第二話 遼遠の戦火(2)

 惑星スタージアから見て、銀河系人類社会とは真逆の方向に離れた、その先は《星の彼方》に繋がると伝わる宙域。銀河連邦航宙局も未だ全てを把握していない、銀河系人類の祖となった《原始の民》の来し方とされる宙域。


「我々はあの宙域を、原初の極小質量宙域オリジナル・ヴォイドと呼んでいる」


 大きな楕円形のテーブルを前にして、アンゼロ・ソルナレスは卓上に組んだ両手を軽く乗せつつ、ゆったりとした背凭れに長身を預けたまま院長席に腰掛けていた。スタージア博物院長室の、巨大なドーム状の天井から降り注ぐ暖色の照明を背に受けて、くっきりとした陰影に覆われた顔からは表情がやや読み取りにくい。

 何より彼の背後に圧倒的な存在感をもって浮かぶ巨大な漆黒の球が、ソルナレスと対面する人を威圧する。黒い球はすなわち球状のホログラム映像であり、その中にはスタージア星系の端で、今まさに激突しようとする連邦軍と外縁星系コースト諸国連合軍の様子が映し出されていた。


極小質量宙域ヴォイドだと」


 ソルナレスの向かいの席には、黒いコートを羽織ったままベープ管を手にしたシャレイドが、やや荒んだ目つきのまま腰を下ろしている。「連邦軍と外縁星系コースト軍の戦いの様子を、見守りたいとは思わないか」というソルナレスの誘いに乗って、シャレイドはここ博物院長室までのこのこと顔を出した。まるで娯楽映像を鑑賞するようなソルナレスの物言いが気に障ったが、戦いの行く末を一刻も早く知りたいのもまた確かだった。


「あの先を恒星間航行で超えれば、その先には《オーグ》の群れが待ち受けているんだな」


 シャレイドは皮肉を言ったわけではない。ここまで散々《スタージアン》の思考に触れて、少なくとも《スタージアン》が《オーグ》の存在を当然の事実として認識しているということは、さすがに理解していた。


「その通りだよ、シャレイド・ラハーンディ」


 陰の差した面持ちを微かに傾げながら、ソルナレスが肯定する。


「奴らがここに現れないのは、我々《スタージアン》と同じ、一星系を跳び越えてしまうと《繋がり》が途切れてしまうからだ」

「精神感応的に《繋がる》群れである点は、お前たちも《オーグ》も同じなんだな」

「そうだね。その点はよく似ている」


 そう言ってソルナレスは残念そうに苦笑した、ように見えた。


 博物院公園奥の森林緑地内に聳える記念館の前で、シャレイドはソルナレスたち《スタージアン》の核心部分を読み取った。しかしその全貌についてはまだ不明な点が多い。それ以上探ろうとしても、ソルナレス個人の脳からは、特に《オーグ》の詳細にまつわる記憶が綺麗に消去されていた。

 シャレイドの精神感応力は天然の能力としては恐ろしく強力だが、それにしても作用する対象の数や有効範囲には限りがある。シャレイドと直接顔を合わせる個人の記憶を操作しておけば情報の秘匿も可能だということを、《スタージアン》は既に学習していた。


「精神感応力の有効範囲については、さすがに我々が上回っているな。我々の力は、ちょうどこの天球図に映し出されている、《オリジナル・ヴォイド》のやや先ぐらいまで及ぶ」


 つまり一星系をすっぽりと覆い尽くす程の範囲を、《スタージアン》は精神感応的に見聞きし、あるいは干渉出来るということだ。先ほど、一星系を跳び越えることが出来ないと言ったソルナレスの表情は、いかにも己の力不足を嘆いているように見えたがとんでもない。スタージア星系は、そのまま《スタージアン》の思うがままという宣言に等しい。


「現在の通信技術の限界が、そのままお前たちの《繋がり》の限界なんだな」


 シャレイドはあえて限界を指摘した。《スタージアン》の精神感応力の途方も無さに呑み込まれまいと、虚勢を張っているという自覚はある。だがソルナレスは、彼の思考を読み取ることは出来ないのだ。


「星系を跨ぐ通信技術が開発されれば、我々の有効範囲も飛躍的に向上するのだろうけどね」


 そう答えたソルナレスの顔が次の瞬間、生気に欠けた――まるで面を被ったかのような表情に切り替わったことに、シャレイドは気がついた。


「そんな技術が日の目を見るのは、まだまだ先の話だろう。複数の星系への拡散をスムーズに果たしたこの世界では、絶対的な距離に阻まれて、情報の収集と分析にどうしても時間がかかる。技術革新のスピードは、ひとつの惑星上で文明が発展する場合に比べれば緩やかにならざるを得ない」


 ソルナレスが唐突に、何と比べてそんな話を口にしたのか。実はそこに彼個人の意思はほとんど反映されていない。たった今彼の口から紡ぎ出されたのは、《スタージアン》に《繋がる》全ての思念が共有する想いが、ソルナレスの口を使って語らせた言葉である。

