第四話 天球図(1)
その晩、同室のヨサンはなかなか部屋に戻ってこなかった。
昨日は医務室での一件に話題をとられて、結局リュイとどうなったのか、まだ彼の口から聞かされていない。実際に何があったかはとっくにわかってはいるが、彼自身から話を聞かないことには、今後どう接してよいかもわからない。
《スタージアン》になってしまえば関係ない話だ。ドリーならそう言うだろう。だが、大切な人をちゃんとしろと言ったのも彼女だ。何をどうすればちゃんとしたことになるのかはわからないが、ヨサンと面と向かってリュイの話をすることは、彼なりに考えついたひとつの答えだった。
ところがそのヨサンが帰ってこない。顔の広い彼のことだから、別の友人とロビーで談笑して盛り上がっているのかもしれない。だとしたらイヤーカフでわざわざ呼び出すのも気が引ける。シンタックは床についたまま、別のことを考えることにした。
《スタージアン》になれば、スタージアから離れることはできない。
ドリーはそう言っていたし、今ではシンタックも思い出せる。
博物院を中心としたヒトと計算資源から成る《スタージアン》の範囲は、実際の通信の制限内に収まっている。直接通信の範囲は一星系内が限度で、星系外と連絡を取るには
ドリーが言っていたのはそういうことだ。
スタージア星系から出れば、必然的に《スタージアン》ではなくなってしまう。
もっとも《スタージアン》になってしまったら、自らスタージア星系から飛び出そうと考えることもないように思う。シンタックは《繋がって》いるわずかな時間に感じた、あの万能感、安心感を思い返した。ほんの少しの体験だったからこうして反芻することができるが、もしもっと長い間、《繋がった》後だったら、果たしてこんなに落ち着いてられるだろうか。きっと不安を感じたり、もしかしたら絶望感に苛まされるかもしれない。それとも《繋がって》いる間に知ったはずの真実の大半が今、シンタックの記憶から失われているように、記憶に手をつけられるのだろうか。
横になって色々と考え込んでいるうちに、どうやら眠りに落ちてしまったらしい。シンタックの意識が呼び起こされたのは翌朝、ヨサンの声によってだった。
「起きろ、シンタック。もうすぐメシの時間だ」
シンタックが生返事をしながら瞼を開けると、彼も寝起きなのだろう、巻き毛が四方八方にとっちらかったヨサンと目が合った。
いつもの彼には似合わない、どこか不機嫌そうな顔に違和感がある。そのままそろって食堂で朝食を取っているときも、ヨサンは珍しく言葉少なだった。何か彼の機嫌を損ねるようなことをしてしまっただろうかと記憶を掘り返して、シンタックはすぐに自己嫌悪に陥った。巡礼研修に来てからこっち、思い当たることが多過ぎる。ヨサンに気づかれてはいないと思うが、もし知られているのなら嫌われても仕方のないことばかりだ。そう思うとなかなかシンタックからも声をかけにくかった。ましてやリュイのことを聞けるはずもない。そもそも周りに大勢の人がいる食堂でする話題ではない。
そうこうしているうちに午前の講義の時間となり、ヨサンとは挨拶もそこそこに別れることとなった。ヨサンが受講する恒星間通信の成り立ちと仕組みに関する講義はシンタックも興味のあるところだったが、やはり興味のあった複星系四国家の覇権推移の講義と被ってしまったため、迷った末に後者を選んだのだ。楽しみにしていたはずにも関わらず、講義の内容は頭の中に入らない。終了と共にため息を吐き出したシンタックは、教室を出ると食堂に向かわず、なんとはなしに反対方向に歩き出した。
長い廊下をまっすぐに進んだ先にあったのは、博物院中央棟の北側にあるラウンジの一角だった。
ラウンジは中央棟の一階から七階まで吹き抜けになっている広場を見下ろすように設けられている。吹き抜けに面したフロアの端の手摺に寄って、広場の上の空間に目を向ける。そこにはシンタックがスタージアに来るまでの宇宙船内で何度も見た天球図のホログラム映像が、何倍もの大きさとなって幾百万の星の光を映し出していた。
空間の真ん中を占めるように浮かんで見える黒い球体の中に、色とりどりの光点が散りばめられている様は、そのまま見入っているうちに吸い込まれてしまいそうな迫力がある。手摺越しに見下ろす格好となったシンタックは、身を乗り出し過ぎて落っこちてしまわないよう、自分に言い聞かせなければならなかった。
空中でゆっくりと水平に回転する天球図は、全ての有人惑星とそれぞれの
有人惑星の半数近くは銀河連邦が占め、残りをエルトランザ、バララト、サカの複星系国家が分け合う。いずれにも属さない独立惑星国家もいくつかあるはずだが、目の前の天球図のスケールに埋もれて見出すのは難しい。
光点が織り成す天球図を見る度、シンタックは不思議に思うことがある。
なぜスタージアは銀河系人類社会の外縁部にあるのだろう。開拓の起点となったのがスタージアならば、そこを中心に四方八方に広がるものではないのか。
先日の銀河系人類史の講義では、初期の開拓団は規模が小さかったため、進発する方向を絞らざるを得なかったと説明された。当時の状況を考えれば納得できる理由だが、ではある程度時代を経てからも反対側が開拓されることがなかったのはなぜだろう。その頃には既に人類社会の中心は複星系国家に移行しており、反対側に目を向ける者はいなかったから、というのが定説だ。
人類社会全体で見ればその通りなのだが、だからといってスタージア自身が反対側を放置する理由にはならないのではないか。そもそもどうしてスタージアは複星系国家を志向しなかったのだろう。
《スタージアン》になれば、そういう疑問は全て解けるのだろうか。
頭がくらくらする。昨晩から様々な疑問ばかりが浮かんでは消え、答えがでないまま脳の片隅に沈澱していく。疑問が疑問のまま澱のように積み残っているのは、思考の幅がその分だけ狭められているようで、息苦しさを感じる。
考えがさっぱりまとまらないままに天球図が回転する様子をぼんやりと眺めていると、唐突に背中を叩かれて、思わず「ひょあ」という変な声を上げてしまった。慌てて振り返ると、そこにはシンタック以上に驚いているリュイの顔があった。
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