第三話 アントネエフ卿の困惑(1)
テネヴェが銀河連邦の本拠地として選定されて以来、この星の産業構造は大きく変化した。
それまで主力だった農産業主体の一次産業に加えて、加盟各国の膨大な情報を処理しなくてはならない銀河連邦の本拠地機能を充実させるため、情報産業への需要が高まったのである。
テネヴェ市政府はこの特需を逃さず、情報産業の振興へと力を注ぐことを決める。その効果は数年を待たずして覿面に表れた。電子情報機器の
テネヴェ発の情報産業の発展は、航宙と通商の自由が保障された銀河連邦域内に行き渡り、加盟国の生活水準を向上させることに大いに貢献する。遠からず、銀河連邦がエルトランザ、バララト、サカと同等以上の国力をつけることになるだろうことは、今や誰の目にも明らかだった。
「銀河連邦の創設十周年となるこの日を皆様と共に祝うことが出来るのは、心からの喜びです」
今や銀河系でも屈指の情報産業都市となったセランネ区の、最高級と称されるホテルの大会場で、壇上のヴューラーが列席者に向かって声を掛けた。
日中からテネヴェ中で催されていた銀河連邦創設十周年の記念式典は、各国代表や関係者を集めたこのパーティーをもって締めくくられる。ヴューラーの声は高らかと言うほど高揚しているわけではなく、だが威厳を伴った豊かな声量で、会場にひしめく人々の耳に遍く行き届いた。かつてテネヴェ市長に就任した際に立った場所と同じ位置から、ヴューラーは手にしたグラスを掲げながら乾杯の号令を発する。時を置かずして列席者たちが唱和し、会場は一様に歓声で埋め尽くされた。
「誠にめでたい。感無量ですな」
早速シャンパンを空けたピントンが、丸い頬をうっすらと紅潮させながら、陽気な声を掛けてくる。イェッタはグラスを片手にしたまま、微笑を浮かべて応じた。
「少々気が早いのではないですか。ピントン局次長が感極まる瞬間は、このあとに控えてますよ」
「いやいや、それを言われてしまうと否定出来ませんな」
額をぴしゃりと叩いて、ピントンは相好を崩した。わざわざ彼の内心を探らなくとも、その瞬間を待ち望むピントンの内心は誰の目にも明らかだ。
「しかしこう申し上げてはなんですが、事務局長からはもう少し睨まれるものかと思っておりました」
ピントンがそう言って探るような目を向けるが、イェッタは微笑を崩さない。
「睨むだなんてとんでもない。銀河連邦の発展のためには、むしろ当然だと思っています」
「そう仰って頂けると心強いですな。今後も連邦のために、共に協力して参りましょう」
肉付きの良い手を差し出されて、イェッタの白く細い手が握り返す。にこやかな表情の裏で様々な思考を巡らせることが常のピントンが、今夜ばかりは裏表のない笑顔を浮かべていた。そんな彼を見ていると、いっそ微笑ましいとさえ思えてくる。
壇上の脇に設けられた巨大な円盤状の投影装置には、銀河連邦創設からこの十年間の歩みを綴ったホログラム映像が流れていた。創設宣言を高らかに唱えるヴューラーの演説から始まる一連の映像は、関係者たちの働きをいささかドラマチックに演出した内容だったが、航宙法制の統一化と、曲がりなりにも銀河連邦軍の編成を果たしたことは、間違いなく特筆すべき業績である。最後に連邦軍の大艦隊が出航する様子を映し出したところで映像が終了すると、タイミングを見計らったかのように金髪の偉丈夫が壇上に姿を現した。
バジミール・アントネエフがこの十年で果たした功績は、ある意味でヴューラー以上とも言える。
アントネエフはローベンダール惑星同盟軍を丸ごと銀河連邦軍に充当せず、連邦域内の治安維持を目的とした保安庁とに分けて再編した。その成果は、域内の航宙事件・事故の発生率の劇的な低下という数字に表れている。今や『銀河連邦軍の父』『銀河連邦保安庁の父』として、彼の名声はヴューラーに勝るとも劣らない。
