第四話 女帝誕生(3)
市長選は大方の予想を裏切ることなく、ほかの候補に圧倒的な大差をつけて、グレートルーデ・ヴューラーが第十六代目のテネヴェ市長に就任することに決まった。
ヴューラーの市長当選祝賀パーティーは、セランネ区でも最高級の誉れ高いホテルの大会場を借り切って催された。パーティーには各界の著名人がこぞって参加し、新市長との知己を得ようと躍起になる姿が至るところで見受けられる。会場に駆けつけた面々に対して、それまでの親密度を問わず、ヴューラーは等しく笑顔で対応した。会場中央で多くの人々に取り囲まれる彼女は、常日頃から放っていた威圧感に替えて、絶対的な強者にしかまとうことの出来ない余裕に身を包んでいる。彼女のことを「魔女」と呼んでいた人々もその姿を見て、今や彼女こそがテネヴェの最高実力者である「女王」なのだということを認めざるを得なかった。
宴も半ばに差し掛かったところで会場の受付に新たに現れたのは、男性の二人組だった。先に受付に声を掛けたのは、小柄に比してやや体重過多な、人の好さそうな笑顔を浮かべた中年男性。もうひとりはオールバックの金髪に堂々たる体躯の偉丈夫――すなわちバジミール・アントネエフである。
「ローベンダール惑星同盟より、ヴューラー新市長の就任祝いに駆けつけました。急な参上で恐縮ですが、何卒新市長へのお目通りを願えますでしょうか」
恰幅のよい小男が、受付に向かってひたすら低姿勢に伺いを立てる。だがその後ろで無言のままたたずむアントネエフの姿は、それだけで受付の女性に威圧感を与えるには十分だった。すっかり萎縮してしまい、満足に受け答えが出来ない受付女性に対して、アントネエフがこめかみに青筋を浮き上がらせつつあったそのとき、彼の名を呼ぶ声があった。
「そこにいらっしゃるのは、アントネエフ卿ではありませんか?」
アントネエフと、それにつられて小男も一緒に、声がした方向へと振り返る。
彼らの視界に映ったのは、白い肌にすらりとした肢体を目の覚めるような濃紺のフォーマルドレスに包み、蜂蜜色の長い髪を両肩に垂らした、端整な顔立ちの女性であった。その女性はアントンエフたちと目が合うと、迷うことなくふたりへと近づいてくる。アントネエフの目の前で立ち止まると、女性は艶やかな笑顔を浮かべながら挨拶を口にした。
「お初にお目にかかります。イェッタ・レンテンベリと申します」
目の前に差し出されたイェッタの白く細い右手を、アントネエフの筋肉質で大きな手が包み込むように握り返す。
「バジミール・アントネエフです。申し出もなく突然の参上となり、ご迷惑をお掛けします」
「とんでもない。まさかアントネエフ卿にお越し頂けるとは思っておりませんでしたから、市長もきっと喜ぶでしょう。さあ、ピントン様もご一緒にこちらへどうぞ」
イェッタはそう言ってドレスの裾を翻し、会場の奥へとふたりを誘う。彼女の背中から三歩ほど遅れて後を追いつつ、アントネエフは傍らのピントンに小声で囁きかけた。
「誰だ、あの女は」
「美人ですなあ」
「お前の感想は聞いていない。何者なんだ」
ピントンはイェッタの優雅な後ろ姿を見惚れたように目で追いながら、その口調は確かだった。
「イェッタ・レンテンベリは、サスカロッチャ区でヴューラーの後釜として議員になったばかりの女です」
「ヴューラーの後継者か」
「元々は医師から惑星開発調査員に転じ、その後は故ディーゴ・ソーヤ市長補佐官の専属スタッフとして働いておったそうです。ディーゴ・ソーヤの後継者とも言えるかもしれません」
鼻の下を伸ばしたままの表情に似合わない事務的な口調で、ピントンはイェッタの経歴を説明する。そして最後に「思った以上に油断のならない女ですな」と一言付け加えた。
「どういうことだ」
アントネエフが尋ねると、ピントンはおもむろに肉付きの良い顎を撫で回した。それが感心するときの彼の癖であることを、アントネエフは知っている。
