第二話 欲深き者(2)
「私の考えを述べても良いか」
断られるはずもないが、キューサックはあえてそんな前置きを口にした。ヴューラーが頷いたのを見てから、老人はおもむろに口を開く。
「レンテンベリはおそらく、銀河連邦の発展を最優先としている」
「それは連邦に関わる者なら、多かれ少なかれそうではないかしら」
「連邦に関わる者であっても、己の国と連邦の益を天秤に掛ければ、ほとんどは己の国をとる。私だってそうだし常任委員長、あなたもそうだろう。だがレンテンベリは違うのではないか」
「それは銀河連邦の発展のためなら、テネヴェを犠牲にしても構わないと?」
ヴューラーの当然の問いに対して、キューサックは頭を振った。
「それとも違う。あの女の中では連邦とテネヴェ――もしかすると加盟国全てかもしれないが、そのふたつに区別はないのだろう」
彼がそう言い終えると同時に、それまで穏やかだった庭先を気まぐれな強風が吹き抜けていった。キューサックたちの足元に、草の切れ端が吹き付けて小さく舞う。だがキューサックもヴューラーも、舞い上がる埃を前に一瞬目を閉じただけで、それ以上姿勢を揺らがせることはなかった。
ベープ管を手にしたまま、ヴューラーが言う。
「ピントンだけでなく、アントネエフやブリュッテルすら、彼女にとっては既に身内同然ということね」
「究極的には、そうなのではないか。少なくとも私はそう思っている」
キューサックの指摘が正しいかどうかはわからない。キューサックの単なる感想に過ぎないことは、お互いに理解している。ただ彼の言う通りだと仮定すれば、ヴューラーがイェッタに抱く不安が多少なりとも解き明かされる一助にはなった。
「イェッタは目についた者全てを、同胞と見做している。その通りだとしたら、私が感じる違和感も納得だわ。彼女に包み込まれてしまっているから、言わされているように感じるのかもしれないわね」
手にしていたベープ管を咥えて、水蒸気の白煙を吐き出したヴューラーの表情からは緊張感が減じ、肩の力も少し抜けたかのように見える。同時に長く編み込まれた黒髪を揺らしながら首を傾げる仕草が、キューサックの指摘に必ずしも納得しているわけではないことを物語っていた。
「でもあなたの話を聞いていると、まるで彼女が底抜けの博愛主義者のように聞こえるわ。そこだけは同意しかねるわね」
ベープ管の先に象られた銀の薔薇を向けられて、キューサックはむしろ大いに頷いた。
「それはそうだ。あれは決して慈愛に満ちた女などではない。我々以上に貪欲な女だよ」
それはまさしく老人の本音であった。あの女は目についた者全てを、決して同胞と見做しているのではない。ただ全てを呑み込もうとしているのだ。
そうだろう、イェッタ・レンテンベリ。
テラス席から目に見える小高い丘の向こう、深緑の森の上に広がる空が、うっすらと朱色に染まり出している。森の陰に沈みつつある陽に細めた目を向けながら、キューサック・ソーヤはここにはいない、だが彼らの会話に耳をそばだてているに違いない女の顔を思い浮かべて、そう語りかけた。
♦
(イェッタ、キューサック御大の言う通りだ)
勝手知ったるテネヴェ市立中央医院の長い廊下を、タンドラの乗るモトチェアが微かな音を立てながら滑るように進む。長時間に及ぶ定期検診を終えたばかりのタンドラは、常任委員会本部の事務局にいるはずのイェッタに向かって、そう呼び掛けた。
(あの老人の言うことは正しいよ。私たちは、いつまでも《繋がら》ないままではいられない)
イェッタが彼女の声を聞き逃しているはずはない。だが具体的な言葉を口にしたくないという感情が返ってくるばかりで、それ以上の反応はなかった。タンドラは生来の無表情を保ちつつ、内心で嘆息する。
彼女を乗せたモトチェアがロビーに現れると、待合席のロカがこちらに手を振るのが見える。申し訳程度に手を振り返すタンドラの顔は、普段に比べるとややくたびれて見えた。
「さすがに疲れているようだな。冷血に見えて、血を抜かれるのは苦手と見える」
ロカが下手な冗談を口にするのを聞いて、タンドラは片頬だけで小さく笑った。
「毎度、定期検診で半日以上潰されるのは慣れないよ。こんだけ長いこと拘束されれば、どんな健康な奴でも病気になる」
「減らず口を叩く内は大丈夫だな。まあ、長時間の検診が堪えることぐらいは私にも想像つく。今日はゆっくり休むことだ」
