第七話 オーグ(1)【第一部最終話】

 博物院中央棟北側にある大きなアーチ状の正面玄関をくぐると、一階から七階まで吹き抜けになった屋内広場になっている。広場の真ん中に設けられた円盤の上では、大きな天球図が銀河系人類社会を構成する星々を表していた。円盤の脇を通り抜けて天球図の裏に回ると、観覧者用通路に通じる幅の広い入口と、その両隣に博物院関係者だけが通ることのできるドアが目に入る。イヤーカフの案内に従って左側のドアを通って、殺風景な廊下を歩かされた末にエレベーターに乗り込み、最上階で降りた先は、八つのソファが向かい合わせに並んだ窓のない部屋だ。ソファの間を突っ切って奥の扉を開けると、そこには場違いな広さのドーム型の室内が広がり、柔らかい照明の下、中央には玄関をくぐった際に目に飛び込んできたものと寸分違わぬ天球図が浮かんでいる。


 ドリー・ジェスターは天球図の前の楕円形のテーブルを認めると、部屋の主人が促すより前に、扉側の席にどっかと腰を下ろした。


 かつて肩までかかる長さのあった波打つような金髪は、耳が覗く程度の短さにまとめられている。目尻にはやや小皺が目立つようになったが、青い瞳は生来の好奇心に加えて、経験に裏打ちされた自信に満ち、眼光に活力が溢れていた。その変化は立ち居振舞いにも影響を与え、小柄な彼女を見た目以上に大きく見せる。今年四十五歳を迎えるドリーは今、銀河系で最も聡明な女性の一人に数えられていた。


「久しぶりね。三十年ぶりになるのかしら」


 ドリーはテーブルをはさんで正面に座るシンタック・タンパナウェイに、わざと険のこもった声を投げかけた。星の瞬く天球図を背にしたシンタックは、テーブルの上で両手を組み穏やかな表情をたたえた顔を見せている。黒い髪に若干白いものが混じり、褐色の肌には年相応の落ち着きが窺えるものの、ドリーがかつてこの星で出会ったときの少年時代の面影は失われていない。


「二十八年と十か月ぶりだよ、ドリー。君の噂はかねがね聞き及んでいる。新設されたミッダルト総合学院の初代院長に就任したそうじゃないか。友人として鼻が高いよ」

「あら、天下の博物院長に友人と思っていただけるとは光栄だわ。てっきり忘れ去られてしまったものだと思ってた」


 ドリーの皮肉たっぷりの返事に、シンタックは苦笑めいた笑顔で応じた。


「シンタック・タンパナウェイとドリー・ジェスターの友誼を重く見ているからこそ、ミッダルト総合学院からスタージア博物院への留学生受け入れを承諾した、とは考えてくれないかな」

「無理を承知の申し入れに応じてくれたことについては礼を言うわ。でも留学制度は私じゃなくて、事務長が私とあなたの接点を知って思いついたアイデアなの。箔がつくってね。思いの外賛同を得てしまって、押し切られちゃった」


 クッションの利いた椅子に身体からだを沈めながら、ドリーはため息交じりに答えた。


「私がそんなこと言い出すわけがないじゃない。大事な学生たちを、《スタージアン》の生け贄に差し出すような真似」


 シンタックは何も言わずに目を伏せる。彼の仕草を醒めた目で見つめながら、ドリーは足を組み、ジャケットの内ポケットからベープ管と呼ばれる小さな棒を取り出した。端末棒よりはふた回りほど小振りなその棒を唇に挟み、すっと息を吸い込んだかと思うと深々と吐き出す。吐く息と共に白い蒸気が彼女を包み込んだが、それも高い天井に届く前に立ち消えてしまう。シンタックは軽く目を見開いて、体を揺すった。


「ベープを嗜む姿なんて、昔の君からは想像もつかなかったな」

「誰のせいだと思ってるの。あなたが博物院入りしてからしばらくは、ベープでも吸ってなければやってられなかったのよ」

「それは済まないことをした」

「相変わらず、思ってもないことをすらすらと口に出来るのね。そこは《スタージアン》になる前から変わらない」

「手厳しいね」


 シンタックは困ったような台詞を口にしながら、その口許には落ち着き払った笑みが張りついたまま、動揺の欠片も見受けられない。散々毒づくのも飽きたのか、ドリーは口にしていたベープ管を右手に持つと、その端でテーブルの表面をとんと叩いた。


「今日あなたに面会を申し込んだのは、留学生受け入れに対する謝礼ってことになってるけど、本当は釘を刺しに来たの」

「そうだろうね」

「先刻承知って顔ね。でもはっきり言わせてもらう。いい? 留学生を博物院に、いえ、《スタージアン》にスカウトすることは絶対にやめて」


 ベープ管がテーブルを叩く音が、広い室内にひときわ強く響いた。シンタックは一瞬天井を仰ぎ見たが、すぐにドリーの顔に視線を戻す。


「我々は常に優秀な人材を欲している。君の教え子をスカウトできないのは、博物院にとって大きな機会損失だ」

「約束出来ないなら、留学制度の話は白紙よ」

「ここまで来て白紙になったら、君の立場にも影響があるのでは?」

「こんなことでどうにかなるなら、こっちから辞めてやるわ」


 腰を浮かし、身を乗り出しながら、ドリーはベープ管の端をシンタックの鼻先に突きつける。こんな芝居がかった真似をしなくとも、シンタックに真意が伝わるということは十分わかっていたが、ドリーは自分自身に言い聞かせるためにベープ管を振り回した。シンタックは冷静にベープ管の端先を見つめていたが、ふっと息を吐き出すとおもむろに背凭れに身体からだを預けた。


「わかった。ミッダルト総合学院の学生を博物院にスカウトしないと約束しよう。君の職を奪うことになってしまったら、僕も寝覚めが悪い」

「ご理解いただけたようで嬉しいわ」


 ドリーは中腰の姿勢を解いて再び椅子に腰を下ろした。シンタックと同じように椅子の背に凭れかかった彼女は、手にしていたベープ管の端を再び咥えた。一息吸い込んで、今度は鼻から水蒸気の煙を勢いよく吹き出す。煙の向こうに見えるドリーの瞳からは、それまでの張りつめた表情が薄れ、代わって現れたのは懐かしさと悔恨の情であった。


「もう、リュイやヨサンみたいな思いをする人を作りたくないの」


 ドリーの周りを漂う蒸気の煙が晴れるのを待ってから、シンタックが尋ねる。


「ふたりは元気にしているのかい」


 その問いにドリーは即答せず、もう一息ベープを吸い込んで白い煙をくゆらせた。シンタックはそれ以上促そうとはせず、彼女の返事を静かに待つ。さらにベープを二度吸い、吐き出してから、ようやくドリーはようやく口を開いた。

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