第六話 星々に散りぬる(1)

 翌日、巡礼研修の最終日は、参加者全員が博物院公園の中央に設けられた屋外ステージに集められて閉会の儀が執り行われた。


 ステージの外観は縦横に比べて高さが半分ぐらいの平たい方形に見えるのだが、中に入ると立方体の下半分が地下に埋まった状態だということがわかる。千人以上の学生・導師を収容してもその十倍は余裕がありそうな座席群に、各々が好き勝手に腰を下ろす。シンタックたちも昨日の自動一輪モトホイールと同じ並び順で、舞台を斜め左から見下ろす位置に着席していた。


 壇上では白髪にふくよかな体格の老女――博物院長ジュダース・ウォント師による、学生たちに向けた送辞が読み上げられている。式典の口上というものが面白味に欠けるという万物普遍の法則はここでも発揮され、リュイは瞼を持ち上げるためにしきりに目を擦り、ヨサンに至ってはがっくりと頭を垂れて堂々と鼾をかいていた。ドリーも欠伸を堪えきれずに口に手を当てている。シンタックは送辞に耳を傾けてこそいるものの、当たり障りのない内容が退屈であることには変わりがない。抑揚に乏しい口調がもたらす眠気に耐えていると、老院長はこれで最後と断った上で、それまでの演説からは想像もつかない明瞭な美声で歌い出し始めた。


 彼方より 放たれし人来たれり

 永き果てに見出しき すさび野に 降り立つ

 拓き 産み増し 栄え いつか舟を漕ぎ出ず


 ウォント師が高らかに歌い上げる歌詞は、シンタックでなくとも誰もが聞き覚えのあるものであった。幼い頃から聞かされてきた《原始の民》にまつわるお伽噺の一節、クライマックスの場面でスタージアを旅立つ人々を送る言葉を歌にしたものだ。ドリーと記念館前で会った日に、公園の緑道ですれ違った巡礼者の一団が念仏のように唱えていた詩歌も、思い返せばこの歌だった気がする。


 ほぐれし絆を 彼方に紡ぐべく

 数多の舟は 千々の星に散りぬる

 再び紡がれし絆は やがて天を覆う  


 ノスタルジックな音階と共にステージに響く歌声は、巡礼者たちの念仏とはまるで別のものであった。ウォント師の豊かな声量のためか、それとも馴染みのある歌詞のせいか、ドリーもリュイも、ヨサンさえもが眠気を忘れてその歌に聞き入っている。歌そのものは大した長さではない。長い間奏を挟み、先ほどとは微妙に異なる調べに乗せて、老院長が同じ歌詞を繰り返し歌う。ついに歌が終わり、ステージが一瞬静まり返ったかと思えば、どこからか拍手の音が聞こえ出した。拍手の渦は瞬く間に、会場の学生たち全員に広まっていく。


いにしえから伝わる詩歌をもって結びとさせて頂きます。皆さん、ご清聴ありがとうございました」


 拍手が鳴りやまぬ中、挨拶を終えた院長が壇上から退出する。しばしの間をおいて閉会の儀終了のアナウンスが告げられると、やがて観客席の中からも席を離れる者の姿が現れ始めた。場内のあちこちで出口に向かう人の波が生まれつつあり、人混みに揉まれることを嫌うリュイも席を立とうとする。ヨサンもその後に続こうとして、シンタックとドリーを促した。


「何をふたりとも突っ立ってるんだよ。さっさと行こうぜ」


 だがシンタックもドリーも席から立ち上がったまま、動き出そうとはしなかった。ドリーは右の耳朶に手を触れたまま、その場で立ち尽くしている。その後ろに立つシンタックはしばらく壇上に目を向けていたが、やがてゆっくりとヨサンに顔を向けた。


「ごめん、先に行っててくれ。僕ら、ちょっと寄るところができた」


 シンタックの台詞に、歩き出そうとしていたリュイが足を止めた。恐る恐る振り返る彼女の視線と、シンタックの目が合う。ドリーはなおも動きを止めたままだったが、シンタックに「ドリー、行くよ」と呼び掛けられるとびくっと身体からだを震わせて、周りを見回した。


