5-5 大賢者は予言する


 個室は都合がいい、とフリックは考える。

 ゼオは部屋のベッドで休むとかないだろうから、ともかく。セロアのペースをいまいちつかみきれていない。

 表情を変えない穏やかな瞳の前では、自分の言動が妙に子ども染みているように思えて。

 いちいち行動を釈明しゃくめいせざるを得ない状況になるのは、なんとなく嫌だったのだ。





 夕食時にはアルエスとリンドがドレス姿で現れたり、スーシアが飛び入りしたり、いろいろとあったのだが、それはさておき。

 相変わらず賑やかに食事を終え、風呂を借りてから部屋に戻り落ち着いたら、昼にカミルが言っていたことを思い出した。


 正直、フリックは彼が怖い。外見や性格の問題ではなく、これは本能的な恐怖感だ。だから会話するだけで––––いや、前に立つだけで、生命力を削り取られる気にすらなってくる。

 けれどその一方で、抑えきれない興味もあった。

 自分が好んで読み漁っている大陸地理や生物学、その分野の権威とも言われるほどの人物。その白き賢者とじかに言葉を交わす機会なんて、もう二度とないに違いなかった。

 知識欲と本能の狭間はざまで散々悩んだ末、結局フリックは立ち上がり、部屋を出て階下の書庫へと向かうことにした。





 薄暗い室内に一歩踏み込むと、古びた書物特有の匂いが鼻をついた。わずかに眉を寄せ、フリックは奥の方をうかがい見る。

 ぼうっと明るくなっているのは恐らく、魔法による照明だろう。


「奥まで来ても構わんよ」


 見透かすように、声が掛けられた。こくりと息を飲み込む。

 前に行こうという意志とは裏腹に、足は進むのを躊躇ためらっている。


「うわぁ、すっげぇ古い本とかあるんスねー」


 わざと明るめの声を押し出して、無理やり一歩を踏み出した。

 奥でくすりと笑う気配。


「書き記された書は、人の知恵の積み重ねであり世界の宝だ。真に価値ある書物を公共の場所に置くはずがなかろう」

「は、……っ、確かに」


 声音は柔らかだが隙がない。威圧的な口調ではないのに、心を圧迫する無形の恐怖。身体は正直だ、と心底痛感する。


「フリック=ロップ」


 椅子に腰掛け、足を組んでその膝に分厚い本を開いて乗せている、白い魔族ジェマ

 薄暗がりの中、淡い魔法光を深紅しんくの双眸が弾く。


「はい」


 ずっと感じていた恐怖の正体が、直感のように解った。

 この魔族ジェマは優しい人物でも、高潔な人物でもない。賢者として名を馳せる以前のことは何一つ、知られていないが、じかに相対して漠然ばくぜんと知る。

 獰猛どうもうな獣や鳥に似た猛々たけだけしさ。それを取りつくろうこともなく、どこまでも自然体なゆえににじみ出す威圧感。

 怖い、と誤魔化しようもなく思う。


「幸運と意志の相互作用を知っているか」

「……へ?」


 白き賢者の口から発せられた脈絡なさすぎる問い掛けに、フリックは思わず見事な生返事を返してしまった。

 カミルはそれを意に介したふうもなく、続ける。


「大抵の者たちは、幸運とは偶然の所産であると考えているが、それは間違いだという話だ」


 アンラッキーなウサギは、謎掛けのようなカミルの台詞を頭の中で反芻はんすうした。

 語られた言葉の字義的な意味は理解できるが、彼が何を言わんとしているかが解らない。


「偶然でないなら必然、……って事ですか?」

 白き賢者は、笑うように口の端をつり上げた。


「幸運とは引き寄せるものだ、フリック=ロップ。世界の構成要素は、ほとんど全て意思持つ精霊に属している。精霊は基本的に人を好く性質がある。好意を持つ相手の成功を願うのは、人も獣も精霊も大差ない」