銀河連邦内部における派閥争いでも、三年前にドーロ・ブリュッテルが死去したことによりローベンダール派は求心力を失い、アントネエフが率いるスレヴィア派が主流を占めつつある。そして今夜、彼は生涯の頂点を迎えようとしていた。
壇上ではヴューラーが、トレードマークとなった銀の薔薇を象ったベープ管を両手に抱えるようにして、アントネエフを待ち構えている。列席者が注目する中、ふたりが立ち並ぶ様子はヴューラーの市長就任時の一幕を想起させたが、その立場は明確に異なった。
「アントネエフ卿、明日より銀河連邦常任委員長の座を託します」
そう言ってヴューラーが両手で差し出したベープ管を、アントネエフはまるで王冠を賜るように恭しく受け取った。
「このバジミール・アントネエフ、ヴューラー常任委員長が今日まで築き上げてきた功績を胸に刻みつつ、銀河連邦のさらなる発展に邁進することを誓いましょう」
銀の薔薇を天井に向けて突き出しながらアントネエフが高らかに宣誓すると、会場には再び歓声が湧き上がった。長年仕えてきた主人の晴れ姿を目の当たりにして、ピントンが目尻にハンカチを当てている。その姿を見て、ロカの黒い精悍な顔立ちはあからさまに不服そうだった。
「本当にこれで良かったのか」
小声で不平を口にするロカを、イェッタが苦笑交じりに窘める。
「ほかに手はないでしょう。旧惑星同盟諸国に負担金軽減期間の終了を説き伏せられるのは彼しかいないわ。その報酬が常任委員長の座というなら安いものよ」
「ヴューラーも良く納得したな」
アントネエフの常任委員長就任は、二期十年の任期を務めて改選のタイミングを迎えたヴューラーが、常任委員長と連邦評議会議員の引退を宣言したことによるものだ。この時点で次代の常任委員長候補と言えば、アントネエフを置いてほかはいなかった。もちろん引退を宣言する直前に、ヴューラーが旧惑星同盟諸国の説得をアントネエフに確約させたのは言うまでもない。
「どのみち彼女もそろそろ潮時と考えていたみたいだし。ちょうど良い頃合いだったのよ」
「しかしお前はどうなるんだ。アントネエフが常任委員長となれば、事務局長に指名されるのはピントンに決まっている」
ロカの懸念は当然、というより衆目の一致するところであった。ピントンは相変わらず銀河連邦随一の能吏であり、またアントネエフの腹心である。新たな事務局長に就くのは、彼以外に有り得ない。
「それはあなたも知っての通りよ。ヴューラーは私のことを次の連邦評議会議員に推挙すると言っているし、私も受けるつもり」
「それにしたって、事務局長として連邦に関わるのとは雲泥の差だ」
銀河連邦の中枢に関与する機会は、事務局長の方がはるかに多い。だがイェッタの顔に落胆はなかった。壇上を降りた瞬間から列席者に囲まれるアントネエフと、その傍らに控えるピントンに向けられた琥珀色の瞳に、険しさはない。
「ロカ、あなたとの付き合いも、もう十年以上になるのね」
唐突な台詞を口にするイェッタの横顔を、ロカは戸惑うように見返した。
「もう、そんなになるか。そう言われるとあっという間な気がするな」
「その間、私はいっつもあなたに怒られてばっかりだった気がするわ」
「怒ってるわけじゃない。突然だったり不可解なことを問い質しているだけだ。それが私のやり方だし、そのままであれと言ったのはお前だろう」
「その通り、それでこそロカ・ベンバだわ。だから信用してるのよ」
イェッタは頷きながらロカに振り返る。そして彼女が口にした台詞は、ロカを唖然とさせるには十分な一言であった。
「アントネエフもピントンも同じ。ふたりとも、もう私たちの敵じゃない。そろそろ彼らを仲間と呼んでも良い頃だわ」
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