第一話 後継者(2)

 ディーゴ・ソーヤ市長補佐官の葬儀は、セランネ区郊外にある祖霊祭会堂で営まれた。


 祖霊祭会堂は文字通り、祖霊祭を催すための会場として設けられた場所だが、地域の住民たちの冠婚葬祭の場としてもしばしば利用される。ディーゴの葬儀会場に選ばれたのはセランネ区でも最大規模とされる祭会堂だったが、当日は祭会堂の大ホールの収容人数をはるかを上回る人々が、参列に押し寄せた。


「彼らは市長の親族の葬儀だから、顔を出しているだけよ」


 一連の葬儀が終わり会場から去りゆく人々の列を、祭会堂の中から窓越しに眺めながら、ヴューラーはそう呟いた。


「だけどあと十年後だったら、ディーゴ自身を悼む人だけでも、これ以上の人が集まったかもしれない」


 正式な喪装とされる黒地の長衣に長身を包んだヴューラーが、傍らに立つイェッタの顔を見ることなく、淡々と語る。だが彼女の言葉の端々に滲み出る口惜しさは、イェッタに確実に伝わっていた。一年に満たない付き合いだったが、ヴューラーがディーゴのことを評価していたのは間違いなかった。


「本日はお忙しいところ、ご参列頂きましてありがとうございます」

「見損なうな」


 イェッタが形式的な謝辞を述べると、ヴューラーは若干の怒気すら孕んだ顔で振り返った。


「盟友の死を見送らないほど、私は落ちぶれてないわよ」

「……失礼いたしました。市長は奥の控え室でお待ちです」


 イェッタが、今度こそ真摯に頭を下げる。その前を無言で通り過ぎて、ヴューラーは祭会堂の廊下の奥へと向かう。

 陽の光も届かない、長い廊下の突き当たりにあるドアをくぐって、ヴューラーは思わず足を止めた。

 いつも通りにモトチェアに腰掛けたまま、室内で待ち構えていた市長の顔には、心なしか刻み込まれた皺が深みを増したように見える。彼が憔悴しきっているのは明らかだった。だが、その目には言い知れぬ眼光が見え隠れしている。キューサック・ソーヤという人物は元来愛想に乏しくはあるが、それにしても目の前の彼がまとう雰囲気は異様だった。


 息子を亡くしたショックはそれほど大きかったのか。キューサック・ソーヤも人の子だというわけだ。


 ヴューラーは自分にそう言い聞かせつつ、型どおりの弔辞を述べながら席に着く。そして気がついた。キューサックの傍らには彼の秘書のロカ・ベンバが、そして彼女の脇には共に入室したイェッタ・レンテンベリが、それぞれ着席している。

 彼女の表情から察したのであろう。「このふたりも同席させて欲しい」と市長に頭を下げられては、ヴューラーもあえて反対することはなかった。それよりも早急に今後のことを話し合う必要があった。


「ディーゴの代わりを急ぎ、スタージアに送らなければならない」


 剛毅と言うべきか、キューサックの言葉に取り乱した調子はなく、その口調は極めて事務的だった。


「でも誰を送るというの。彼の代わりが務まるような人材が、そう簡単に見つかるとは思えない。それこそあなたか、それか私が行くしかない」


 ディーゴ・ソーヤの気質は、今となっては貴重に思えた。適度に緩い雰囲気で、相手に警戒させることなく本題を突きつけるという術は、誰もが身につけられるものではない。少なくともヴューラーの身内に、同じ真似が出来る者はいないだろう。

 するとキューサックは、ヴューラーの顔からゆっくりと視線を動かして、その隣に控える人物に目を向けた。


「代役はそこの、イェッタ・レンテンベリだ」


 キューサックの指名を聞いて、ヴューラーは隣りに座るイェッタの顔を振り返った。イェッタは閉じた両膝の上に置いた両の拳を軽く握り、微動だにせず市長の視線を受け止めている。彼女の、ほとんど無機質にすら思える白い横顔をしばらく見つめてから、ヴューラーは再び市長の顔を見た。


「本気?」

「本気だ。現時点でほかの代役は考えられん」

「彼女はまだ、政界に足を踏み入れて一年もしない、ひよっこよ」

「政治の素人だったのは、ディーゴもたいして変わらんよ」

「それにしたって」


 ヴューラーは額に手を当てて唸った。

 ディーゴには当人の資質以上に、キューサック・ソーヤの息子というこれ以上ないバックボーンがあった。イェッタ・レンテンベリには何があるだろうか。


 ディーゴが精力的に活動を始めたのは、イェッタがスタッフに加わってからだということは知っている。イェッタとの初対面を思い返せば、彼女の胆力が十分だということもわかっている。銀河連邦構想の草案も、ディーゴと彼女が共に練り上げたという話だ。ディーゴ以外に銀河連邦構想を最も理解しているのは、おそらくイェッタなのだろう。


