『繋がる』ことで精神を共有したら、肉体は滅んでも他者の中に『その意思は残る』。
それが凄絶な喪失感、何にも埋められない空洞でありながら、『そこに彼の意思が残っている』という真逆の捉え方をすることに、イェッタの強さを感じました。
繋がって入り混じって、一旦は分けることが難しくなってしまったからこそ、喪失した時にその形がはっきり分かるということなのか……とても興味深い回でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ディーゴがお気に入りと仰っていたので、第二章以降お楽しみ頂けるかドキドキしていましたが、興味深いと言ってもらえてほっとしました。
《繋がるということ》はこの作品の一貫したテーマみたいなものになっています。登場人物ごとにどのような《繋がり》があり得るか、これから書き分けられれば、と思っています。
引き続き読み進めていただけるよう、精進してまいりますので、よろしくお願いいたします。
「繋がる」要因に、性交がある事が……ああスタージアンの話ではないんですよね。
これは「蒼穹のファフナー」シリーズで言うところのフェストゥムの同化現象に近いものなのか、あるいは「理趣経」に近い宗教的な側面がある事を意味しているのか。
距離の問題があるって事は……光速じゃあそもそも遅すぎるし……これはヴォイドがからんでいるんでしょうか?
作者からの返信
回答を求められているわけではないと思いますのでノーコメントですが、しかしこういう風に色々と分析考察されるのって初めてなので、ゾクゾクしますね!引き続きよろしくお願いします!