第二話 琥珀の眼差し(2)

 独立惑星国家テネヴェのセランネ区には、テネヴェの総人口のおよそ五分の一が集まっている。静止衛星軌道上の宇宙港に繋がる軌道エレベーター発着場にほど近く、また開拓団が最初に切り拓いた地区ということもあって、セランネ区は入植当初からテネヴェの中心であった。テネヴェ自体にはまだまだ未開の広大な土地が有り余っているが、ことセランネ区では住宅不足が問題化しており、人々の住まいは街中の隙間を埋め尽くすようにしてあちこちに点在している。中でも昨今の流行りである高層住宅が立ち並ぶ一角は、富裕層や成功者たちが多く居を構えていることで知られていた。林立する高層マンション群は、縦横に貫かれた何本もの道路によって区切られている。その中の一本を走り抜けるオートライドの後部座席に、ディーゴの姿があった。


 繁華街でしたたかに酔った帰途である。


 既に時刻は夜半を過ぎ、道路の両脇にそびえ立つ建物の明かりも数少なく、辺りに人影は見当たらない。さして強くない酒を呷り続けていたせいで、見慣れたはずの街中の光景に目を向けても、今どこを走っているのか判然としなかった。報告会でのイェッタの姿、表情が頭から離れず、気がつくと許容量以上のアルコールを摂取してしまった。この調子だと明日は二日酔いを覚悟しないといけないだろう。


 予定時刻を大幅に超過した報告会が解散して、気がつくと報告者席からイェッタの姿は消え失せていた。会場を出て市民議事堂の中を探し回ってみたが、結局彼女を見つけ出すことは出来なかった。見つけ出したところでいったいどうしようというのか、何の算段があったわけでもない。だが報告会での彼女の表情はディーゴの脳裏に焼きついて、市民議事堂を後にしてからも消え去ることがなかった。酒の力を借りて少しでも落ち着こうとして、いつの間にかこんな時間になってしまったのである。


 思春期を迎えたばかりの少年でもあるまいに。我ながらどうかしている。酔いが回った頭で、ディーゴはそう自嘲した。


 美しい女が微笑みかけてくれたような気がして、それしきのことで浮ついてしまう己が滑稽だったし、その単純さが情けなくもあった。上っ面ばかりの人間関係に飽いた男が女の情に絆されるなんて、星の数ほどよくある話だ。だがよくある話だということは、つまりそのようなケースに当てはまる人々が多いということの証左でもある。自分もまたそのような人々のひとりになる可能性を、ディーゴは否定出来ない。


 高層住宅の間を静かに移動するオートライドは、競い合うように天を突く建物の中でも、ひときわ背の高いマンションの車寄せへと滑り込んでいった。地上八十八階建てのマンションは周りの建物に比べても飛び抜けて高く、その最上階――ペントハウス形式のフラットがディーゴの住まいとなる。


 周囲の建物を全て見下ろすことが出来るという点が、彼がここに移り住むことを決めた一番の理由だ。


 マンションの正面玄関の前で音もなく停車したオートライドから、ディーゴはいささかおぼつかない足取りで降り立った。左右にスライドして開くドアをくぐるだけでも一苦労する。思った以上に酔いが回っているらしい。

 マンションのロビーは広々として、この時間だと陽の光が差すこともなく、室内灯の明かりが照らすばかりで寒々しい。千鳥足のままにロビーを突っ切りエレベーターに乗り込もうとして、ディーゴは思わず足を止めた。こんな真夜中に誰も居るはずがないロビーの中央、向かい合うように据えつけられたソファのひとつに、腰掛ける人影があった。


 人影はどうやらこちらに目を向けている。その姿形を認めて、ディーゴはいよいよアルコールによる幻覚を疑った。蜂蜜色の長い髪に琥珀色の瞳、しなやかな体つきの美しい女性。先刻から彼の心を捉えて離さないイェッタ・レンテンベリその人が、ソファに腰を下ろしてディーゴの顔を見つめている。


「深酒は余り感心できませんね」


 まるで長年の友人に語りかけるような親しげな口調で、イェッタはごく自然に口を開いた。


「そうでなくとも食生活に偏りが見られるというのに、アルコールは程々にとどめた方が良いですよ。医者としての忠告です」


 のっけから体調を気遣う言葉をかけられて、ディーゴはどう反応すべきか混乱していた。ただでさえ頭の回転には自信がないのに、今夜は大量の酒が重しとなって思考を鈍らせている。もつれそうになる足取りに辛うじて注意を払いつつ、ディーゴはそろそろとソファに近寄った。


「……そこに居るのは、イェッタ・レンテンベリで間違いない?」


 ディーゴに指先を突きつけられて、彼女はあっさりと頷いた。


「間違いありません。私は惑星CL4第二次調査隊医務担当、イェッタ・レンテンベリです」

「わかった。じゃあ次だ。あんたは俺が誰だか知っている?」

「ディーゴ・ソーヤ市長補佐官ですね。それともキューサック・ソーヤ市長のご子息と申し上げた方がよろしいでしょうか?」

「なるほど、お互いの顔と名前はわかっている、と。じゃあ、あんたがここに居るのも、決して偶然ではないということか」


 イェッタとの身分証明のような会話を経て、ディーゴの頭から急速に酔いが引いていった。改めてソファに座るイェッタの姿を見る。


 頭の後ろで束ねられていた蜂蜜色の長い髪は解きほどかれて、絹を引くようにして細い肩に流れかかっている。照明の明かりの下で艶やかな輝きを放ち、気のせいか先ほどに比べて手入れが施されているようだ。目の下の隈も化粧で覆い隠したのか、今はすっかり目立たない。報告会ではフォーマルだが味気ないグレーのスーツに身を包んでいたが、目の前のイェッタは裾の長い白地のワンピースに、肩の上から淡黄色のカーディガンを羽織っている。ワンピースの胸元は心持ち開き、裾の下から伸びる細い脚が控えめにそろえられている様は、ディーゴの理想とする女性像にぴったり一致していた。

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