第二話 裂傷(2)

 それまでずっと口を閉じていたロカも、同様に苦い表情を浮かべている。

 銀河連邦という途方もない大法螺を、曲がりなりにも実現に向けて動き出すことになった切欠のひとつが、発案者ディーゴという事実であるのは間違いない。少なくともこのふたりにとっては、モチベーションの少なくない部分を占めていた。

 だがそれは全てまやかしだった。壮麗な手品の舞台を鑑賞した後に、種明かしされてしまった内容のチープさに戸惑うような、失望感に似ている。ディーゴその人を喪っただけでなく、その遺産すら仮初めのものだったと告げられて、ふたりが受けた衝撃は小さくない。


「仰る通り、タンドラは惑星クロージアでの経験を元に、銀河連邦構想の着想を得ました」


 追い打ちを掛けるかのように、イェッタが頷く。しかし彼女の言葉には続きがあった。


「ですが先日仕上げた銀河連邦草案、あれはディーゴの手によるものです」


 暗い目つきをしたロカが、イェッタの顔を振り返った。その表情から滲み出る不信感を隠そうともしていない。


「適当な言葉で我々を慰めようというのなら、しばらく黙っていてくれ」

「こんな話を聞かされた後だから、私の言うことが信じられないというのはわかります」


 ロカの目を、イェッタの真剣な眼差しが見返した。


「でも草案の骨子を閃いたのは、間違いなくディーゴです。タンドラの知識がベースにあったのは確かでしょうが、彼と《繋がって》いなければ草案が産み出されることはありませんでした」


 イェッタは今度は右に首を回して、モトチェアの上で微動だにしないキューサックの顔を見る。


「この数ヶ月を共に過ごして、私たち三人は互いに混じり合っている――そう感じています。切欠が何であれ私たちは三位一体、いえ、一心同体でした。一心同体の私たちが編み出した草案は、つまりディーゴが編みだしたものであると断言できます」

「詭弁だ」


 彼女の言葉を、キューサックは一顧だにせず切り捨てた。


「生き残る側と、失われる側とに別れた。お前自身がそう言ったばかりだろう」

「確かに言いました。ディーゴ・ソーヤという肉体は死んだ。でも」


 イェッタは両手をついて横たえていた身体からだを起こし、腰から上を捻ってキューサックの側に身体を向けた。病み上がりで乱れたままの蜂蜜色の髪が流れて、顔の半分を覆い隠す。右手はベッドの上についたまま、ブランケットがはだけた病衣の胸元に左手の拳を当てて、切実な光をたたえた琥珀色の瞳がキューサックに訴えかける。


「彼の意識はまだ、ここにある。私の中にしっかりと混じっている。混じって、ひとつになったから、引き裂かれる恐怖に耐えきれなかったのよ!」


 口調は徐々に上擦っていき、最後の方はほとんど掠れ声の叫びに近かった。気がつくと、目尻から再び涙が伝っている。キューサックとロカ、彼らにここ数ヶ月のディーゴを否定されることだけは、耐えがたい。そのためにイェッタが心の奥底から絞り出した、嘘偽りのない言葉だった。

 キューサックがモトチェアのコントロールボールに指先を触れる。モトチェアは微かな稼働音を立てて、ベッドのすぐ傍らまで近づいた。そのままキューサックは、肩で息をするイェッタの顔を覗き込むように、皺だらけの顔を近づける。


「お前の中に、ディーゴが生きている。そう言うのだな」


 その瞳は底の見えない谷底のように、一片の光も宿って見えなかった。目の前の女は、息子の死を招いた原因であると同時に、息子の比類なき同志であり、そして今は息子の遺志を継ぐ存在である。そんな矛盾そのものの彼女を前にするには、己の感情を分厚い理性のカーテンで覆い隠すしかなかったのだろう。

 にもかかわらず、カーテンの裏側で渦巻くキューサックの激情まで、イェッタには透けて見える。まるで自分がどうしようもなく下衆げすな覗き魔に思えて、このときほどイェッタは自分の異能力を恨んだことはなかった。


 キューサックがイェッタをディーゴの後継者に決めたのは、その翌日のことである――



 イェッタの記憶をたどる作業は、部屋のドアがスライドしたことで打ち破られた。


「具合はどうだ」


 ドアをくぐって、ロカの長身が現れる。タンドラは視線だけで彼の顔を見返した。


「お陰様で、気分は上々だよ」


 顔面の右半分が凝り固まったままのタンドラは、口を開くとまだ不自然に引き攣った表情になる。そんな彼女を見下ろすロカの目は、努めて無表情だった。


 タンドラを恒星間航行に連れ出すために、ハード面から必要な手続きまで全てを手配したのが、ロカだ。彼女ほどの重病人が恒星間航行に臨むというのは、前例がないだけに煩雑な作業だったはずだが、ロカは粛々と、速やかに手配を完了した。それだけの必要性があった。


「レンテンベリは今、自室で草案の練り直し中だ。お前には言わずもがなだろうが」


 そう言ってロカは、モトベッドの足元にある椅子を引いて腰掛けた。


「あと二日もすれば、スタージア宇宙港に到着する。そこでまず、お前は宇宙港附属病院で診察を受ける」

「単なる口実だと思っていたのに、本当に診てもらえるとはありがたいね」

「今後レンテンベリが外遊する際にはお前の同伴が必要というなら、せめてモトチェアで移動できるぐらいには回復してくれないと困る」


 イェッタが単身でスタージアに赴いても、ディーゴの悲劇の二の舞になるだけであった。悲劇を回避するには、タンドラの同行が必須となる。そこで口実とされたのが、タンドラを治療するためのスタージア行きであった。

 スタージアには銀河系中のあらゆる知識が集積されており、当然医療技術も最新のレベルにある。最新医療を受けるためにスタージアを訪れる者も珍しくない。そこでスタージアで治療を受けるタンドラのために、元同僚にして元医者であるイェッタが同行者として付き添う、という名目だ。ただロカの言う通り、単なる口実というわけでもない。タンドラの移動がいつまでも不自由なままでは、イェッタの行動に制約がかかってしまう。


「今でもお前はレンテンベリのブレーンのようなものだ。ある程度動き回れるようになったら、正式に彼女のスタッフとして加わってもらう」

「イェッタのスタッフにはあんたも加わってくれるんだろう。頼りにしてるよ」


 タンドラが笑顔のつもりで顔面を引き攣らせてみたものの、ロカが表情を崩すことはなかった。ディーゴの死因に深く関わるタンドラとイェッタに対して、彼の胸中にはまだ忸怩たる想いが渦巻いている。それ以上にタンドラ個人に対しては、生理的な嫌悪感が勝っていた。


「《オーグ》嫌いなのはわかるけど、少しは愛想良くしてもいいんじゃないかい」

「……そういえば、お前たちには筒抜けだったんだな」


 ふっと息を吐き出したロカが、それ以上張り詰めても仕方がないということを悟って肩の力を抜いた。


「そこまでわかっているなら話は早い。私個人としても、このままではお前と向き合い続ける度に胸焼けがする。お前にはモトチェア乗り程度まで回復してくれることを期待しよう」

「そこまで腹の内を言葉にしなくてもいいんだけどね」


 タンドラの言葉は、半ば呆れているかのようにも聞こえる。だが相変わらず彼女の顔から表情を読み取るのは至難だった。


「私自身でどうにかなることでもないけれど、せいぜいご期待に添えるよう努めるよ」


 彼らの乗る宇宙船がスタージア宇宙港に着いたのは、ロカが告げた通りぴったり二日後のことであった。

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