「リュイ、私……」


 どこか心細そうなドリーに、リュイは落ち着いた口調で声をかける。


「すぐに戻るんでしょう? 中庭のテラスで待っているから、帰る前にお茶しましょう」

「……うん、すぐに済ませてくるから、待ってて」


 ドリーの返事に笑顔で頷くと、リュイはそのまま出口に向かって歩き出した。ひとりだけ事情の分からないヨサンは、三人の間できょとんとした顔をしていたが、


「じゃあ、待ってるから、早く戻って来いよ」


 と言い残してリュイの後を追いかけていく。残されたシンタックとドリーは、どちらから先に踏み出すべきかお互いに無言で探り合うように、なかなか動き出そうとしない。そうこうしているうちに場内の人影もまばらになり、これ以上この場にとどまっているわけにもいかなくなった。ふたりは目を合わせると、意を決して出口とは真逆の、舞台の脇にある扉へと向かう。


 扉をくぐった先には、背の高い、博物院生と思しき青年がふたりを待ち構えていた。


「お待ちしていました。院長の元までご案内します」


 青年はそう言うと返事を待つこともなく、くるりと向きを変えて廊下を歩き出す。


 てっきり舞台裏の控室のようなところに連れていかれるのかと思ったが、廊下は途中でT字に分岐しており、そこから二度曲がってさらに延々と続いていた。

 どうやらこの殺風景な通路は博物院公園の地下を網羅しているらしく、途中いくつもの分かれ道があり、おそらく地上の建物全てに繋がっているらしい。

 小柄なドリーの歩幅に合わせて比較的ゆっくりとしたペースで、青年はひたすらに通路を直進していく。しばらくして現れた大きな間口の両スライドのドアを通過すると、そこから先は何度か角を折れて、ついにエレベーターのドアの前で立ち止まった。それなりの距離を歩かされたシンタックとドリーは、エレベーターに乗り込むと上昇する間だけ一息つくことができた。


「エレベーターを降りると、院長室の控えの間になっています。ひとりずつ呼び出されますので、おふたりはそこでお待ちになってください」


 青年が説明を終えると同時に、エレベーターが到着の合図を告げる。ドアが開き、ふたりがエレベーターから降りると、背後のドアはいつの間にか音もなく閉じてしまっていた。


 控えの間には一人掛け用のソファ席が全部で八つ、向かい合うように並んでおり、それぞれのソファの脇には直方体のサイドテーブルが据え置かれていた。エレベーター側のソファに腰掛けたシンタックは、サイドテーブルの表面にいくつかのボタンが設けられていることに気がついた。その内のひとつに触れると、かすかに唸るような音がした後に卓上にぽっかりと口が開き、中からよく冷えたシードルに満たされたグラスが、ストロー付きでせり上がってきた。サイドテーブルはドリンクを提供する現像機プリンターを兼ねているらしい。


「ドリーもなんか頼んだら。結構歩いたから、喉が渇いたよ」


 そう言ってストローに口をつけるシンタックとは対照的に、ドリーは落ち着かない面持ちでソファの間を行ったり来たりしている。


「随分とリラックスしてるのね」

「そんなことないよ。こうやって気を紛らわしているだけさ」

「記念館の前で頭を抱えていた人とは別人みたい」

「そういうドリーこそ、今さら緊張しているなんて意外だな」

「私は――」


 ドリーが何か言いかけようとしたそのとき、室内のどこからか「ドリー・ジェスター、お入りなさい」という声が、二人の頭の上から降りかかった。


「は、はい」


 少し裏返り気味の声で返事をしたドリーは、そのまま控えの間の奥にある扉の前まで進んだところで、一度立ち止まって後ろを振り返った。まだ縋るような顔をしているドリーにシンタックが無言で頷いてみせると、ドリーもまた小さく頷き返して院長室の中へと姿を消した。

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