5-4 それが貴女の願いだから


「ねぇ、シィ。いまさらだけど」


 街の宿では考えられない広いベッドと、ふわふわの柔らかで軽い上掛け。その上にぱたりと仰向あおむけになって、アルエスは相棒の水精を呼ぶ。


「ボク、一緒に来ちゃって良かったのかなぁ……」


 避け続けていた魔族ジェマの国・ティスティル。強く興味を惹かれたのは本当だし、こういう機会でもなければ、いつまでだって躊躇ためらっていただろう。

 だから、失敗だったとは思わない、––––ただ。


「勢い任せに来ちゃったケド、ボクって絶対場違いだよねー……」


 気まずい思いがぬぐえない。よくよく思い返してみれば、ルベルとセロアの必死の想いに便乗しちゃったようなものだし。

 宮廷作法とかに至っては、まったく無知だし未経験だし。


『ぼくはここ、居心地はいいシィ』


 水精から答えが返る。臆病なシィが居心地良いと言うからには、ティスティルは本当に良い国なのだろう。


『ちょっとコワい気配もあるけど……、ライヴァン市街よりずっといいシィ』

「そっかぁ」


 呟いて、ころりと寝返りを打つ。柔らかい掛布に頬を預け、ぼんやりと考える。

 アルエスはバイファル島がどんな場所か知らない。シィもだ。それでも話の雰囲気から、気軽に訪れるような場所でないと察することはできる。


 ルベルとセロア、そしてゼオは、向かうと言っているのだしそこへ行くのだろう。

 リンドは転移魔法テレポートが使えるから、用が済めばまたライヴァンへ行くに違いない。

 フリックはどうするのだろう。

 ––––自分は。


「まず城下に行って、ぐるっと一通り回って、イイ所そうなら少し滞在して……」


 呟きながら目を閉じたら、なぜだかルベルの泣き顔を思い出した。

 きゅん、と胸が苦しくなる。


「ボクにできることなんて」

 あるわけないかぁ、そう心の中で言って、ため息をついた。


 バイファル島を知らないから、少女の旅の危険性をアルエスは想像できない。だから、リンドやアルトゥールのような驚きや心配も感じることはできない。

 何かできることがあるなら、協力したいと思う。

 けれど自分が同行しなければならない必然性を、アルエスは見出すことができなかった。




 コンコン、と扉が叩かれ、上体を起こして返事する。


「はい、開いてますよぅ」


 かたりと扉が開いて、入って来たのはリンドだった。いつの間にか旅装を解いて、あっさりした普段着に着替えている。


「アルエス! 一緒に風呂に行こう」

「え、ええっ!?」


 スーシアは一緒ではなかったが、リンドのサファイアの両眼はきらきらと輝いていて、まるで子どもスーシアのようだ。


「夕食までは時間があるし、どうせならさっぱりして食事をしたいじゃないか。案内するから一緒に行こう!」


 有無もなく手を取られ、アルエスは焦って赤面する。


「やっ……、でもちょっ、ハズカシイ」

「そんな水くさいぞアルエス! 旅宿りょしゅくの風呂だって共用なのだ、今さら何を恥ずかしいことがある」


 ––––そう言われてしまっては身も蓋もない、のだが。


「もうっ、リンドちゃんがハズカシイよーっ!」

 自分でも良く分からない言い訳をしたら、リンドは真顔で答えた。


「私は気にならないぞ? それに、遅い時間だと姫さまや姉さまに遭遇するかもしれないし。私は構わないが、アルエスが落ち着かないのじゃないかと」

「えー、そうなのっ!?」


 まさかの、王族たちと同じ浴室……?

