第五話 復讐の檻に迷い入る(2)

「俺はいずれ、政治家になろうと思う」


 例年に比べて寂しい卒業式となってしまったその日、わざわざ仕立てたに違いないぱりっとしたスーツに身を包んだジノは、モートンとカナリーに向かってそう宣言した。


 ジェスター院の卒業式では、銀河系中で正装とされる長衣をまとう者は少ない。


 初代学長のドリー・ジェスターはスタージア嫌いで知られており、スタージアの博物院生たちが着用する長衣姿にもいい顔はしなかったため、というのがもっぱらの定説だ。ジェスター院から博物院へは毎年研修生が送り出されているが、その内のひとりも博物院生に採用されないことが、彼女の癇に障ったのだろうと伝わっている。噂の真偽のほどはともかく、彼女が晩年に「人類の拡散」を唱えたのは、スタージアから離れて、いわば独り立ちすることこそに人類の未来がある――そう信じての提言だということは、彼女自身が明言している。

 だが彼女の言う通りに切り拓かれた外縁星系コーストが、今や銀河連邦の最大の危機を産み出しているのは、なんとも皮肉な話だった。


「ジェスター院にいる間、俺は今置かれている状況に対して何も出来ない自分が、歯がゆくて仕方なかった。何とかしようと思ったら、自分で行動するしかない」


 モートンとカナリーは、ジノにとって最後となるカフェテリアでのひとときに付き合っていた。タンブラーに注がれたコーヒーを片手に、口髭を震わせながら真っ直ぐに決意を語る友人の顔が、モートンの目には眩しく映る。


「ジノはゴタンで法律家になるんじゃなかった?」


 カナリーの言葉に、ジノは小さく笑って答えた。


「ああ、地元の代理人事務所で働く予定だよ。トラブルを抱えた人々の間に入って仲裁するって仕事だ。そこで経験を積んでからの話だな」

「そういえば政治家も似たような仕事かもね。相手にする人の数が桁違いだけど」

「確かに、ジノには向いてるかもしれない」


 モートンにとってジノ・カプリとは、出会ったときからプライドの高い優等生型の秀才であり、その印象は今でも変わらない。だが同時に、これまでジェスター院で出会った誰よりも芯の太い男だとも思う。

 彼は自身を高めることに最も重きを置いているし、そんな自分に誇りを抱いている。正しいプライドの在り方を心得ているのだろう。だから己の失敗や敗北にも向き合えるし、相手のことも慮れるのだ。アッカビーのように偏屈な男とも対等に付き合えるのだから、きっと多くの人の声に耳を傾けることが出来るに違いない。


「俺はどちらかというと、モートンの方が政治家向きだと思っているんだけどな」


 ジノにそう言われて、モートンは予想外という顔で首を振る。


「俺には無理だよ。いつも迷ってばかりだし、目の前のことで手一杯だ」

「目の前と言ったって、お前の目には普通の人よりも色んなものが見えているんだと思うけどなあ。色々見えすぎて迷ってしまうんだろう」

「今さら買い被っても、なんにも出ないぞ」

「そいつは残念だ。次に立方棋クビカを指すときには、手心を加えてもらうつもりだったのに」


 モートンとカナリーはそろって顔を見合わせて苦笑した。ジノは冗談が今ひとつなのが玉に瑕だ。そのままコーヒーを啜っていたジノは、ふたりの表情には気づかないまま言葉を続ける。


「またみんなで対局できればいいんだが」


“みんな”という言葉に、ここには居ない人物が含まれていることを読み取って、モートンもカナリーもつい表情を沈ませる。今度はジノもふたりの顔に気がついて、彼もまた少し神妙な顔つきになった。


は無事に帰れたのかな」


 あえて名前を伏せながら、ジノはそう呟いた。彼もモートンから、シャレイドがジャランデールに向かった話を聞かされている。その後シャレイドの消息はようとして知れないまま、既に半年近くが経過してしまった。


「報せがないのは良い便りなんだろう、きっと。例の移動新法が施行された後だったら、そんなことも言ってられなかったんだろうが」

「域内の移動の自由を保障するために結成された銀河連邦で、あんな馬鹿げた法案が採択されるなんて、本末転倒もいいところだ」


 タンブラーを握り締めて憤慨しながら、だがジノの声は控えめに抑えられていた。カフェテリアには彼ら以外にも別れを惜しむ卒業生たちなど多くの人々が集まっている。だがその中に外縁星系人コースターの姿は見えない。今やジェスター院でも外縁星系人コースター憎しの声が幅を効かせており、そんな中でジノのような意見を大声で唱えるのは危険だった。


「俺が目指しているのはゴタンの議員じゃない、連邦評議会議員だ。大それた望みかもしれないが、実際のところ連邦に物申すとしたらそれが一番確実なんだ」


 声をひそめながら、だがその口調には熱がこもっている。もしかしたら本当に連邦評議会議員になってしまうかもしれない――そう思わせるだけの意気込みが、ジノの熱弁からは感じられた。


