第五話 種播きの歌(1)

『銀河連邦』という言葉は、ヴューラーの市長就任から半年も経たない間に、あちこちで一般市民の会話の俎上にも上るようになっていた。ヴューラー自身が公に口にしたテネヴェだけではない。市長選前から各国行脚していたキューサックの訪れた先々、そしてその噂を聞きつけたローベンダール惑星同盟、果てはエルトランザ、バララト、サカの複星系国家と、最終的には銀河系人類社会の全域で取り上げられる共通の話題にまで成長していた。

 その大半は弱小の独立惑星国家が描いた夢想として嘲笑され、あるいは哀れまれるにとどまり、多少盛り上がるとしても酒の肴として話題になる程度であった。だが一方で、真剣に検討する者がいないわけではない。


 なぜなら机上の空論と言って切り捨てるには、巷で噂される銀河連邦構想とやらがやけに現実的なものだったからである。


 加盟国間の航宙・通商・安全保障の共通化のみを目指すというその内容は、多種多様な各国間の最大公約数的な共通項を抜き出したものであり、少なくとも実現の可能性がゼロではない、と思わせる程度には十分なものであった。


「といっても、多少なりとも前向きなのはミッダルトぐらい。ほかはどこもかしこも様子見よ」


 オートライドの後部座席に凭れたイェッタが溜息混じりにそう口にすると、運転席から振り返ったロカが当然といった面持ちで頷いた。


「まだ海のものとも山のものともつかない話を、早々に見極めろというのも無理な話だろう」


 ふたりを乗せたオートライドは、テネヴェの各地からセランネ区に向かって網の目のように張り巡らされたパイプ・ウェイのひとつを、高速で移動中だった。


「むしろここまで銀河系中に広まっていることの方が、私にしてみれば驚きだ」

「それはキューサック御大のおかげね。あちこちで大袈裟に吹聴して下さったおかげで、少なくとも銀河連邦構想そのものは着実に浸透している。未だ帰国されずに遊説に明け暮れてらっしゃるというのだから、頭が上がらないわ」


 パイプ・ウェイが大きくカーブし、車内のイェッタの身体からだが心持ちドアに押しつけられる。窓ガラス越しに目に入る、恐るべきスピードで次々と後ろへと流れていく建物たちが、いつの間にか高層の巨大建造物ばかりになっていた。既にセランネ区の中心街区に入った証拠だ。そう思った矢先にオートライドがスピードを落として、間もなくパイプ・ウェイから一般道路に降りる。目的地の市長公邸まではここから五分足らずで着くはずであったが、オートライドの自動操縦は大通りを経由した最短距離を進むことを避けて、やや遠回りとなる裏道を抜ける道筋を選択した。


「またデモで道が塞がっているのか。ここのところ多いな」

「サカとの交易ルートが事実上封鎖されて、農産物が売り先を失っているからね。市長に不満をぶつけるしかないのよ」


 裏道に沿って立ち並ぶ建物たちの合間から、人々の群れが大通りを行進していく様がちらほらと覗く。彼らが向かう先には市長公邸の敷地の正門がある。集団は秩序だった足並みで要求を口々に叫ぶ程度だから、危険性があるわけではないだろう。とはいえわざわざ彼らの前で、公邸の中へ入っていく様子をこれ見よがしに見せつける必要もない。無用の刺激を避けて、イェッタとロカを乗せたオートライドは公邸の裏口へと回った。


 ロビーにロカを待たせて、イェッタは市長公邸の二階にある会議室を訪れた。部屋の中央には大きな黒塗りの長楕円形テーブルが据え置かれ、数名が既に着席している。その最奥の席に、見慣れた赤いロングストール姿のヴューラーが腰掛けていた。ヴューラーはイェッタの姿を認めると、銀色の薔薇が着いたベープ管の先端を振って出迎えた。


「あなたが遅刻とは珍しいわね、イェッタ」

「申し訳ありません。途中でデモ隊を回避するため、回り道をしてしまいました」


 イェッタの口上を聞いて、ヴューラーの分厚い唇が歪む。


「あの連中も、よく飽きずに騒ぎ続けられるものだわ。サスカロッチャはどう?」


 サスカロッチャからこの会議に駆けつけた来たイェッタは、伏し目がちに頭を振った。


「デモは発生していませんが、ある意味セランネ以上に深刻ですね。ちょうど収穫直後にサカとのルートが封鎖になったせいで、農産物価格暴落の煽りを受けた農家ばかりです。私の事務所だけでなく実家にまで、農業共同体が陳情に押し寄せています」


 彼女の回答は予想の範疇だったのだろう。ヴューラーは歪めた唇をそのままに開いて、ベープ管の端を挟んだ。一息に吸い込んで、そのまま吐き出される白煙がテーブルの上を漂う。水蒸気の煙は膨張したかと思うと、あっという間に霧散した。既に着席していた列席者たちが煙の動きを目で追う隙に、イェッタは会議卓の末席に着席する。


 会議に出席するのは議員や官僚、民間の専門家を問わず、銀河連邦構想を実現すべくヴューラーが掻き集めた人材ばかりである。ヴューラーの市長就任以来、既に何度も回を重ねたこの会議の中で、イェッタはヴューラーの補佐役的な立場を任じられていた。若く、まだキャリアも乏しいイェッタの実力を疑問視する声は少なくなかったが、ヴューラーの鶴の一声に反対する者もいなかった。何より銀河連邦構想を最も詳細に把握しているという点で、イェッタの右に出る者はいない。末席を定位置としながらも、イェッタの存在感はこの中でヴューラーに準じている。


 今日の議題は銀河連邦構想の実現に当たっての最大の課題である、安全保障面の確立についてであった。航宙・通商面についても問題は山積しているが、このふたつを担保するための安全保障――詰まるところ警察軍事力の整備については、道筋すら見えないのが現状だ。

 来月、スタージアで四百周年の祖霊祭が催される。スタージアはその場で銀河連邦構想への賛同の意を表明することになっており、ヴューラーやイェッタも出席する予定だ。祖霊祭自体が参加各国に対する銀河連邦への加盟を呼びかける最大のプレゼンテーションの場となるわけであり、それまでに不安要因は解消しておきたかった。


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