 混乱してパニックになりかけのアルエスを強引に引っ張りながら、リンドは嬉々ききとして言った。


「だから、一緒に入ろう! アルエス」




 済し崩しだぁ……と、顔の半分くらいを湯に浸けてアルエスは思う。

 リンドに引きずられて浴室へ来れば、待ち構えていた女官たちの、御召おめし物を預かりますとか御背中をお流し致します攻撃にさらされ、何とかそれを断りつつ、とにかくだだっ広い浴槽に逃げ込んで、ようやくほっと一息。

 アルエスは鱗族シェルクだから、水中、この場合は湯中でも呼吸ができる。

 普段はそんなこと忘れているのだが、こんな池みたいに広い場所だと、考えるともなく思い出してしまう。


「アルエス、騒がしくて申し訳なかったな」


 こちらも女官たちの包囲網を突破してきたのか、リンドがようやく到着した。

 湯の中に溶けてしまいそうな顔で、アルエスはへら、と笑う。


「リンドちゃん、さすがはお姫サマだーっ」

「いや、みな私にではなくアルエスに構いに来ていたのだ」


 リンドはそう言って、ふふっと笑う。


「ええー、どういうことっ」

「風呂に入っている間にドレスのサイズを直すそうだ。アルエス、覚悟していた方がいいぞ」

「どっドレスって!?」


 湯のせいばかりでなく頰が紅潮するアルエスを見ながら、リンドは上機嫌に言葉を続ける。


「アルエスは美人だし、髪も色が薄くて長いから、淡い色のドレスが似合うだろうと張り切っていたな」

「やっ、ちょ……美人とかってリンドちゃんめスギっ!」


 照れ隠しでぱしゃぱしゃ水面を叩くアルエスに湯を掛けられないよう、リンドは正面に移動した。


「そういうアルエスは、照れすぎじゃないか。あの者たちは着付けをするのが楽しみなのだから、好きにさせてあげればよいのだ」

「そんなこと言ったってっ、慣れないからハズカシイんだもんっ」


 照れすぎでパニックになりかけた頭に、シィのため息が聞こえてくる。


『アル、オシトヤカにしてないと、ドジしてよけい恥ずかしいコトになるシィ』

「シィってば、そゆこと言わないのっ!」


 失礼なのに的確なのが悔しいところだ。自分の両手に顔を挟んで湯面に映してみれば、ほどよい加減にであがっている。

 ––––と、不意にリンドが視線を落としたまま尋ねた。


「アルエス、そのあざは……どうしたんだ?」

「えっ? あ、あぁコレ」


 一瞬、心臓が冷えた。努めて冷静を装いつつ顔を上げる。あざとは、左脚の大腿だいたい上部にある傷痕きずあとのことだとすぐに分かった。


「あ、いや。言いたくないなら聞かないから言わないでくれ」


 焦ったようなリンドの声に彼女の気遣いがにじむ。

 アルエスはとぷん、と湯中にあごまで沈んで、視線を上向けた。


「ボクのお父さんは人間フェルヴァーで……、ボク、小さい頃は人間フェルヴァーの国で育ったんだー……」


 この世界の民は種族ごとに寿命の長さが異なる。ゆえに創世主は、愛し合う者が伴侶と同じ種族に変化できる取り決めを設けた。

 しかし中には、種族変化を望まぬ者もいる。アルエスの父はそうだった。


 鱗族シェルクの成長速度は遅い。人間フェルヴァーの五倍の時間をかけて成長する。父が寿命を終えるまで、母は父と一緒に人間フェルヴァーの国––––陸上で生活することを選んだ。当然、産まれたばかりのアルエスも共に。

