第五話 復讐の檻に迷い入る(3)
モートンに
ジェスター院で知り合ったばかりの一回生の頃、モートンが
実際、カナリーの
教えたての頃のモートンは当然、彼女の相手にならなかった。だがさすが特待生だけあって、飲み込みの早さも尋常ではなかった。一ヶ月も経つと、モートンは三回に一回はカナリーにも勝利するほどのレベルにまで成長してしまったのである。
「勘弁してよ。こんなに早く追いつかれるなんて、さすがに自信なくすわ」
初めてモートンに敗北を喫したとき、カナリーの受けた衝撃と言えば並大抵ではなかった。
「やっとこ勝てて、感慨ひとしおだよ。しかし
「だったら教えてあげた私にも感謝してよね。お礼ならいつでも受け付けてるから」
「それもそうだな。じゃあ、フライドボールの美味い店を見つけたんだ。そこで飯でも奢ろう」
そういうわけでカナリーはモートンと初めて夕食を共にすることになった。彼女のお気に入りとなった店も、元はといえばモートンに紹介されて知ったのである。
「実は俺のルームメイトも
エールを一口呷っただけで顔を真っ赤にしたモートンは、酔いのせいかやや饒舌だった。
「最初は斜に構えた、取っつきにくい奴だと思ってたんだけど、
「へえ、それは良かったね。じゃあ、ますます私には頭が上がらないんじゃないの?」
「本当にカナリー様々だ。感謝してるよ」
モートンは陽気な顔で頷いた。店の料理はフライドボールだけでなくほかのメニューも堪能出来たし、カナリーにとっても十分満足な夜であった。
その半月後、院内の
一回生同士が準決勝まで勝ち上がるという事態がそもそも珍しく、それなりの観衆を集める中で、カナリーは初めてシャレイド・ラハーンディと顔を合わせる。
「あんたがモートンに
癖の強いざんばらな黒髪を掻き上げながら、どこか馬鹿にしたような目つきのせいで、秀麗なはずの顔立ちが歪んで見える。カナリーにとってシャレイドの第一印象は、控えめに言って最悪であった。
「モートンがお世話になっているらしいからね。不肖の弟子に代わって、師匠が相手してあげる」
「師匠ねえ。あいつの成長具合は並みじゃないぜ。もうとっくに逆転されてるんじゃないの?」
いちいち挑発的な言動に、カナリーが頭に血を上らせる。それも後から考えれば、全てシャレイドの作戦通りだったのだろう。闘志剥き出しで臨んだつもりのカナリーは、敵陣に深入りしすぎたところをあっという間に包囲され、完膚なきまで叩きのめされるという結果に終わってしまう。ここまでの惨敗は彼女に
「まあまあだけど、あんたじゃ俺の相手にならないよ。モートンの方がよっぽど歯ごたえがあるなあ」
忌々しい捨て台詞まで残されて、カナリーがジェスター院に入って涙したのは、このときの悔し泣きが最初のことである。
だがカナリーのカナリーたる所以は、凹んでままではいられないところにあった。
「シャレイド・ラハーンディ、いざ勝負!」
シャレイドがその年の
対局はもっぱら、
「お前は相手の弱点を見抜くのは上手いけど、そこから先の視野が狭いんだよ。だから終盤になってこういう不意打ちを喰らう、ほら」
カナリーとの対局を重ねる内にいい加減慣れたのか、シャレイドは徐々に解説を交えるようになっていった。
「ああ! もう少しで詰みに持っていけたのに……」
「何言ってるんだ。これは俺がそういう風に仕向けたんだよ。罠に掛かったってことを理解しないと、何度やっても同じ目に遭うぞ」
悔しそうに唸るカナリーを見て、シャレイドはその隣で興味深そうにふたりの対局を見守っていたモートンに声を掛けた。
「おい、モートン。今度はお前が相手してやれよ」
「俺が? いや、でもカナリーはお前と指したがってるんだから」
「いいから。いいか、カナリー。言っておくけどモートンはもう、相当に強いぞ。少なくとも俺との最近の対戦成績はほとんど互角だ」
シャレイドの台詞に、カナリーは目を丸くしてモートンの顔を見た。しばらくシャレイドばかりを追いかけていたカナリーは、その間モートンと対局していない。シャレイドに促されるままにふたりが対局すると、モートンが仕掛けた重厚な布陣にカナリーが手も足も出ないまま封殺されるという結果に終わった。
「モートンってば、いつの間にこんなに強くなっちゃったの……」
「モートンはオーソドックスだがミスが少ないから、ちょっとやそっとじゃ簡単に崩れない。それに例え劣勢に回っても、そこからの修正力が半端じゃない。理詰めの戦法ならモートンに学んだ方がいい。元・師匠としては納得いかないかもしれないけどな」
呆然とするカナリーに向かって、シャレイドが冷静に告げる。その言葉にモートンがむず痒そうな顔を見せた。
「お前に褒められると、なんだか気持ちが悪いな」
「俺のやり方はそもそも、人に教えられるもんじゃないんだよ。俺が見ているのは立方体の中じゃなくて、相手の頭の中だ」
そう言ってシャレイドは自身のこめかみに指を立てる。
「頭の中って何よ? 考えてることが読めるって言うの?」
カナリーが胡散臭いものでも見るような目を向けると、シャレイドはむしろしたり顔で頷いてみせた。
「なんとなくだけどな。相手がどんなところを見落としているとか、勘が働くんだよ。だから俺のやり方は俺だけのもんだ」
「何それ、ずるい。でも、勘でわかるっていっても、モートンには負けることもあるんでしょう?」
「こいつはそもそもミスしないし、ミスしても隙を突く前にすぐ立て直してくるからやりにくい」
そう言うとシャレイドは薄く笑って、さらに付け足した。
「それに相手の考えがわかったからといって、俺が最善手を指せるかはまた別だ。必ず勝てるかというと、そうでもない」
カナリーはシャレイドの言うことに完全に納得したわけではない。だが少なくとも、シャレイドの棋風は参考にならないのだろう、ということは理解出来た。
「次は、モートンに勝ったら相手してやるよ。というわけでモートン、しばらく師匠の相手を頼んだぞ」
「そりゃあ構わないが、カナリーのご執心の相手はお前なんだから、たまには相手してやれよ」
「……ふたりとも人のこと、お荷物みたいに押しつけて、今に見てなさいよ!」
ふたりを見返してやりたいという気持ちを募らせて、半ば以上はカナリーが強引に引っ張り回す形ではあったが、三人で共に過ごす時間は増えていった。場所もカフェテリアから院内の敷地の至る所に広がり、やがて街中に出て、揃って遠出するようになるまでさして時間は掛からなかった。
このまま卒業するまで、この居心地の良い時間を三人で共有出来るものだと、疑いもしなかった。もちろん卒業後はそれぞれの進路に進むことになるのだろうが、ここで培われた絆が途切れることはないだろうと信じていた。
だがシャレイドはどうしようもない理由で、カナリーの前から姿を消してしまった。しかも彼と再び相見えることが出来るのかどうか、その保障もない。
そして今、彼女自身がジェスター院から去ることを余儀なくされていた。
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