第二話 欲深き者(1)

 銀河連邦四局の局長を務めるのは各国の代表となる銀河連邦評議会議員だが、各局のナンバー2である局次長以下は局長が任ずることになる。各局員を揃えるのに、準備委員会は各国からの自薦他薦を問わない様々な人材を招き集めた。ローザン・ピントンは航宙局長ステッド・ジェスターに招聘されたという形で、航宙局の初代局次長に就任する。


「さてさてこのような大役、私ごときが引き受けて良いものかどうか。甚だ恐縮ではありますが、とはいえ任されたからには、粉骨砕身で取り組む所存です」


 大仰にへりくだりながら拝命したピントンは、いささか肥満が過ぎることが目立つ程度の、どこにでもいる小柄で人の好い中年男性に過ぎない。ひたすら腰の低いピントンを初めて見た部下たちは、果たしてこの小男に局次長が務まるのかと顔を見合わせたという。


「今やそんなことを言える者が、果たしてどれだけいることか」


 四局の局次長に事務局長を加えた、銀河連邦の実務の長たちによる連絡会の場で、イェッタはそう言ってピントンの顔を見やった。


「ピントン局次長は域内の連絡船のスケジュールを全て暗記しているとか、いつ寝ているのかとか、実は三つ子なのだとか。ちょっとした伝説になってますよ」

「いやいや、お恥ずかしい。根が貧乏性なもので、動いていないと落ち着かないんですよ」


 丸々とした顔のあちこちにハンカチを当てながら、中年の小男は大袈裟に恐れ入ってみせた。


 イェッタが口にした噂は、どれも冗談めかしながらも、常任委員会本部で実際に囁かれているものばかりである。それほどピントンの精力的な働きぶりは際立っていた。

 アントネエフ直属の部下として働いていた頃は、主人の苦手な策を巡らす役を担うことが多かったようだが、本質は実務家向きなのだろう。寝る間も惜しまない精勤ぶりもそうだが、情報を収集し、正確に状況を把握し、そして迅速かつ的確に案件を処理していく能力は、数多の官僚の中でも群を抜いている。事実彼の働きによって、五年はかかるだろうと思われていた連邦域内の航宙制度統一は、三年以内に果たせる見込みが立っていた。


「本当にあなたが来てくれて良かった。心なしか、ピントン局次長も以前に比べると活き活きとされているように見えますわ」

「上司が替わったから、とは仰らないで下さいよ。バジミール様、いえ安全保障局長の耳にでも入ったら、私の帰る家がなくなってしまいます」


 イェッタの少々意地の悪い物言いに対して、ピントンは片目をつむって茶目っ気すら匂わせる。仮にアントネエフが聞いたとしても問題になることはないという、強い信頼に裏付けられた反応だ。


「そうなったらピントン局次長は、銀河連邦一筋で生きていくしかないということになりますね……アントネエフ卿にお願いする価値はありますわ」

「勘弁して下さい、事務局長。あなたのご提案は毎度心臓に悪い。心労が過ぎて、スレヴィアに連絡船通信を送る度、家人には痩せたんじゃないかと心配される始末ですよ」


 突き出た腹をぽんぽんと叩きながら、ピントンが細い眉をひそめる。同席していたほかの局次長たちが笑い合う中、一緒になって微笑むイェッタの琥珀色の瞳には、冗談に興じる以上の表情が潜んでいた。



「航宙局は連絡船通信も一括して管理しているのだったな」


 そう言ってキューサック・ソーヤは、濃緑色の茶で満たされたティーカップを一口啜る。


「ならば誰と誰が連絡を取ったかを知るのも容易いだろう。通信の中身までとなるとわからんが」

「おそらく中身まで把握してるわ。あのピントンならね」


 キューサックの言葉に頷きながら、彼と同じようにティーカップに口をつけたヴューラーは、すぐに顔をしかめてカップを離した。


「イェッタに聞いた通り、現像機プリンターのレシピをあなた好みに調合しておいたんだけど、いくらなんでも濃すぎたかしら」

「そんなことはない。これぐらいの方が、目が覚めてちょうど良い」

「そう? どうもあなたとは肝心の所が相容れないわね」


 ヴューラーはふたりの間に置かれた木製の円卓の上にティーカップを置くと、傍らのサイドテーブル兼用の現像機プリンターから新たにコーヒーの入ったカップを取り出した。口直しとばかりに軽く呷って、ようやく一心地着いた顔を見せる。その様子を見て「ふん」と小さく呟きながら、キューサックは再びティーカップを口元に寄せた。


 ふたりは今、セランネ区郊外にあるヴューラーの別宅の、屋外のテラス席にいた。屋敷から庭に向かって大きく張り出した庇の下で、円卓を挟んでキューサックはモトチェアのまま、ヴューラーは円卓とデザインを揃えたシンプルな木製の椅子に脚を組んで腰掛けている。眼前には小高い丘陵のうねりが広がり、その向こうには深緑の木々が複雑に重なって繁り、森の奥を遮っていた。頬を撫でる微風が心地よい温暖な季節の昼下がり、庭先で茶会を催すには絶好の日和だ。

 だがふたりの間で交わされるのは、穏やかな場面におよそ似つかわしくない話題ばかりであった。


「ピントンは間違いなくアントネエフに通信記録を流しているわ。私のミッダルト行きに連邦軍の閲兵式をぶつけてくるなんて、露骨な妨害以外の何物でもない」

「ミッダルトにはどういった用件で、わざわざ足を伸ばすつもりだったのだ」

「ジェスター後の連邦評議会議員の選定について、極秘に相談を受けていたの。彼の後任候補に会うつもりだったんだけどね。ジェスター自身、自分が退くことでスレヴィアからの影響力が削がれることを考えている。あなたが市長を辞任したのと同じよ」