ロカの言う通りだった。そのままオートライドに乗り込んだタンドラは、オフィス兼住居の高層マンションに戻るまでの間、しばらく目をつむったまま一言も口を利く気になれなかった。彼女が思っている以上に、彼女の肉体は疲労に包まれていた。
スタージア宇宙港附属病院で施された治療によって、半身不随の身からモトチェアで動き回れるほどに回復したタンドラだが、それ以上の
(大体検診の度に、この
本来いつ死んでもおかしくないような状態から、無理矢理生命力を焚きつけて復活させたようなものだ。タンドラの
(あなたに無理されて倒れられても困るわ。私たちは本当の意味で一蓮托生なのよ。頼むからしっかり静養してちょうだい)
(わかったよ。あんまり心配しなさんな)
イェッタの気遣うような言葉に、タンドラが笑って答える。
セランネ区郊外の、ふたりのオフィス兼住居である高層マンションの一室にたどり着くと、タンドラを乗せたモトチェアは奥の寝室に直行した。寝室には、彼女がかつて入院していた頃に使用していた病室のベッドと同じタイプのものがあつらえられている。医療用ロボットの介助を受けながら、病衣に似た寝衣に着替えたタンドラは、そのままベッドに横たわった。
「着替え終わったか?」
リビングで待機していたロカの声を受けて、タンドラが入室を促す。寝室のドアを開けたロカは、片手にコーヒーカップを、もう片方にはスムージーが入ったタンブラーを手にしていた。
「確かスタージア宇宙港で、イェッタが気分を悪くしたときにスムージーが効いたのを思い出した」
思わず噴き出しそうになるのを堪えつつ、半身を起こして受け取ったスムージーを口にすると、柑橘系のひんやりとした味わいが口の中に広がっていく。この味を直接味覚で捉えるのはこれが初めてであることに、タンドラは気がついた。
「イェッタに効いたんだから、お前にも効かないわけがない」
自慢げにそう語るロカの顔が、タンドラにはおかしく思えてならない。
「女に優しくするときにほかの女を引き合いに出すなんて、最低の男だね」
「最低とは心外だな。第一、お前とイェッタは一心同体だろう。ほかの女というのもおかしい」
「わかってるよ。ありがとう」
率直に礼を言って、再びスムージーに口をつける。半分ほど飲み干してから、タンドラはベッドの枕に頭を乗せた。
「やっぱり少し疲れたね」
「それはそうだろう。本来ならテネヴェでじっくり静養に専念するべきと言われているのに、ここ数年お前はイェッタと一緒にあちこちを飛び回っているんだ」
特に銀河連邦準備委員会の開催地が加盟国持ち回りだったせいで、連邦発足前の数年間はテネヴェにいる時間の方が少なかった。ミッダルトからイシタナへ直行し、その後スレヴィアに立ち寄ってからようやくテネヴェに帰国出来るというようなスケジュールを当然のようにこなしていたのだ。健康な人間でも根を上げそうになる多忙ぶりだったのだから、ハンディを抱えるタンドラが感じていた負荷は並大抵ではない。
「それに比べれば、連邦が立ち上がってからは随分と楽になったよ」
イェッタが就任した事務局長という役職は、常任委員長のヴューラーを補佐すると同時に四局間や連邦評議会との調整まで務める、いわば銀河連邦の裏方全般を引き受けるポジションだ。常任委員会にも、議決権こそないもののオブザーバーとして参加する。雑務に追われて多忙であることに変わりはないが、常任委員会本部や連邦評議会があるテネヴェを動かなくても良いという利点があった。
「そもそもイェッタのために用意したような役職だからな」
「ヴューラーがイェッタを指名するだろうということはわかっていたからね」
イェッタのために用意した、というのはまさしく文字通りだった。連邦の首脳陣と連絡を保ち、同時に監視するために事務局の設置を提案したのはイェッタだ。そして常任委員長の輔弼機関という性格上、事務局長の任命権はヴューラーにあり、であればイェッタを指名するのはむしろ当然の流れであった。この人事に関してはイェッタもタンドラも、ヴューラーの意識に少しも干渉していない。
「移動せずに済むからといって、お前が定期検診が必要な身であることに変わりはない。今日はそのまま横になっているんだな。いくらイェッタと一心同体だからといっても、
「……そうだね。そうさせてもらおうかな」
子供に言い聞かせるようなロカの言葉に、タンドラは素直に従うことにした。
ロカには常任委員会本部にいるイェッタの元に向かうよう、そのまま退出を促す。彼が部屋を出るのを見届けてから、タンドラはブランケットを胸元まで引き上げつつ、イェッタの思念に呼び掛けた。
