第四話 天球図(3)

 リュイは唇を半開きにしたまま、しばらく表情を固まらせていた。やがて何か言おうとして口を開こうとするが、その動きはぎこちなく、音を伴った言葉が出てくるまでには少しの時間を要した。


「誘いを受けるつもり、なの」


 搾り出すように発せられた問いに対して、シンタックは正直な胸の内を明かす。


「ずっと文学院に進むことばかり考えてたけれど、博物院生になれば多分、もっと色んなことを学ぶことができる。展示エリアにあるような簡単な内容じゃない、もっと深いところを知りたいって、ここに来てからほんの数日だけど、思うようになった」


 シンタックは思いの丈を、一息に吐き出した。そうしないと、徐々に顔を歪ませていくリュイに気をとられてしまいそうになるからだった。「でも」とシンタックは言葉を継ぎ足す。


「博物院の院生になると、スタージアから一生出られなくなるんだ」

「……出られないって、どういう意味」

「文字通りの意味。死ぬまでスタージア星系から出られない。ミッダルトに戻ることも出来なくなる。スタージアに来る人と会う分には問題ないし、連絡船通信も使えるから、音信不通になるってわけじゃないけど」

「なにそれ。意味わかんない。里帰りもできないし、よその星にも行けないってこと? あり得ないよ」


 リュイはシンタックに向き直ると、そう捲し立てた。手摺を握る左手には力が込められ、それまで泣き出しそうだった顔に怒りが混じって、頬が紅潮している。

 シンタックは頭を振りつつ、リュイの言葉に答えた。


「どこまで本当なのかはなんとも言えない。それぐらいの覚悟がないと務まらないって、脅しなのかも」


 そう言ってシンタックはリュイの顔から視線を逸らすと、再び天球図を見る。


「僕にそこまでの覚悟があるかっていうと、自信がない」

「そんな覚悟、なくっていいのよ」


 ほとんど叫び出しそうな勢いで、リュイは言い切った。ラウンジにいる他の人々がこちらに目を向けていることにシンタックは気づいたが、リュイは構わずに腕を取って畳み掛けてくる。


「家族とも友達とも、自由に会えなくなっちゃう。自分の家にも帰れなくなっちゃうってことでしょう? 私だって将来はミッダルトを出て働きたいとか思うけど、故郷に二度と戻れないなんて言われたら出て行かないよ」


 リュイが都会に憧れを持っているのは知っていたが、ミッダルトを出ることまで考えていたとは知らなかった。意外と先のことまで考えているんだなあと、シンタックは見当違いな感心の仕方をしていた。

 リュイはシンタックの左腕を掴んで離さないまま、ぴったりと少年の顔を見据えている。


「いつでも会えると思うから、安心して飛び出せるんじゃない」


 いつでも会えなくなるのは嫌だ。リュイの言外の意思が、シンタックにひしひしと伝わってくる。シンタックは少しの間ラウンジの天井を仰ぎ見てから、再びリュイの顔に視線を戻した。


「そうだね」


 シンタックの一言を聞いて、リュイは目に見えて安堵した。


「親兄弟や友達と自由に会えないのは、ちょっとね」

「それが当たり前よ。一生この星から出られないって、そんな規則の方がおかしいんだから」

「こんな風にリュイと喋ることも出来なくなるしね」


 シンタックが何気なくそう呟くと、リュイは少し慌てたように顔を俯かせて、つかんでいた手を離した。それまでの態度が急に気恥ずかしくなったのだろうか、押し黙ってしまったリュイに、シンタックは気づかない素振りで言う。


「ヨサンにも会えなくなるってことだし」

「ああ、そうね。賑やかなのがいないと落ち着かないでしょう」

「ねえ、リュイ。リュイもヨサンも、僕には大事な友達なんだ」

「ええ? うん」


 いささか面食らった体で、リュイはシンタックの顔を見返した。


「僕は、リュイも、僕やヨサンのことを大事に思ってくれていると信じている」

「それは、そうだけど……急にどうしたの」

「だから僕だけじゃなくて、ヨサンにも正面から向き合ってほしい」


 シンタックは出来るだけ真面目に伝えようとして、その態度がますますリュイを困惑させる。


「本当にどうしちゃったの。もしかしてヨサンから何か聞いた?」

「あいつは何も言ってないよ。でも、リュイほどじゃないけど、付き合い長いからね。なんとなくわかる」


 釈然としない面持ちのリュイに、シンタックは努めて穏やかな口調を保つよう心掛ける。


「モヤモヤとしているヨサンって、びっくりするぐらい似合わないんだよ。お願いだ」

「うん……」


 リュイは斜め下の足元に視線を向けて、後ろ手に組みながら少し考え込むようにしていたが、やがて決意したように顔を上げた。


「わかった」

「ありがとう」


 最低だ、と自分で自分のことを罵倒したくなる衝動に駆られて、シンタックはぐっと思いとどまった。リュイには誠実であることを強いながら、いったい自分のこの様はなんだ。嘘ばかり、隠し事ばかりで、リュイに対して誠実な態度を取れているとどうして言えようか。いっそのこと、リュイともヨサンとも《繋がって》いれば、こんな風に葛藤することもないだろうに。