「……つまり、精霊からの好意のプレゼントがラッキー、ってことだと?」


 自分で言って、胸の辺りがざわついた。

 そうだとしたら、アンラッキーな自分は。


「不運なのは嫌われているからだ、という飛躍をするな。おまえはそれほど自分に自信が無いか」


 揶揄やゆするように細められた、血色の双眸。悔しい。

 フリックは黙って唇を噛む。


「おまえは、灼虎しゃっこに好かれてるだろう」

「ぅえ? ゼオに?」


 言われるまですっかり忘れていたが、彼も精霊だった。あまりに普通に喋っていて、なんの違和感も感じていなかった。……好かれているのだろうか。


「まあ、名を持つ精霊は特殊だ。思考も精神の自由性も人に近くなるゆえ、実感できぬか。ならばこう考えてみればいい」

 カミルはゆるく笑んで手元の本を閉じ、囁くように言う。


「おまえの思う所は本当に叶っていないのか。おまえ自身に、自虐の傾向があるのではないか?」

「じ、じぎゃ……っ」


 あんまりな言われようだ。

 ショックに思わず上擦うわずった声を上げれば、傾けた視線で見据えられ、笑われた。


「自分の事は一人の時に悩め。それとも身の上相談をするために来たのか?」

「うっわ、そこまで振っててそう来ますか」


 傷心のウサギはちょっと泣きそうになって呻く。それはその通りなのだが、一体なぜこんな風向きになったのだろうか。

 フリックは気を取り直すように、自分でくしゃくしゃと金茶の髪を掻き混ぜる。

 何かを相談したかったのは確かなのだが、実は相談できるほど事情を把握はあくしてもいない。


「考えてみればオレ、差し出がましいっすよね」

「ふむ? おまえも監獄島へ行くのではないのか」


 怪訝けげんそうに問われ、ついつい視線を泳がせながら答える。


「なんか、ゼオに引きずられて済し崩しに来ちゃったんですけどー。考えてみればちゃんとそういう話もしてないし、……アンラッキーなオレがついてったら、迷惑掛けるんじゃないかなって」


 心にわだかまっていたことを言葉にしたら、なんとも情けない気分に陥った。

 へたりとしょげた彼の茶耳を見て、カミルは淡白に答える。


「ならばまず、セロア=フォンルージュと話し合え」

「ですね。出直してきます」

「待て」


 引き返そうとしたら呼び止められた。つった双眸に映るのは、威圧感を与える強い光ではなく、呆れたような穏やかさ。


「フリック=ロップ。おまえは今の話を聞いていなかったのか?」

「え? あ、いえ……」


 ふ、と白い魔族ジェマは笑む。


「こんなもの、本来なら他者に与えてもらうべきではないのだが。ここまで巻き込まれていながら未だ自覚のないその精神性こそが、不運体質の因かもしれぬな」


 オレンジの目を丸くして見返すフリックに、宣告するかのように白き賢者は言った。


「ルヴェリエリウ=メルヴェ=レジオーラ。あの娘がつかみ寄せた幸運に、おまえは既に巻き込まれているのだよ、フリック=ロップ。あの娘は自らの意志を貫いてのぞみを叶えるだろう。その過程には障害も困難もあり、危惧きぐしているようにおまえが迷惑を掛けることもあるだろう」


 魔性じみた血色の双眸に、温度がともる。


「だが、フリック=ロップ。術式から魔法語ルーンが一つ抜け落ちただけで魔法が発動しないと同じく。絵織物を構成する糸を一本抜いただけで目指す模様が描けぬと同じく。予言しよう、おまえが同行しなければ娘の願いは叶わぬよ」

「え……っ」


 なんで、と聞き返したかったが、声は喉奥に貼りついて出て来なかった。指先がしびれるように冷えて、顔はひどく熱い。不覚にも、泣きそうになってこらえる。

 白い魔族ジェマは笑んだまま言った。


「全く。世話の焼ける事だな」

「うっ、すみません」


 幸運と意志の相互関係、の話がようやくつながった気がした。

 自分が巻き込まれる形で同行している現状は、ルベルの意志が引き寄せた幸運の一環だ、と白き賢者は言いたいのだろう。

 正直、詳しい事情をまったく知らないままで何を聞いていいかなど見当もつかなかったが、空手からてで帰るのはもったない気がしていた。


「……ご存知の通り、気になってオレ、姫さんとセロアの会話立ち聞きしてたんスけど」


 フリックは、バイファル島について詳しくは知らない。

 この島に関する情報は王族にしかもたらされないので、王家に連なる身分でもなければ知る手段がないのだ。

 それは逆を返せば、王家の協力が必須であることを示唆しさしている。だが、黒曜の決意は固く懐柔かいじゅうは難しそうだというのが、立ち聞きの感想だ。


「時間の無駄、ってまで言い切られて、ここにこだわる理由もないんじゃないかって」

 カミルは紅い双眸を瞬かせ、答える。


「昼にも言ったが、可能性の低さなら何処どこも変わらぬ。セロア=フォンルージュとて、それは承知しているだろう。外交的取引あるいは外圧をもってすれば、ライヴァン程の強国だ、要求を呑ませられる相手も少なくはなかろうよ。それをしないのには、何か理由があるという事だ」

