第六話 星々に散りぬる(2)
ひとり取り残されたシンタックは、改めて控えの間をぐるりと見回した。
八つのソファもサイドテーブルも結構な調度品だということは、学生のシンタックでも見ればわかる。だがそれ以外には窓も取り付けられていない、極めて味気ない内装だ。地下通路を歩いてきた距離から推し測ると、ここはおそらく博物院中央棟のどこか、それも最上階に当たるフロアだと思われる。博物院が《原始の民》の宇宙船を模しているというなら、院長室は差し詰め艦橋だろうか。だとすればこの控えの間は本来は艦橋に至る通路であり、だから装飾の類いに乏しいのだろう。ただの妄想の割りにはしっくりくる説明に思えて、シンタックは秘かに満足した。
シードルをもう少しで飲み干そうというタイミングで、再び声が降り注がれた。
「シンタック・タンパナウェイ、お入りなさい」という言葉を確かめて院長室の扉を見ると、既にドリーが顔を覗かせている。
「やっぱり少し緊張した」
後ろ手で扉を閉めながら、ドリーが大きく息を吐く。お疲れさまと言いながらソファを立ち上がるシンタックに、ドリーはなんとか笑顔を作ってみせた。
「お話そのものはなんてことないよ。でも、なんか院長の迫力みたいなのにあてられた」
「そっか。僕も気をつけよう」
「私、先にリュイたちのとこに戻ってていい? ここにいると、なんだか気疲れするの」
「わかった。じゃあ、また後で」
エレベーターに乗り込んだドリーの手を振る姿が、ドアに隠れてしまうのを見届けてから、シンタックは院長室の扉の前に立った。
「シンタック・タンパナウェイ、入ります」
室内に入るとまず会釈して、扉を閉めてから前を向く。目の前に広がる光景に、シンタックは先ほどの妄想があながち間違っていなかったことを確信した。
大きな天蓋状の天井の下に、明らかにひとりで使用するには広すぎる円形の室内。中央には厚みのある巨大な円盤が鎮座し、その上で天球図のホログラム映像が宙に浮いたままゆっくりと回転していた。ラウンジで見かけたものとそっくりだったが、異なるのは天球図の中に絶え間なくメッセージが表示されては消え、また表示されるという明滅を繰り返している点だった。天球図の周囲には大小様々な透過パネルが設置されている。床面から生えているものだけでなく、壁面から突き出たいくつもの踊り場の先や、天井から吊り下がっているものまで多種多様だ。シンタックは映像でしか見たことはないが、この光景は連邦軍の宇宙船の艦橋にそっくりである。
「そう、呆けていないでお掛けなさい。あなたの予想通りだったでしょう」
しばらく声を出すことも出来ずに室内を眺め回していたシンタックはその声を耳にして、天球図を映し出す円盤の前に人影があることにようやく気がついた。つい先刻、ステージで美声を披露した老院長が、穏やかな笑顔で彼女の前、大きな楕円形のテーブルを挟んだ向かいの席を指し示している。シンタックはぎこちない動きで、薦められるままに腰を下ろした。
「さて、面と向かってお話しするのは初めてね。私はジュダース・ウォント。この博物院の院長を務めています」
ウォント師はテーブルの上で両手を組みながら、歌のときと同じ、よく通る声でシンタックに語りかけてきた。こちらが院長の地声なのかと、シンタックは意外に思った。
「早速だけど、あなたにはひとつ文句を言わせてね。ドリー・ジェスターは博物院への進学について、卒業まで返事を保留させてほしいと言ったわ。あれだけ進学する意欲に溢れていたというのに、あなたはいったいどんな魔法を使ったの?」
「魔法だなんて、そんな」
そこまで言いかけて、シンタックは院長が穏やかな笑顔のままでいることに気がついた。
「ご存知のことをさも知らない風に尋ねるのは、意地が悪いと思います」
「それは誤解よ」
老院長は組んでいた両手を広げて、小さく首を振った。
「あなたと私たちは《繋がって》いないのよ。様々な推測はできるわ。でも、本当のところまではわからない。それほど傲慢ではないつもりよ」
「《繋がって》なくとも、観察はしているでしょう。心の内まで、あなたたち《スタージアン》には
だからといって詰るつもりはなかった。ただ、ここまで来て于遠なやり取りをする気もなかった。大体、入室してから最初の彼女の台詞が、彼が控えの間で妄想していた内容への言及だ。わかりやすいヒントを与えておいて、口先ではそのことを否定するとは
傲慢ではないかもしれないが、慈愛に満ちたような笑顔の割りには、底意地が捻くれているのは間違いない。
「僕は今日、問答をするつもりはないんです。僕の頭の中身まで丸わかりのあなたたちとの議論は無意味でしょう。本当はわざわざここまで赴いて、あなたに答えるということ自体、果たして必要があるのか疑問です」
一向に表情を変えないウォント師に対して、シンタックは内心で苛立ちが湧き立つのを自覚する。そんな感情の動きさえ筒抜けなのだと思うと、この老女と言葉を交わす時間さえ無為に思えてくる。《繋がって》いる者同士の間では、そもそもこんなやり取りも生じることはないだろうに。
「あなたは勘違いしているわ、シンタック」
そんな言葉を口にするときでさえ、ウォント師の変化と言えばせいぜい、元々細目がちな目をさらに細めたように見える程度だった。
「人の意志というものは、あなたが想像する以上に不明瞭よ。言葉なり行動なりの行為を伴って、その人にとって初めて一定の方向性を持つ意志となりうるの。だからあなたが私の目の前で、自らの言葉で語るということは、とても重要な意味があるわ」
そしてウォント師は再び手を組んで、わずかに身を乗り出した。おそらくシンタックの顔を直視しているのだろうが、相変わらずその細い目からは表情が読み取れない。
「だからシンタック・タンパナウェイ、あなたは今、自分で意志を表明しなくてはなりません。私たちはあなたの資質を高く評価し、是非仲間に迎え入れたいと考えています。そこであなたの口から博物院に進学するか否か――いえ、《スタージアン》になるか否かの意志を聞きたい。もちろん、ドリーのように半年後の卒業まで保留したいという返事でも結構ですよ」
頑なに穏やかな笑顔であり続ける老院長は、変化に乏しいせいだろうか、いつしか背景の天球図に溶け込んでしまって見えた。まるで巨大な天球図そのものに問いかけられているかのようで、一瞬目眩を感じる。気圧されぬよう、シンタックは軽く頭を振った。
「保留の必要はありません」
少年は背筋を伸ばして姿勢を正し、院長というよりもその背後の天球図に対して、意志を込めた眼差しを向ける。
「僕の気持ちはもう決まっています」
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