「彼女はバジミール様のことだけでなく、私の顔と名前まで知っておりました。初見で私のことを知る人物に出会ったのは初めてです」
アントネエフにしてみれば、ピントンが初見で警戒を顕わにした人物こそ初めてである。ふたりの先を歩くあの青いドレスの女は、それほど危険な存在なのか。女は時折り足を止めて、アントネエフたちが後をついてくる様子を確かめるように振り返る。肩越しに微笑をたたえた横顔を覗かせるその仕草が、絵になることは認めよう。だがアントネエフには、絶妙に媚びを売ってみせる、外面が良いだけの女にしか思えない。
青いドレスをまとうイェッタに連れられた先には、ワンショルダーの深紅のドレスに血色の良いチョコレート色の肌という組み合わせの、ほとんどアントネエフに並ぶ長身の女が待ち構えていた。長い黒髪は何本も細かく編み込まれており、その下に目も鼻も口も造形の大きい、派手な顔立ちがある。映像では何度も目にしているが、現実に目の当たりにしたグレートルーデ・ヴューラーは、ただそこに居るだけで存在感が図抜けていた。
「音に聞くアントネエフ卿がわざわざ駆けつけて下さるなんて、恐悦至極ですわ」
「グレートルーデ・ヴューラーの名は、我がスレヴィアにも轟いておりますよ。あなたがテネヴェ市長になると聞きつけて、居ても立っても居られなくなりましてね、こうして飛んで参りました。突然の無礼をお許し下さい」
満面の笑みを浮かべるヴューラーと、紳士然とした態度で応じるアントネエフが、衆目を集める中で握手を交わす。一見和やかにすら思えるその光景を見て、無邪気に喜ぶ者はその場にはひとりも居ない。アントネエフがわざわざ祝賀パーティーに合わせて顔を見せた意味を考えれば、彼らの握手を見たままに受け取る気になれなかった。
しばらくは型通りの、つまり中身のない社交辞令としての会話を交わしていたふたりだったが、やがて本題を切り出したのはアントネエフからであった。
「ヴューラー市長は今回立候補するに当たって、画期的な構想を提唱されたと伺っております」
シャンパンの注がれたグラスを手にしたまま、アントネエフの口調はいかにもさりげない。ヴューラーもまた取り立てて反応を見せず、笑みを崩さないままに答える。
「それはお耳汚しを失礼しました。次代の市長として市民に示したヴィジョンはいくつかありますが、どれもまだまだ煮詰め直す必要があり、とても卿にお話し出来る内容ではありませんわ」
「はて、だとすると私の聞いた話とは異なりますね」
アントネエフが太い首を傾げる。金髪の偉丈夫は顔をしかめたままにそれ以上の言葉を発しようとしないから、ヴューラーはやむを得ずその先を促さざるを得なかった。
「というと?」
「前市長のキューサック・ソーヤ氏、彼が非公式に方々を渡り歩いている、という噂を聞きました」
「まあ」
大きな口を隠すように右手で覆って、ヴューラーが驚いた仕草を見せた。だが彼女の目に動揺の陰は見受けられない。アントネエフはグラスの中のシャンパンに視線を落としつつ、喋り続ける。
「キューサック氏が訪れた先というのがチャカドーグー、ゴタン、ミッダルト等々、いずれもテネヴェとよく似た独立惑星国家ばかりです」
「私の応援演説を頼もうにも、すっかり雲隠れして連絡が取れないと思ったら、一足早く引退気分を満喫していたのかしらね」
「そこで彼が説いて回ったという話が、実に興味深い」
そこで一度話を区切り、アントネエフはゆっくりと面を上げた。視線がかち合った先のヴューラーは既に右手を下ろして、微笑未満の表情で彼の顔を見返している。なるほど、魔女と噂されるだけはあるようだ。一向に動じる気配を見せないヴューラーに感心しつつ、アントネエフは口を開いた。
「独立惑星国家たちによる共同体――銀河連邦と言いましたか。その設立を熱く語っていたそうですよ」
「あら、まあ」
「その内容たるや非常によく考えられたもので、余程前から練り上げられた構想に違いない」
「まるで直に聞いたように仰るのね」