 リュイが投げかけてくる信頼の眼差しが心苦しくて、シンタックは作り笑いが不自然にならないよう心掛けるしかなかった。


 背後の手摺の向こうでは広場の上、吹き抜けになった空間に佇む漆黒の球体が、相変わらず遅々とした速度で巨体を回転させている。天球図は当たり前の仕事をこなしているだけなのだが、シンタックにはそのマイペースぶりが無性に腹立たしい。



 その後もふたりはしばらくラウンジにいたが、いい加減に天球図を眺めていることに飽き、では博物院中央棟の中でもまだ足を踏み入れていない場所を探検してみようというリュイの提案を実行することにした。


 博物院はなにしろ大きい。彼らが目にしたのは、中央棟に限っても大ホールと展示エリアのほんの一部、それぞれが受講した講義のあった教室、そして先ほどまでいた天球図を臨むラウンジぐらいだ。この程度ではまだ中央棟の一割にも満たない。当然ながら一般客には非公開の区画も多いが、それを除いても探検の範囲としては十分過ぎる未踏エリアが残っている。


 彼らは博物院正面玄関に面した屋内広場を臨むラウンジにいたのだが、そこから南側の展望室までの道中様々な区画を見て回った。

 ほとんどは無味乾燥に曲がりくねり続ける廊下ばかりだったが、その形状から察するにこの建物は、モデルにしたと言われる《原始の民》の宇宙船をかなり忠実に再現しているのではないかと思われた。頭の中で廊下の形状を辿ると、機関推進部、物資貯蔵庫から工作機械等格納庫など、開拓用の宇宙船に必要な区画が次々と明確に浮かび上がる。もちろんシンタックの宇宙船に関する知識など素人もいいところなのだが、もしかするとこの建物はレプリカではなく実際に宇宙を旅してきた宇宙船を転用したものなのではないか。そんな妄想がシンタックの胸中を去来する。


 ようやく南側の展望室に着いた頃には、ふたりとも延々と歩きっぱなしだったために、窓際のベンチを見つけると揃って座り込んでしまった。


「まったく、誰が探検なんて言い出したんだか」

「シンタックこそ、ただ廊下を歩いているだけなのに、妙に楽しそうだったじゃない」


 棒のようになってしまった足をふたり並んで投げ出しながら、お互いに毒づき合う。


 しばらくは動きたくない。ちょうどここからは夕暮れ時の広大な公園の眺めを一望できる。この景色を味わいながら、疲れを癒すとしよう。


 シンタックがそんなことを考えながら横を見ると、リュイが一点を見つめていることに気がついた。彼女の視線の先を追うと、展望室の真下に広がる半円状の広場の一角に、中等院生らしい少年少女のグループがたむろしている。その中に見間違えようのない、真っ赤な巻き毛の頭があった。

 赤毛の頭は集団の中心にいたが、他の面々が絶え間なく動き続けるのに比べて微動だにしない。表情までは窺えないが、きっと退屈そうにしているのだろうと容易に想像できた。


「ヨサン、何をつまらなさそうにしてるの?」


 リュイが独り言を言っているのかと思えば、違った。彼女はイヤーカフを使ってヨサンに話しかけているのだった。


「そこじゃないよ。もっと上、そう、展望室」


 キョロキョロと周囲を見回していた赤毛頭は、やがて顔を上げるとこちらをしっかり見据えてきた。リュイはヨサンに向かって小さく手を振ると、「今から降りるから待ってて。話したいことがあるの」と言ってイヤーカフの通信を切った。


「夕食まで付き合ってもらおうと思ったんだけど、ごめんね。気持ちがぐらつかない内に行動しないと」


 リュイは笑顔でそう言い残すと、疲れきっていたはずの身体からだを勢いよく立ち上がらせて、シンタックの元から颯爽と駆け出していく。あっという間に展望室から姿を消すリュイの後ろ姿を、シンタックは声をかける間もなくただ見届けるだけであった。


 ドリーといいリュイといい、連日去り行く背中を見せつけられて、何か言いようのない敗北感に囚われる。憮然としたままシンタックはしばらく公園の景色を眺めていたが、やがてふと思いついたような顔で、おもむろに右の耳朶に手を伸ばした。

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