(イェッタ、そろそろ決断しなくちゃいけない)
瞼を閉じると同時に返ってきたイェッタの言葉は、タンドラの台詞に直接答えるものではなかった。
(今日はいつにも増して疲れてるわね)
イェッタの言葉にはタンドラの
(定期検診でどれだけ疲れるかで、自分の
(さっき病院のデータを覗いてきたわ。検診の結果も、もう大体出てた)
(あと十年保てばいいとこだね。そこら辺を目処に、その後のことを考えておいた方が良いだろう)
タンドラはあえて冷徹に見切った言い方をした。曖昧にしても仕方がないことだ。その想いは当然イェッタにも共有されており、だからこそ彼女はすぐに答えることが出来ないでいる。
(ディーゴのときのことを覚えているだろう)
タンドラの声に、イェッタは無言のままだ。彼女の返事を待たずに、タンドラは言葉を続ける。
(恒星間航行によってディーゴと引き裂かれたとき、私たちは、生き残るのは私たちの方だと無意識に自覚していた。それがなぜだか、わかっているよね)
(……私たちが、ふたりだったからね)
(そう。単純な話で、《繋がった》者同士が引き裂かれた場合、どうやら数が多い方が生き残る)
そのことをイェッタもタンドラも、経験則で知っている。では今やふたりきりとなった彼女たちの内、片方が寿命を迎えたら、残されるもう一方はどうなるのか。
(私が先に死んでしまった場合、おそらくあんたも道連れになる)
タンドラが口にした無慈悲な予言に対して、イェッタは必ずしも頷きはしなかった。
(そんなこと……わからないわよ。無理矢理引き裂かれたディーゴとはわけが違う)
(そうかもしれない。でもそうでなかった場合、あの衝撃をあんたひとりで耐え切れると思う? 現にディーゴは、そのショックで死んでしまった)
タンドラは強い表現を、意図的に使わなければならなかった。
イェッタを説得するためだけではない。自分自身にも言い聞かせるためだ。
もう、タンドラが何を考えているのか、何を言い出そうとしているのか、そんなことはイェッタもとっくにわかっている。だが例え思念のやり取りの上であっても、言葉にして確かめ合わなければいけない内容であった。
(イェッタ、誰かと《繋がら》なければいけないよ)
はっきりと言葉にされて、イェッタの思念がさらに押し黙る。耳を塞ぐことが出来るのならそうしたいという想いが、タンドラにもひしひしと伝わってくる。だがふたりの思念のやり取りの間で、聞かずに済まされる言葉はない。
(あんたが目をつけているピントン、彼がいい。彼は《繋がる》価値のある人間だ。きっとあんたや、連邦のためになる。彼以外にも四局の局員の中から、何人か候補を見繕っておこう)
(ねえ、待って)
イェッタの思念が、抗うように声を発する。だがタンドラは聞き入れない。ちゃんと最後まで、言葉にしておかなければいけないのだ。
(そうでもしないと、あんたまで死んでしまう。大丈夫、私たちは混じっているって、あんたが言ったことじゃないか。あんたが生き残れば、私は死んだことにならない。それに銀河連邦はまだあんたの力を必要としている。私は、私の
(そうじゃない。私が言いたいこと、わかっているでしょう?)
訴えかけるような感情をまといながら、イェッタの思念が発した言葉は悲痛だった。
(そうやって私はいろんな人と《繋がって》、やがて不滅の存在として銀河連邦を内から支配していくことになる。でもそれじゃまるで、《スタージアン》と一緒じゃないの)
その通りだ。タンドラはつまり、イェッタに《スタージアン》と同じ在り方を目指せと告げている。
キューサックの洞察は正しい。《繋がる》こととは、キューサック風に言えば周囲を呑み込んでいくことにほかならない。そしてそうしない限り、イェッタはこの先を生き残れない。
(本当に《スタージアン》と同じようなやり方をしなくてはならないの?)
(いい加減に自覚するんだ、イェッタ)
ほとんど泣き出しそうなイェッタの、さらに奥底にある、彼女自身が無意識に目を逸らし続けてきた本能を呼び覚ます。タンドラにはそうするしかなかった。むしろその本能に突き動かされて、ふたりはこれまで共に生きてきた。長らく生活を、いや生物として共生してきたイェッタの本能は、今やタンドラの本能でもある。
(どんな手段を使っても生き延びる。それが私たちの正体だよ)
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