第一話 博物院(4)

 巡礼研修二日目の午後は、夕食時まで自由時間に割り当てられている。その時間を、というよりは研修期間中の全ての自由時間を、シンタックは展示エリアの見学に費やすつもりだった。


 博物院の展示内容は質量共に銀河系一とも称される。シンタックが真っ先に向かう予定の歴史関係はもちろん、音楽、文学、美術などの文化面から宇宙通信工学に精神感応力学、銀河系人類の生活に欠かせないN2B細胞研究や現像技能などの科学技術分野まで網羅しており、とてもではないが半日やそこらで回りきれるものではない。


 展示エリアに足を踏み入れて最初の一室は、結構な数の先客で賑わっていた。

 大ホールまでとはいかずとも十分に広い室内は、天井から壁、そして足元の床まで、一面に航宙図を模した明かりが散りばめられて宇宙空間のような演出が施されており、その中央には博物院のモデルになったという宇宙船の立体映像が宙に浮かんで映し出されている。

 博物院中央棟によく似た円筒形の船体が水平に横たわり、その中央部分から三本ずつ放射状に伸びた連結アームの先に、弧状の、恐らくは重力を要する居住ブロックと食物生産用のプラントブロックがひとつずつ、対になって回転している。博物院と異なるのは、弧状の居住ブロックとプラントブロックが円筒形の船体に対して垂直に位置している点だ。全体的な構成はシンタックたちが乗ってきた旅客宇宙船と似通っているが、イヤーカフから流れる説明によると、乗客定員はおよそ一万二千人。単純に比較しても、百倍以上の規模ということになる。


 これほど大規模な宇宙船は現代の技術では製造不可能という説明を聞いて、再びシンタックは《原始の民》に思いを馳せた。

 とてつもない科学技術を持っていた彼らは、どこからこのスタージアにやってきたのか。彼らの故郷はいったい、どんな星なのか。幼い時分から聞かされてきた、《原始の民》にまつわる様々なお伽噺の真相を知りたい。宇宙船の立体映像を目にした瞬間から、午前の講義で受けた失望などどこかへ吹き飛んでしまった。


 我ながら単純だと思いながら、シンタックは人混みを掻き分けて展示エリアの奥へと進んでいく。


「シンタック、その調子で先に行ってくれ」


 唐突に耳元でヨサンの声がした。その声がイヤーカフから聞こえたことに気がついて、シンタックは肩越しに背後を見る。案の定、こちらに身体からだ半分を向けて意味深に頷くヨサンと目が合った。その向こうには、宇宙船の映像に見入っているリュイの姿がある。彼女はシンタックが離れようとしていることに気がついていない。


「まあ、せいぜい頑張って」


 極力無関心そうに返事して、シンタックは次の展示室に向かった。

 展示エリアを三人で見学する運びになったら、折を見てシンタックだけ離れて、ヨサンとリュイをふたりきりにする。巡礼研修の前からヨサンに頼まれていた通りだ。シンタックにしてみれば頼まれなくとも勝手に見て回るつもりだったし、リュイもいちいち彼を追いかけたりはしないから、ヨサンが彼女をしっかり見失わないようにしていればよい話だと思う。だが事前にわざわざ頼み込まれてしまったせいで、かえって不自然に見えないか、余計なことに気を回す羽目になった。

 リュイもヨサンも、ふたりともシンタックにとっては良き友人だ。だが、ヨサンの思惑通りになってほしいのかといえば、シンタック自身にもよくわからない。


 続く展示では《原始の民》に関して、様々な史料に基づく様々な説が紹介されていた。代表的なものから聞いたこともない奇抜なものまで、内容的にも量的にも見応えがあり、シンタックにとっては非常に興味深い展示だった。同時に、午前の講義で原始の民について少しの説明もなかった理由もわかってしまった。

 要するに、何もわかっていないのだ。

 想像の余地ばかりがうんざりするほど広がっている代わりに、確証と言えるものがほとんどない。はっきりしているのは、高度な科学技術を携えて、巨大な宇宙船に乗ってこの星にやって来たこと。それだけだ。なるほど、これほど不確かなことしかないのなら、午前の講義程度で触れようもない。すっきりしたような、拍子抜けのような、とはいえシンタックはとりあえず納得した。


 ふと周囲を見渡すと、いつの間にか人影もまばらになっている。展示内容自体が地味なせいもあるが、そういえばそろそろ夕食時だ。まだまだ回り足りないが仕方がない。この室内の展示は見尽くしたし、続きは明日以降の楽しみにとっておこう。


 踵を返しかけて、シンタックはすぐそばの壁の一部分が淡い光を放ち出していることに気がついた。


 足を止め、うっすらと輝く壁面に目を向ける。よく見ると光は文字の形に浮かび上がっている。文面を読む限り、どうやら室内の展示を最後まで目を通した者だけに表示される、ご褒美のようなものらしい。青白い光によって綴られたメッセージの最後には、『さらに真実を知りたい方は、どうぞこの文字に手を重ねてください』とある。シンタックはこの手の趣向がことさら好みなわけではないが、博物院が仕掛けたものなら話は別だ。あとで宇宙船展示室にも同じようなものがないか探してみよう。そんなことを考えながら、壁に向かって無造作に右の掌を押し当てて――


 鈍い衝撃を感じた。


 掌に波動が伝わる。ざわめくように体内を押し寄せていく波は二の腕から肩を通り過ぎて、あっという間に全身に行き渡った。それはほんの一瞬に違いなかったが、全身の血管、筋肉の腱の一本一本、消化器官の内壁のひだ、肺胞のひとつひとつの表面から、眼球の裏をなぞり、脳細胞の樹上突起の末端まで、シンタックは身体からだ中を内側からめくり上げられるように塗り替えられていく感覚に襲われた。


 平衡感覚が失われて、思わず片膝を床につく。その姿勢を保つことすらできず、ついにうずくまってしまったシンタックに、周囲の人々が気づいて集まり始めた頃には、壁に連なる文字列は跡形もなく消え去ってしまっていた。

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