「ジノが評議会議員になれば、いつかまた立法棋クビカのために集まれる日が来るかもしれないな。期待してるよ」

「頼んだよ。でないと私、には負けっ放しなんだから」

「それは俺も同じだ。そうだな、立法棋クビカでリベンジを果たすために政治家を目指すというのも、悪くない」


 三人の間に、長らく味わうことのなかった和やかな空気が流れる。ここのところ常に誰かが悩みを抱えたり苛立ったりしてばかりで、こんな風に笑い合う時間を過ごせるのは久しぶりのことだった。


「もし評議会議員になれたら、テネヴェに常駐することになるんだな。その頃には俺もテネヴェに戻っているはずだから、是非遊びに来てくれよ」

「何年先の話になるかわからないのに、気が早いな。でもそうか、モートンはテネヴェに戻るのか」

「ここに来るのも、親父の現像工房を継ぐための勉強って名目で、なんとか許してもらったからな」

「院からは導師にならないかって誘われていただろうに、もったいない。俺はてっきり、カナリーと一緒に残るのかと思ってたよ」


 そう言ってジノがカナリーの顔を見る。


「確か、カナリーは院に残るって言ってたよな?」

「ええ? うん、まあ、そのつもりではいるけど」


 突然話を向けられてカナリーは狼狽えながら答えたが、その動揺の仕方はいささか大仰だった。


「でも私は導師の推薦をもらえるレベルじゃないから、まだわかんないかな」

「推薦がもらえる奴なんて、ほんの一握りだ。そんなのなくても、準導師にはなれるさ」

「そうだね、うん……」


 カナリーの表情はどことなく曖昧で、返す言葉も歯切れが悪い。彼女らしからぬ態度を見てモートンが口を開き掛けるが、ちょうどそこにジノの名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「しまった、もうこんな時間か」


 声のした方向に振り返るとカフェテリアの入り口辺りに、アッカビーを始めとする数人のスーツ姿の卒業生たちが待ち構えていた。これから卒業生同士で集まるのだと説明しながら、ジノが席から腰を上げる。いよいよ別れのときを迎えて、モートンとカナリーも共に立ち上がった。


「じゃあふたりとも、元気でな。絶対にまた集まって、立方棋クビカを指そう」


 ふたりとそれぞれに固く握手を交わしてから、ジノは爽やかな笑顔を残してカフェテリアを立ち去っていった。やがて彼の姿がほかの卒業生たちに混じり、その集団が見えなくなってからも、ふたりともしばらくそのままそこから動こうとはしなかった。


外縁星系人コースターも第一世代も、私たちみたいに立方棋クビカの対局で片をつけられればいいのにね」


 カフェテリアの入り口に目を向けたまま、カナリーはため息混じりに一言を漏らした。


立方棋クビカでやり合う分には、リベンジし合ったってお互いに鍛えられるけど、現実に復讐なんか始めたらきりがないよ。自分がやり返せば、今度はまた相手にやり返されるかもしれないんだから」


 カナリーが頭に思い浮かべているのは、ジャランデールの暴徒に姉を惨殺され、その報復としてシャレイドを通報したであろうフランゼリカのことだろうか。それとも保安庁に父を拘束され、兄を失ったシャレイドが、今後どんな行動を取るのかを危惧しているのだろうか。


「復讐の連鎖だな。でも一度囚われてしまったら、なかなか抜け出すことは出来ないんだろう」

「そうかもしれないけど……じゃあ、モートンはそれでもいいっていうの?」

「馬鹿馬鹿しいとは思う。でも、例えば誰か身内が被害に遭ってしまったら、俺だってどうなるかはわからないよ」


 兄の死を語るシャレイドの顔を思い出すと、モートンは復讐に駆られる者たちを簡単に否定することはできなかった。例えそれが不毛な未来を突き進もうとすることになるのだとしても。


「もう、そういうことを聞きたいんじゃないのに」


 モートンの言葉を聞いたカナリーは不満そうに口を尖らせて、ぷいと顔を背けた。唐突に不機嫌になる彼女に戸惑いながら、モートンは仕方なしに尋ねる。


「なんだよ」

「それでも俺がなんとかするとか、格好いいこと言えないの?」


 視線を逸らした彼女の声が微妙に震えていることに、モートンは気がついた。


「どうしたんだよ、いったい」

「だって、このままだとミッダルトもいつまたテロ騒ぎが起こるかわかんないんだよ。ジェスター院の中だって、何があるかわかんない」

「パレード事件の犯人が院生だったから? お前がそんなこと心配するなんて、なんだかさっきからおかしいぞ」


 モートンがそう言って肩に手を掛けても、カナリーは振り返ろうとしない。頑なに背を向けたまま、栗毛頭の少女は囁くような小声で呟いた。


「お父様がそう言うの。ミッダルトは、ジェスター院は危ないって」


 彼女の言葉にモートンは肩に置いた手を思わず浮かせて、そのまま硬直させる。


「お父様って……」

「今朝、連絡船通信が届いたの。すぐ帰国しろって」


 そしてようやく振り向いたカナリーの顔には、今までモートンが見たこともない、縋りつくような表情が浮かんでいた。


「どうしよう、モートン。私、まだ帰りたくないよ」

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