「実際のところ、ほかに務まる者がおらんのだ」

「……そうかもしれないわね」

「確かにディーゴと同じことは出来ないかもしれん。だがお前も聞いたのだろう」


 そう言ってキューサックは、白い髭で覆われた顎先でイェッタの顔を指し示した。その言葉が必ずしも好意的な響きを伴っていないことに、ヴューラーは一瞬眉をひそめる。


「この女はディーゴと一心同体を称していた。ならばディーゴ亡き後、奴の後を引き継ぐのはこいつ以外にありえん」


 キューサックの言葉を受けて、イェッタの表情はますます無機質な、というよりは透明になるという表現こそ相応しい。市長に言われるがまま、己の意思を一切差し挟まず、彼の指示に従うことだけに徹底しているかのようだ。彼女の彫刻のように整った、だが血の気に乏しい唇が開いて、キューサックの言うことをなぞるように言葉を紡ぐ。


「補佐官の遺志は、私が遂行します」


 抑揚に欠けた彼女の態度に、なぜだかキューサックが口角を引き攣らせる。だがそれもほんの一瞬のことで、再びヴューラーに向けられた顔は冷静な表情を取り戻していた。


「そういうわけだ。日を改めてイェッタ・レンテンベリをスタージアに派遣する。ディーゴのときと同様にベンバも一緒だ」


 それまで一言も口を利かずに、部屋の隅で固まっていたロカが小さく頭を下げる。ヴューラーはため息をつきながら頷くしかなかった。


 話はまだ終わったわけではない。ディーゴの代役を選ぶほかに、ヴューラーには今ひとつ言うべきことがあった。


「市長、あなたにはしばらく喪に服す姿勢を貫いて欲しい。であれば臨時議会を招集しないことに反発する議員たちも、強くは抗議できないでしょう」


 あからさまにディーゴの死を利用しようという提案に、ロカが非難めいた視線を向ける。だがヴューラーは表情を崩さない。冒涜的なことを口にしていることは、彼女も重々自覚している。しかし同時に、キューサックが受け入れるだろうことも確信していた。


「無論だ」


 モトチェアをわずかに揺らして、キューサックはヴューラーの策を肯定する。それどころか、彼女の策への上乗せを口にした。


「ひとり息子を亡くして意気消沈する父親という姿は、このまま最後まで引きずらせてもらう」


 キューサックの冷静な振る舞いは、本当に意気消沈しているのではないのか、という疑問を差し挟むことすら許さない。それよりも、ヴューラーは彼の言葉の別の部分に引っかかった。


「……最後って、どういう意味?」

「来年の定例議会前に、私は市長を退く」


 あっさりと引退宣言を口にするキューサックに、ヴューラーの大きな目が一層大きく見開かれる。だが彼がさらに続けて発した言葉は、それ以上の衝撃を伴っていた。


「私の身内からは後継候補は立てん。次の市長はヴューラー、あなただ。面倒ごとばかりを押しつけることになるが、後は頼むぞ」

「突然、何を」


 驚きよりも怒りを込めて、ヴューラーは抗議した。


「何を言い出すのかと思えば。ディーゴだけでなく、あなたにまで退場されてどうしろっていうの」

「許せ」


 キューサックの返事は簡潔だった。

 それだけに、それまで完璧に取り繕われていた彼の心情が、迂闊にも吐露されていた。

 その瞬間、ヴューラーの目に映ったキューサックは、疲れ切った身体からだをモトチェアにぐったりと預けている、息子の死を悼むただの老人に過ぎなかった。


「本来ならスタージアを引き込んだ上でのつもりだったが、ディーゴの死で大幅に遅れが生じてしまった今となってはやむを得ん。市長選となれば、定例議会の日程もさらに遅らせることが出来る。ローベンダールに対する引き延ばしは、これが限界だ」


 市長引退の意図を告げるキューサックの横顔からは、いつの間にか翳りが一掃されている。だが老市長の限界を垣間見てしまったヴューラーに、それ以上の異を挟むことは出来なかった。それがキューサックのしたたかな演技だったとしたら、彼女は素直に騙される方を選ぶ。


 ヴューラーが沈黙すると、キューサックは最後に彼女の隣りへと視線を向けた。


「レンテンベリ」


 その名を呼ばれて、俯き加減だったイェッタが無言で顔を上げる。


「ヴューラーが市長となれば、サスカロッチャ区の議席は空席となる。お前が立て」


 彼女に向けられる市長の目の色は、単純なものではなかった。複数の名状しがたい感情と、それらを御する強固な意志が混在している。ともすれば狂気へと昇華しかねない精神状態を、キューサックは恐るべき精神力で制御していた。


「これからはお前が表舞台に立つのだ。それがディーゴと一心同体を名乗る者の務めだろう」

「……畏まりました」


 狂おしいほどの感情のただ中に身を置きながら、キューサックはなお頑なに正気を保っている。彼を正面から見据えつつ、イェッタは透き通りそうな表情のまま、静かに頷いた。


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