「非公式な訪問では、日程を被せられても文句は言えまい。アントネエフが一枚上手だったな」


 渋い表情を浮かべるヴューラーをよそに、キューサックは涼しい顔でそう言い放つ。公式な立場を離れて世間的には隠居の身となった彼は、以前のように眉間に深い縦皺を刻むことも少なくなった。好きにものが言える立場となったことに、十分満足しているように見える。


「全く。あなたがさっさと引退してしまったものだから、後の私たちが苦労するのよ」


 ヴューラーの憎まれ口も、キューサックには露ほども届かない。


「テネヴェの魔女から女帝に昇格し、今や銀河連邦に君臨する立場にまでのし上がったのだ。見返りとしては十分だろう」

「頂点に立って見えるものといったら、存外面白みがないということもよくわかったわ。やたら気苦労が多い割に思い通りにならないことばかり。まだディーゴが生きていた頃、あなたたちとここで議論を戦わせていた頃の方が、よっぽど楽しかった」


 肩を竦めながら、ヴューラーは銀の薔薇が先についたベープ管を取り出した。茶を啜るよりもコーヒーを呷るよりも、煙を味わう方が余程落ち着くのだろう。ベープ管の吸い口から肺一杯に吸い込み、吐き出された大きな白煙が円卓の上に漂ったかと思えば、跡形もなく霧散した。ヴューラーが無心でいられる、数少ない瞬間である。


 今や天下の銀河連邦常任委員長となったヴューラーが気兼ねなく愚痴を言える相手といえば、かつてのライバルにして盟友だったキューサックぐらいなものなのだ。彼女が貴重な休みにわざわざ招待してきたのはそういうことなのだろうと思い、キューサックは招きに応じたのだった。


「銀河連邦の初代常任委員長として、グレートルーデ・ヴューラーの名前が歴史に残るのは確実だ。これ以上重圧で肩が凝るようなら、私のようにさっさと後継者に押しつけて引退してしまえば良い」

「重圧を押しつけた相手にそれを言うのは、いくらなんでもあんまりじゃないかしら?」


 キューサックの言い分に、ヴューラーはそう言って苦笑した。


「そうね。アントネエフたちをもう少しおとなしくさせて、後継者の目処がついたら考えるわ」


 ヴューラーの言葉に違和感を覚えて、キューサックはすっかり真っ白になった顎髭をひと撫でする。


「後継者候補はレンテンベリで決まりかと思っていたが、含みのある言い方だな」

「イェッタはね、頭はいいし度胸もある。後継者の器としては申し分ないんだけど」


 そこで一度言葉を区切って、ヴューラーは再びベープ管を咥える。再び吐き出されたベープの煙は、今度は細く糸を引くような形を成していた。


「話を戻すわ。ピントンの件、彼が連邦に有益なのは認めるけど、如何せんアントネエフの色が強すぎる。航宙法制の統一化が済んだら排除するべきだと、私は思っている」

「ふん。まあ、そうかもしれん」

「だけどイェッタはそう考えない。彼女はピントンが有能なら、当然のように手元に置こうとする。彼がアントネエフの忠実な部下であることなど、どうでもいいといった具合に」

「なるほど」


 後継者としてイェッタの名を挙げようとすると歯切れが悪くなるヴューラーの真意を、キューサックは理解した。


「いかにもレンテンベリらしい。あの女は最初からそうだ。ディーゴに取り入り、あなたや私を味方に引き込み、そして最大の敵だったはずのローベンダール惑星同盟まで組み込んで、銀河連邦の結成を果たした。銀河連邦に必要ならピントンのひとりやふたり、仲間に引き入れようと考えるのも当たり前なのだろう」

「敵味方問わずに有能な人材を手に入れる、それは政治家だけでなく、誰もが一度は夢想することだわ。でも思い返してみればあなたが言うように、これまでイェッタはことごとくそれを実現してきた」

「怖いのか」


 キューサックに覗き込まれるように問われて、ヴューラーは少し考え込む。やがて発せられた言葉は、一言一言噛み締めるようにして紡がれた。


「怖いのかもしれない。でもおそらく彼女は、いずれピントンも仲間にしてしまうでしょう。そしてそのことを、私は当然のように受け入れてしまう。本当に怖いのは、多分そこね」


 そして一瞬の静寂が訪れる。ふたりがたたずむテラス席に、微かにそよぐ風を感じながら、キューサックは黙ってヴューラーの次の言葉を待っていた。ヴューラーはベープ管の吸い口を咥えようとして、とどまり、そのまま大きな黒い瞳をモトチェアの老人に向けた。


「イェッタと一緒にいると、時々自分はイェッタの意思を代弁しているだけじゃないか、そんなことを考えてしまうときがあるのよ」


 ヴューラーは銀の薔薇をあしらったベープ管を手にしたまま、木製の椅子の背凭れに長身を預け、褐色の肌が覗く長い脚を組んで腰掛けている。傲然すれすれまで自信に溢れた表情と相まって、その姿は銀河連邦の頂点に立つ女傑に相応しい。だがキューサックの前でしか口にしないであろうその言葉には、彼女の外見からはかけ離れた不安が色濃く表れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る