「チャカドーグーの首相から聞いた話ですから。間違いということはないでしょう」
アントネエフの言葉の端々から、勝ち誇った響きが滲み出る。するとヴューラーは表情はそのままに
「前市長にお忍びは向いてないわね。あの方はどっしりと構えてこそだわ」
「彼が各国首脳に熱心に語ってみせたという話と、あなたが公約に掲げた銀河連邦構想。これは同じものと考えてよろしいですね?」
畳みかけるように身を乗り出すアントネエフに、ヴューラーは思わせぶりな薄い笑みを返す。
「アントネエフ卿は少々せっかちですこと。先ほどお話しした通り、まだ卿に打ち明けるには時期尚早ですわ。いずれ必ずお話ししますので、もうしばらくお待ち頂けないかしら」
「これは、気が急いたように見えましたら申し訳ない」
アントネエフが形ばかりの恐縮した体を見せる。金髪の偉丈夫はそのままヴューラーの前から引き下がるように見せて、だが最後に忠告めいた一言を付け足すことを忘れなかった。
「嘆かわしいことではありますが、ローベンダール惑星同盟の領内では昨今、密貿易に耽る輩が多い。我がスレヴィア星系でも積極的に取り締まりを強化していく所存です。どうぞご留意下さい」
唐突な宣言に、周囲で耳をそばだてていた者たちは戸惑った顔を見合わせる。だがヴューラーだけは太い眉をぴくりと跳ね上げたのを、アントネエフは見逃さなかった。彼の言葉の真意は、伝えるべき者だけに伝われば十分だ。新市長の周囲に漂う微妙な空気を置き去りにしたまま、アントネエフは満足げな表情でその場から退出した。
「とりあえずは満足のいく挨拶が出来たようですな」
ひしめく人の波を分けるようにして会場を出たアントネエフの隣りに、いつの間にか並んで歩くピントンが声を掛ける。アントネエフは真っ直ぐ前を向いたまま、会場にいる人々たちの耳に入ることも憚らないような太い声で、ピントンに言った。
「あの女が私の足元にひれ伏すまで、テネヴェ産の荷を積んだ船は徹底的に臨検してやれ。少しでも抵抗するなら問答無用で拿捕して構わん」
「畏まりました」
「ここの連中は、テネヴェとサカの往来にはスレヴィアの通過が必要ということを忘れたか。私の言葉を理解していたのは、あの市長だけだったぞ」
「いえ、もうひとりおりましたよ」
異を唱えられたアントネエフは足を止め、誰かと尋ねる。主人の大股歩きに小走り気味についていたピントンは、額に浮いた汗をハンカチで拭いながら答えた。
「最初に会ったあの青いドレスの女、イェッタ・レンテンベリ議員です」
「……あの女か」
「ちょうどバジミール様からは見えない位置で、しっかりとおふたりの会話を聞いておりました。スレヴィア星系での取り締まりを耳にして戸惑わずにいられたのは、市長とあの女だけです」
アントネエフは濃紺のドレスを身にまとったイェッタの姿を思い浮かべた。強烈な存在感を放つヴューラーに比べて、美しくはあるが白磁で造形された人形のように個性が感じられず、ピントンが言う抜け目のなさが連想出来ない。
外面ばかりが記憶に残り中身を見通すことの出来ない曖昧さに、かえって薄気味の悪い印象がアントネエフの胸中をよぎる。生来の武人は一瞬の怯懦に似た感情を恥じて、すぐにそんな考えを振り払った。
「市長もその後継者も、趣きは異なれど魔女の系譜に連なる者ということか」
ホテルの正面玄関を出たアントネエフは、背後の建物を振り返った。街明かりに照らされて星の見えない夜空に向かって、突き刺さるように聳え立つ高層階が自慢のホテルは、アントネエフの目にはさながらお伽噺に出てくるような魔女の住まう古城に映る。華やかなイルミネーションと窓明かりに彩られた建物を見上げて、金髪の偉丈夫は唇の端を吊り上げると、自らに誓うように呟いた。
「いいだろう。魔女たちが集うこの城、バジミール・アントネエフがいずれ手に入れてみせる」
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