、ただひたすら呆然とするしかなかった。


 カナリーを失ったという巨大な喪失感は、同時に彼自身のアイデンティティをも揺るがせる。


 連邦保安庁は、彼を心から愛してくれた家族の命を奪った。

 そして外縁星系人コースターのテロリストは、彼の生涯の友人とも言うべきカナリーを殺した。


 このまま組織に残って共にテロ活動に身を投じる気は、既に一分も残っていなかった。だからといって今さら外縁星系人コースターであることを辞めようもない。第一世代に対する怨念は、まだ彼の胸中から拭い去りようもなかった。


 その後間もなく組織を後にしたシャレイドは、以後ほとんど単独で銀河系中を飛び回るようになる。


 これまでの逃亡生活で、持ち前の精神感応力を駆使すれば保安庁の監視を逃れ続けられることはわかっていた。加えてブライム・ラハーンディの孫であり、ジャランデール暴動の首謀者の子であるというネームバリューを、彼は最大限に活用した。その中で評議会議員となったジェネバと再会し、保安庁ジャランデール支部の一員だったモズと接触し、そのほかにも多くの有力者たちと顔を合わせて、外縁星系人コースターの組織化を秘かに進めてきた。


 全て、第一世代と外縁星系人コースターの争いに決着をつけるためである。


 先の見えない泥沼を、カナリーは嫌った。シャレイドもまた同感だった。


 保安庁とテロリストは暴力的な応酬を続けるだけで、解決の糸口を見出そうともしない。シャレイドは両者に対してもはやなんの期待も抱かなかった。

 第一世代各国に蔓延る外縁星系人コースターのテロ組織が保安庁に次々と摘発されていっても、手を差し伸べようとも思わなかった。ただ彼の目的のために利用して、その価値もなくなれば平然と用済み扱いした。ときには積極的に保安庁に情報を流すことすらあった。テロリストとはシャレイドにとっては忌むべき、最終的には根絶されるべき存在であった。

 一方で外縁星系コーストで猛威を振るい続ける保安庁支部もまた、駆逐すべき対象だった。一斉蜂起の最大の目的は、保安庁支部を壊滅させることそのものにあったのである。


 だがその後が誤算だった。一斉蜂起が綺麗に成功しすぎて、逆に連邦軍を引っ張り出す羽目になってしまった。しかもその総指揮官が、よりにもよってクレーグ・ホスクローヴとは。


 スタージア博物院長室の中央、ソルナレスが座る後ろに浮かぶ巨大な漆黒の球体の中では、連邦軍と外縁星系コースト軍が相争う様子が克明に映し出されている。


 軍を二分して伏兵探索と挟撃を兼ねるというホスクローヴ提督の戦術は、さすがだった。お陰で外縁星系コースト軍の伏兵は、攻撃するタイミングを大幅に遅らせざるを得なくなってしまった。あるいは伏兵が攻撃に移る前に、外縁星系コースト軍の主力部隊が打ち破られてしまうかもしれなかったのだ。

 だが連邦軍の別働隊が行軍を急いでくれたお陰で、その懸念もなくなった。主力と別働隊が合流した連邦軍の後背を、散々待ちわびていた外縁星系コースト軍の伏兵部隊が、今まさに攻撃を仕掛けているところである。


「それにしても、ひどいインチキだ」


 球形映像の中で刻々と進む戦況を眺めながら、シャレイドはベープの煙を吐き出しつつぽつりと呟いた。


「インチキというなら、謎の力場とやらを強弁した君こそだろう。これこそが《スタージアン》の精神感応力の威力だよ」


 それまで背後を振り返っていたソルナレスが、シャレイドの感想に聞き捨てならないといった調子で振り返る。だがその顔は吐き出された言葉に比べて、それほど気分を害しているようには見えなかった。


「今、《スタージアン》は連邦軍の艦船の全てにアクセスして、外縁星系コースト軍の伏兵部隊を全く感知出来ないように操作している。連邦軍にしてみればいるはずのない、見えもしない敵からの、完全な不意打ちだ」


 相変わらず照明を背にしたソルナレスの表情ははっきりとは読み取れないが、その声音からも喜色を浮かべているだろうことは想像に難くない。


「そして彼らがいくら探し出そうとしても、やはり伏兵部隊は見つからない。連邦軍は外縁星系コースト軍の挟撃に、為す術もなく壊滅することになる」


 そしてソルナレスは両手を組んで楕円形のテーブルの上に乗せると、少しリラックスしたように背凭れに身体からだを預けた。テーブルを挟んだ向かいで、脚を組んだままベープ管を咥えるシャレイドの顔に、博物院長はまなじりを下げた目を向ける。


「ありがとう、シャレイド・ラハーンディ。万を超える宇宙船以上に、《オリジナル・ヴォイド》を封鎖するはなかっただろう。君の協力がなければ、ここまで見事に我々の策を実行することは出来なかったよ」


 陰影に埋もれているはずのソルナレスの金色の瞳に浮かぶ表情は、嘘偽りのない感謝であった。それが《スタージアン》の真意であるということを知れば知るほど、シャレイドの胸の奥底から堪え切れようのない吐き気が込み上げる。慣れ親しんだベープの煙さえ喉に絡むような気がして、耐えきれずにベープ管の吸い口から唇を離した。


 恐るべき《オーグ》の干渉を防ぐための、《スタージアン》の策。

 それは《星の彼方》に続くという《オリジナル・ヴォイド》を、膨大なデブリで埋め尽くすことであった。

 それも、今後恒星間航行が半永久的に不可能になるほど徹底的に、である。


 単純極まりない、だがこの上なく効果的な策であることを、《スタージアン》以外に最も理解しているのは、おそらくシャレイドに違いない。


 そしてその策を実行するために百万の兵士たちの血が流れるということも、彼はよくわかっていた。


 球形映像に映し出される戦況は、一変している。正体不明の攻撃を背後から受け続けて、連邦軍は明らかに動揺していた。しかも反撃しようにも、その敵が発見出来ないのだ。一方それまで後退を重ねてきた外縁星系コースト軍の主力部隊も、いよいよ反攻を開始した。前後から挟まれて、連邦軍は徐々に数を減らし始めている。


 ホスクローヴ提督――カナリーの父親は、あの中で指揮を執っている。理不尽とも言える戦況の中で、おそらく最善を尽くそうともがいているに違いない。


 天球図を見つめるシャレイドの目に、勝利への高揚はなかった。


 あるのは百万の流血を厭わない《スタージアン》への、恐れとも畏れともつかない打ちひしがれたような感覚。そしてそんな《スタージアン》に与する己への、どうしようもない自己嫌悪であった。

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