「理由、ですか」


 言われてみれば、この曲者賢者は昼にも、同じようなことを言っていた。

 難しい顔で考え込むフリックを眺めながら、カミルは薄く笑む。


「バイファルに仕掛けられた結界は古代魔法の一種だ。緻密ちみつな魔法を解きほぐすのは困難だが、魔法語ルーンを組み合わせて編み上げた術式には、思わぬ相乗効果や相殺効果が伴う。ゆえに、解除はできなくともそれを利用しだますことはできる」


 黙ってフリックはカミルを見る。不敵に笑う、宝石みたいな両眼。


「もしかして、賢者サマあんた、裏技な入り方知ってるんじゃ」

「さあ、どうだろうな」


 カミルはうそぶいて、棚から本を一冊引き抜いた。

 ぱらりとページを捲れば、かびたほこりの匂いが鼻をつく。


「黒曜は同情で国是こくぜを曲げるような慈悲深い女ではないし、セロア=フォンルージュは手札を出し惜しんでいる。私もライヴァン王家やルヴェリエリウの事情など知らぬし、詮索せんさくするつもりもない。一見すると八方塞がりにも見えるな」


 ページをめくる手が止まった。開いたままの本を差し出され、フリックは促されるままにそれを受け取る。

 目を落とし、息を詰めた。そこには監獄島に関する記述がつづられている。


「貸してやろう。おまえが読んでも良いだろうし、セロア=フォンルージュに渡しても構わない。ライヴァン建国王が持ち帰った情報ほどの詳述はないから、彼には不要かもしれぬがな」

「……ありがとうございます。でもいいんですか?」


 王宮の書庫の古文書だ。門外不出の情報ではないのだろうか、という疑問をカミルはあっさりくつがえす。


「私に借りたと言えば問題ない」

 言われて、フリックの胸に疑問がもたげた。


「でも、なんで」

 カミルは口の端をつり上げて、楽しげに笑う。


「私は、あの娘がいかにしてのぞみを叶えるかを見てみたいのだよ。絶望を胸に抱きながら、それでも突き進む無謀さゆえに、な」

「絶望、って、どういうことですか」


 胸を突かれたような気分で、フリックは思わず聞き返した。


「ルベルちゃんは、会えないって分かっててて向かおうとしてるってことですか」

「それを読めばある程度は理解できると思うが」


 長い爪の先で紙面を示し、カミルは答える。


「元より行き来が困難極まる場所なのだ、監獄島は。今の世界において、リスクを負わず行き来が可能な王家は、ライヴァンと他、数カ国だけだ」


 直通の『ゲート』がまだ効力を持つ国、という意味でカミルは話している。

 たとえ魔法陣で渡ったとしても、島自体が危険領域であるのは変わらない。


「でも、ライヴァンは魔法が壊れたって」

 港でルベルが言っていたことを思い出し、呟いたら、カミルはふっと息を抜いた。


「発行の魔法を解除あるいは崩壊させる術式など、存在しない。あれは島自体の結界と連動しており、特別な装置があるわけではないのだ。決められた魔法語ルーン配列と王印のみで、旅渡券は作成できる」

「え」


 理解が追いつかず茫然ぼうぜんと見返すフリックに、カミルは血色の双眸を向けて、呟くように言った。


「ライヴァンの旅渡券は壊れたのではない、封じられている。話を総合するに、ルヴェリエリウの父が効力を保った券を所持しているのは間違いないだろう。つまり」


 ––––白い魔族ジェマの声が、遠くから響く気がした。


「ルヴェリエリウの父は帰って来れぬのではない。手段を有しながら帰る意志がなく、尚且なおかつライヴァンのゲートを封じて迎えを拒否しているのだ。そして、娘は恐らく、父親の意志を知っている」





 それから、どうやって部屋まで戻ってきたか、よく覚えてない。

 少なからず、……いや、かなりショックだった。

 あれほどひたむきに、父親に逢いたがっているルベル。それなのに少女の父は、帰る手段を持ちながら帰る意志がないということ。

 迎えを拒否している、––––それは。


「……親は、子どもを甘えさせてやるモンじゃねーかよっ」


 記憶の底に残る父親の声に、無理やり押し出した自分の声を重ねる。

 口癖のように、親父はいつでも自分に言い聞かせていた。さほど豊かではない生活の中、男手ひとつで自分を育て、夢を応援してくれた不器用な親父。

 大好きで大切な父だった。なのに、何も返せないまま先立たれてしまって。


 叶えきれずに途絶えてしまった夢をそれでもいまだに捨てきれないのは、あきらめてしまったら、自分なんかのために費やしてくれた父のすべてが無駄になる気がして悔しいからだ。

