第四話 天球図(2)
「ごめん、そんなにびっくりするとは思わなかった」
せいぜい一日以上顔を合わせなかっただけなのに、彼女と会うのは随分久しぶりのような気がする。シンタックが何も言わずに見つめ返すだけなので、リュイは決まり悪そうに視線を逸らした。
「なに、なんか顔についてる?」
「ああ、いや」
「深刻そうな顔してたけど、なんかあった?」
何かあったどころじゃない。人生最大の岐路に立っているのかもしれないのだが、《スタージアン》になって機械と《繋がる》ことになるかもしれないなどと、リュイに相談できるはずもない。「別に、何もないよ」と伏し目がちに答えるシンタックの顔を、リュイが上目遣いに覗き込む。
「嘘でしょう」
「え」
「知ってるんだから。昨日、あの子と会ってたって」
あの子というのは、ドリーのことだろう。その件をリュイに指摘されても、シンタックは自分でも意外なほど冷静だった。
「なんで知ってるの」
動揺の素振りも見せないシンタックに、リュイが少したじろぐ。
「否定はしないんだ」
「知り合いに見られた覚えはないんだけどな」
「ヨサンが教えてくれたの。ヨサンは、ロディから聞いたんだって」
「ロディって誰だっけ」
「ヨサンのホイールボールのチームメイトよ。あなただって一度会ったことあるはずだけど。相変わらず他人には関心ないなあ」
「そういえば、同じ中等院生ぽいふたりとすれ違ったような」
記念館の前の階段に腰掛けるシンタックの脇を、駆け上がっていった少年少女を思い出す。もっともふたりとも顔も覚えていない。そうか、ヨサンはシンタックがドリーと一緒にいたことを知っていたのか。彼が今朝から妙に素っ気ない理由がわかって、シンタックは腑に落ちた。
「そいつ、女の子と一緒だったよ」
「本当? ロディってば朴念仁みたいに見えて、意外に手が早い……」
年相応の少女らしい好奇心が一瞬リュイの表情にもたげたが、すぐに頭を振って追い払う。
「そんなことはどうでもいいの。話を逸らさないで」
そう言ってリュイはシンタックの隣に並ぶと、手摺に凭れかかりながら吹き抜けに向けて両腕を垂らした。
「あなたこそ、他人に無関心な朴念仁のくせに、あの子とはすぐに仲良くなっちゃったの?」
他ならぬリュイとヨサンのことで色々と頭を悩ませているつもりのシンタックとしては、他人に無関心という指摘は心外である。リュイに対する返事は少しむっとした口調になってしまった。
「仲良くなったわけじゃない。僕だってこの巡礼研修で初めて会ったんだ。彼女のことはよく知らないよ」
「そんなにムキにならなくてもいいじゃない」
リュイはぷいと横顔を向けると、目の前の吹き抜けの空間に浮かぶ天球図に視線を移した。少し拗ねた顔つきになっている。シンタックも咄嗟にとはいえ、嘘混じりの反論になってしまったのでばつが悪い。ドリーのことをよく知らないなど、大嘘も良いところだ。お互いに《繋がった》者同士なのだから、下手をしなくとも幼馴染みのリュイのことよりもよくわかっている気すらする。
シンタックもリュイもしばらく黙りこくったまま、天球図に映し出される星の瞬きを眺めていた。天球図のゆっくりした回転が三巡目を終えて、四巡目に差し掛かろうとしたところで、リュイがぽつりと呟く。
「天球図を見てるとね、思い出すことがあるの」
「……何?」
「初等院のときにね、人類の分布図についての発表があったんだけど、そのホログラム映像がバーンて映し出されたの。多分手作りで、初等院生にしては相当頑張った感じの。そうしたらそれを見たヨサンが大声で、でっかいジャガイモだなあって」
「……それ、僕の発表のときの話じゃないか」
「そうだよ、覚えてた?」
忘れるはずがない。ジャガイモじゃない、と否定するシンタックとヨサンは派手な取っ組み合いをやらかし、あまつさえシンタックはその後しばらくジャガイモという不名誉な渾名で呼ばれる羽目となった。もっともそれがきっかけでヨサンと親しくなったのだから、何がどう転ぶのかわからない。
思い出し笑いと共に、リュイがようやくシンタックに顔を向ける。その笑顔を見ると臍を曲げるのも馬鹿らしくなって、シンタックも苦笑した。わかっている者同士であるということと、慣れ親しんだ間柄というものは、また異なるのだ。ドリーとこんなやり取りができるとは思えない。そう考えると、少なくとも話せる範囲だけでもリュイには伝えておかなければならない。
シンタックが我知らず真顔になると、彼の表情の変化に気がついたリュイが不審そうに眉をひそめる。
「ドリーと話してたのには、訳があるんだ」
シンタックは慎重に、言葉を選びながら口を開いた。
「彼女は多分、卒業したら博物院に進学すると思う」
シンタックの言葉を聞いてリュイが目を丸くする。心底驚いている証拠だ。
「博物院の院生になるってこと? 頭いいんだ」
「学年の最優秀成績者らしいよ。博物院は新しい院生を迎えるときは試験ではなく、スカウトするんだって。それで、彼女のところにも内々にスカウトが来てるんだって。正式なのは研修の最終日にあるらしいけど」
「ちょっと飛び抜けてるとは思ったけど、そんなに凄い子だったのね」
リュイの台詞には率直な感嘆と、だからといって素直に賞賛し難いという、複雑な感情が絡み合っているように思えた。
無理もない。医務室でのN2B細胞に関するドリーの暴言を、彼女はまだ忘れてはいないだろう。そこら辺を蒸し返すとまたややこしいことになる。シンタックはリュイの引っ掛かりをあえて無視して、話を進めた。
「そこのところの話を聞いてたんだ。記念館まで足を運んだのは、あんまり人目につくところでできるような内容でもないから」
順序が逆だったり隠していることはあるけれど、ここまで決定的な嘘はついてないと思う。それに本当に言いたいことはその先にあった。
「ねえ、なんでそんな話を聞く必要があったの」
そう尋ねるリュイの声は、語尾がわずかに震えているように聞こえた。
シンタックは一度瞼を閉じ、ゆっくりと開いて、リュイの顔をまっすぐに見ながら告げるべき内容を口にする。
「僕にも、博物院から誘いが来ている」
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