 アルエスが今のルベルくらいの時に父は亡くなり、母は娘を連れて鱗族シェルクの国へ戻ることにした。しかし、そこで直面したのは、辛い現実。


「小さい頃に陸で育ったからかな、ボク、……脚を鱗族シェルクの尾に変えるコトが出来なくって」


 ひどい差別や迫害があったわけでは、ない。それでも、鱗族シェルクの社会でやはりそれは異端だった。

 記憶の奥に押し込めて隠した、見えない心の傷跡。


「半端モノのボクを、お母さんはいつも守ってくれたケド。ボクはそれが辛くて、……こんな脚、切り落としてしまおうって思ったことが、あったの」


 黙って真剣に聞いていたリンドが、息を飲んだのが分かる。

 自分ごときの腕力では当然ながら無理だった。母が見つけて助けてくれなかったら、失血のショックで死んでいたかもしれない、そんな苦い想い出だった。

 母の癒し魔法をもってしても、傷痕は完全には消えなかった。––––それで良かったと思う。


 本当に痛かったのは開いた傷などではなく、涙を流して自分を抱きしめる母の姿だった。

 自分の軽はずみな行動で母を傷つけたのが辛くて、もう二度とこんな愚かなことを繰り返すまいと、心に誓った。


「今でもまだ、ボクは完全な鱗族シェルクの姿になることができないんだけど。でも、……自分を傷つけるのは、ボクを愛してくれたお母さんやお父さん、仲間たちの気持ちを無にするコトになるから」


 今届かないモノを嘆いて、立ちすくむのは嫌だ。


「ボクは、生きて、たくさんのコトを学んで、ヒトを愛して、……いつか絶対、立派な鱗族シェルクになってキレイな魚の尾に変われる仕方を思い出すの」


 えへ、と笑ったアルエスのまなじりから、ひと欠片の涙が落ちて真珠に変わり、湯中に沈んでいった。

 リンドの目にも、涙がいっぱいに溜まっている。


「アルエスは、強いのだな」

「そんなことないよっ、……きっとみんな、同じだよ」


 うずくまって泣いていても、過去は変わらないし欲しいモノが落ちてくるわけじゃない。

 きっと––––、

 ルベルも同じなんだなと、不意に思った。




 照れたり暴れたり泣いたりいたせいで、すっかりのぼせて出てきたら、待ち構えていた女官たちにタオルでぐるぐる巻きにされ、抵抗する間もなく鏡台の前に連れて行かれた。


 細工物を造るみたいに滑らかな指の動きが自分の髪を結い上げてゆくのを、なんだか茫然ぼうぜんとアルエスは見ていた。

 ぼーっとしていたら今度は、顔にいろいろ塗られて化粧をされた。

 その手際の良さに自分の顔なのに見入ってしまい、はたと気づけば鏡の中には見たことのない淑女しゅくじょが。


「うふ、アルエス様は肌も白くてお綺麗で、旅しているようには思えませんわね」

 女官は妙に嬉しそうだ。


「えぇ……でもっ、お化粧して着飾っても、中身まで変わるワケじゃないですしっ」

 気恥ずかしさから意味のないことを口走ったら、くすくすと笑われた。


「あら、中身なんて女の子は誰でも、そんなものですわよ」


 さらっと流されて、どうもこうもない。

 鏡に映っているのは自分の顔なのに、自分の心臓に良くないとはどうしたものか。


「他国来賓らいひんの訪れるパーティでお披露目ひろめするわけではありませんし。作法さほうなど気になさらず、普段のままで楽しんでくださいませね」


 ふんわりとしたシフォン生地の淡いアクアブルーのミディアムドレスを着せられ、胸もとや腰回りを少しだけ直された。

 緊張も照れも峠を通り越し、ドキドキは相変わらずだったが、じんわり染みてきたのは嬉しさに似た感情。


「わぁ……、素敵なドレス」


 なんだかもう、くらくらする。

 綺麗に髪を結ってもらって、宝石とお化粧で飾られて。

 こんな素敵なドレスを着せてもらって。


「女の子なのですもの。そういう機会に恵まれたなら、遠慮せずめいっぱいお洒落しゃれをしてもバチは当たりませんでしょう?」


 言われた言葉が嬉しくて、アルエスは頷いた。鏡の前でくるりと回ってみたら、ドレスのすそが花びらみたいにふわりとひるがえる。


「へへっ、ありがとうございますっ」

「礼ほどの事など何も。これくらい大したことではありませんもの。ですからどうぞ、リンド様と仲良くしてくださいませね」


 柔らかな慈しみの込められた言葉だった。アルエスは、心から頷く。


「はい、ボクこそ仲良くさせてくださいっ」


 リンドのまっすぐさを、今は心から愛おしいと思っている。

 そのリンドを育んだ、このティスティルいう国も。自分はきっと、好きになれると思った。



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