 子どもは甘えるのが親孝行だと言って、笑った父の顔が忘れられないからだ。


 カビ臭い本を開いて記述を目で追うが、字面じづらを眺めるだけで頭に内容が入ってこない。仕方なく本を閉じてベッドに潜り込んだが、目が冴えて眠れなかった。

 思い切って窓を開け、階下の庭へ脱出を試みる。

 屋根から庭木へ、幹の太い木を探し、よじ登ってその枝の付け根に背中を預けた。夜風に当たって頭を冷やしたかった。

 ––––と、かさかさと根元で草を踏む音がした。


「ウサギおまえこんなトコで何やってンだ」

「ゼオ?」


 人型の炎精が、怪訝けげんそうに下から見上げている。

 きんいろの猫目は夜闇の中、獣みたいに光っていた。


「ま、落ち着かねーのには同意だけどよ。おまえアイツと仲良くするなよな」

 ぼそぼそと不満げに呟かれた。昼にも思ったが、ゼオはカミルと顔見知りらしい。


「やだなー、あんな有名人と仲良くとか有り得ねーって」


 軽く流して笑ったが、自分でもから元気に思えて収まり悪い。気分が重苦しく声を出すのが億劫おっくうだ。


「……だってさ、ルベルちゃんあんな一生懸命なんだぜ? なんかしてやりてーじゃん」


 どうしようもなくて吐き出したら、鼻の奥がつんとした。

 木の根元にゼオが座り込む気配がする。


「なぁフリック。子にとって親は絶対不可欠なのか?」


 ぽつんとゼオが呟いた。

 問い掛けの意図が分からず、フリックは黙って眼下に視線を落とす。


「オレァ、会わせたくねえよ」

「なんでさ」


 問い返したら、ちかりと下で火の粉が散った。ため息をいたらしい。


「オレは精霊だから、人族の持つ情は元から持ち合わせてねえ。解ってやれねーのに解ったような顔をするのは偽善めいてて好きじゃねェ。けどよ」


 夜風がざわりと通り過ぎ、こずえを揺らして木の葉を舞わせた。

 紛れるような灼虎の問いが、夜気に散る。


「親が子を置いて出ていくってのは、そんな簡単なことなのか?」


 逆説的な問いに込め投げかけられたゼオの主張を、フリックはなんとなく理解した。視線を上げ、星辰せいしんを見上げて小さく答える。


「不可欠とか不要とかそんなんじゃねーし」


 精霊は人の感情にさとい。中位精霊の中には、心話を解し読心すら可能な者もいるという。––––だから、ゼオは解っているはずだ。

 指先で、首に掛けた白い石に触れる。

 母の形見だと言って真珠を見せてくれたアルエスを、連鎖的に思い出す。


「理屈づけて聞き分けイイ振りしてたってさ、会いたい気持ちを誤魔化ごまかせるものじゃねーんだよ」


 気づいている癖に。

 絶対不可侵の隔絶かくぜつ––––死別を突きつけられたって。

 会えるものなら、会いたいと願う。伝え切れなかったことも、言って欲しかったことも、まだこんなに胸にあふれたままなのだ。


「わかんねぇ」

「嘘つけ」


 フリックはうなる。ゼオは答えない。


「ゼオおまえホントは解ってンだろ? オヤジと娘、どっちも何とかしてやりたくて、でもどーしようもなくて、だからおまえわかんねぇって誤魔化して逃げてンじゃねーのかよ」

「うっせぇ」


 沈黙の合間を、夜風のざわめく音が通り抜ける。


「オレ、一緒に監獄島いくからな」

「はァ? ひ弱なウサギがなに言ってンだてめえ」


 言葉の割に勢いのないゼオの台詞を聞き流し、強気のウサギは白く抜けた三日月を睨み据える。


「バイファル行って、ルベルちゃんのオヤジ見つけ出して、殴ってやるぜ」

「バカかおまえ、返り討ちに遭うゎ」


 構うもんかと思った。

 どんな事情があったって、ルベルのような子どもにあんな顔をさせてはいけない、と。言い聞かせるように強く思いながら、フリックは目を閉じた。






 to next.

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