 ソルナレスという個人の意識をまるで気にもかけない《スタージアン》の振る舞いが、シャレイドの生理的な嫌悪感を一層掻き立てる。


「それがどうした。ひとつの惑星に閉じこもったまま急速に発展して、あげく煮詰まった結果が、その《オーグ》なんだろう」


 そう言うとシャレイドは、それまで卓上で弄んでいたベープ管を口元に寄せて、管の端の吸い口を唇に挟んだ。やがて開いた口の隙間から白い煙が、質量をもって吐き出される。煙に遮られたその向こうでは、ソルナレスが椅子の中でわずかに身じろぎする気配がした。彼の動きに合わせて揺れる背凭れから、小さくぎしりと音が鳴る。


「かもしれない。それにしたって、未だ我々に干渉してこないのだから、《オーグ》もまだ恒星間通信技術を手にしていないということだ」


 ふたりの間に漂っていた水蒸気の煙が、エアコンディショニングの微風に流されて立ち消えていく。白煙の向こうから再び現れた博物院長の顔には、うっすらとした笑みが口元にたたえられていた。


《オーグ》の精神感応力が及ばないのなら、は十分に通用する――


 ソルナレスの笑みは、そんな《スタージアン》の確信を物語っている。


 ベープ管から唇を離して、シャレイドは醒めた目つきで博物院長の顔を見返した。《スタージアン》はよほど《オーグ》との接触を避けたいらしいが、彼らこそシャレイドには忌まわしく思えて仕方が無い。


「……いくら強力な精神感応力でも、百万人以上の連邦軍が相手だぜ。さすがにこの人数を相手にするのは、お前たちでも荷が重いんじゃないか?」

「確かにこれだけの数のヒトと向き合うのは、我々でも厳しいだろう。特に今回は、一瞬の干渉で済むわけではない。継続的に働きかける必要がある」


 シャレイドの言葉を肯定しながら、陰影の濃いソルナレスの顔にはなお余裕が漂っている。


「だがシャレイド・ラハーンディ、我々が《繋がる》のは、ヒトだけではない」


 そう言ってシャレイドを見返すソルナレスの瞳もまた、陰に埋もれてはっきりとは窺い知れない。室内の照明が逆光となってソルナレスの表情が判然としないことに、シャレイドは内心安堵していた。彼の金色の瞳に悪戯っぽい、自慢げな表情が浮かんでいるところを目にでもしたら、きっとむかむかとする感情に襲われたに違いないからだ。


「ヒトに比べれば機械に干渉することは、大した労苦じゃない。機械相手ならどれだけの数が相手でも、何百年でも働きかけることが可能なんだ」


 スタージア星系に存在するものは、それがヒトであれ機械であれ、彼らの掌中にあるのと同じことなのだ。とっておきの秘密を聞かせるようなソルナレスの言葉は、シャレイドになんの感銘も与えることはなかった。


「いくら嬉々として機械との《繋がり》をひけらかされても、俺にはお前たちと《オーグ》の区別がつかないとしか言えないな」

「今までも何度かそんな指摘をされたけどね。残念ながら《スタージアン》は、とても《オーグ》には及ばない」


 そう言うと博物院長はふと背後を振り返り、漆黒の天球図に向かっておもむろに左の手を上げた。


「といってもまずは我々の実力を目にしないことには、君も想像しづらいだろう」


 ソルナレスの言葉に、シャレイドは答えない。


 彼は《スタージアン》がこれから何をしようとしているのか、知っている。そしておそらく《スタージアン》の思う通りに事態が進むだろうことも、わかっている。ただ理解はしているものの、実感を伴っているかといえば別の話であった。想像しづらいだろうというソルナレスの指摘は、当を得ている。


「間もなく戦闘が始まる」


 球形の映像の中では、《星の彼方》方面の宙域に陣を敷く外縁星系コースト軍に向かって、連邦軍の主力部隊がいよいよ襲いかかろうと速度を上げている。その様子を指先で指し示しながら、ソルナレスはあくまで穏やかな口調で告げた。


「この戦闘に及ぼす我々の力がどれほどのものか、君にはとくとご覧頂こう」


 ソルナレスの横顔を眺めながら、シャレイドは無言のままベープ管を咥えていた。鼻腔から零れ出す白煙がくゆって、赤銅色の顔面を覆う。


 まるでショーを披露するかのようなソルナレスの言葉は、シャレイドにしてみれば的外れであった。


 シャレイドは外縁星系コーストの勝利のために、《スタージアン》の行動を黙認することにした。彼らの思惑を許容した時点で、もはやただの見物客では有り得ない。それがどんな結末を迎えようと、当事者として事態の推移を見届ける義務がある。


 だからこそシャレイドは、わざわざこの博物院長室を訪れたのだ。

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