6-2 大賢者はかく語りき
昔から本を読むのが好きで、幼い時代の大半を書物に埋もれて過ごした自分だ。古書独特の匂いが満ちる薄暗い部屋は、懐かしさすら感じる。
狭い空間に魔法の明かりを
「それで、誰の記憶を拾った? セロア=フォンルージュ」
言っていいものかと
「恐らく……ゼオの」
「ふむ」
表情を
「
「––––ぅぁうっせえ!」
途端、火の粉を散らしながら眼前に虎の精霊が現れる。
カミルは笑んだ表情のまま続けた。
「ここは火気厳禁だ、ゼロ=オーレリディラオ。貴重な書が燃えたらどうしてくれる?」
ゼオは獣が牙を向くような形相でカミルを睨むと、がりがりと髪を
「……ンのガキ」
「責任転嫁は見苦しいぞ。スーシアの能力は強制ではない、相互作用によるものだからな。おまえが望んだのだろう?」
ゼオは喉の奥で低く
セロアは首を傾げてカミルを見る。
「どういう事ですか?」
カミルは手もとに本を取り、指先でページを
「スーシアは元々、人でも精霊でもない。風の精霊王・トルネードの鱗の一欠片、つまり純粋で質の高い魔力結晶から作られた、
「人形……ですか」
意外な事実に、思わずおうむ返しをしてしまう。
セロアの目から見て、子どもの言動や表情に不自然なところはなかったし、精霊のゼオと違い食事も目一杯食べていた。あの子が人形だというのは、ひどく不思議なことに思えた。
カミルは反応を確かめるように視線を上げて、続ける。
「あの子の〝親〟が、偶然見つけた結晶に自分の子ども時代の記憶を重ね、その心象に魔法力が反応して、具現化されてしまったらしい。性質は中位精霊に
「風の中位精霊、ですか?」
白い
「イメージの原型となった
最後の台詞は笑み混じりだ。つまり、普通の子どもよりやんちゃだということか。
「特殊能力が、記憶を拾うことですか?」
風魔法に似ようなものがあった覚えがある。セロアが問うと、カミルは頷いた。
「そもそも、〝母親〟が自分の口では言えない想いを相手に気づいて欲しくて、
「––––思ってねェ」
獣の唸り声が混じる呟きに、カミルは機嫌良く笑む。
「まあ、いい。スーシアが記憶を『拾う』場合、見せる対象は記憶の持ち主含め、居合わせた者に無差別なのだが。珍しいな、見てしまったのはセロア=フォンルージュ、おまえだけか」
「そうなんでしょうか」
確かに、起きた時のルベルも朝食時の他のみんなも、おかしな様子はなかった。ゼオは無言で首を振る。
彼もまた、カミルに指摘されるまで知らなかったらしい。
「属性……風同士で共鳴したのかとも思ったが、シェルシャも別段何もなかったようだ。––––で、あれば」
血色の双眸に光が入り、セロアを見た。
「セロア=フォンルージュ。おまえは相当深く、夢と関連のある事物を望んでいるのだろう。本来なら誰かに届く前に霧散する程度のイメージを消える前に
セロアは黙って視線を落とし、離れた場所に座るゼオを見た。
「……そうですね」
館の絵でしか知らないルベルの両親。夢を介してとは言え、確かにこの目で見たのだ。それも、自分の記憶と錯覚するほど、鮮明に。
それを知って得たものは。
「ぜひバイファルに渡らなければ……、その決意が一層強くなったのは確かですね」
ゼオがそれに反応して、ぼッと炎の息を吐いた。途端にカミルが睨む。
「火気は厳禁だ」
「け、解ってら」
白き賢者は、ふっと表情を和ませた。
「しかし面白いな。私は見なかったし詮索する気もないが、灼虎の記憶を見たという事は、光景だけでなく当人たちの感情までも
ゼオは答えず、セロアは何と答えたものか
––––確かに、辛い記憶だ。
けれど、ルウィーニに聞かされたこと––––現状で知られているわずかな事実には含まれていない真実は、決して辛いだけのものではないように思うのだ。
「私は、レジオーラ卿の口から、ルベルちゃんに、聞かせてあげて欲しいのかもしれませんね」
「そうか」
カミルは頷き、ぱたりと本を閉じた。
「結局の所、人の選択が吉となるか凶となるかなど、未来が到来してからでなければ解らぬよ。叶えたいなら力を尽くせば良いし、叶えたくないなら妨害すればいい。それだけの事だ」
正反対の未来を望む二人を交互に見遣って、白き賢者は薄く笑う。
「時に、おまえたちは、なぜ炎帝がレジオーラ家を潰そうとしたのかを、知っているのか?」
ゼオが反射的に顔を上げカミルを見た。
セロアは一瞬、自分が夢の内容を口走ったのかと思い……記憶を巡らす。
––––言った覚えは、無い。
「あなたはどこまでご存知なのですか、白き賢者殿」
嫌な汗を背中に感じつつも、セロアはやわりと問いをかわし、逆に問い返す。ゼオは無言。
カミルは紅い両眼をすうっと細め、笑った。
「隣国であり関係の険悪な国であれば、王の
「……嘘をつくな」
ゼオが、低い声で唸った。ゆら、と
「白き賢者殿。あなたも、あの炎の中で何が起きたのかまでは知らないのですね」
カミルは、ふ、と笑った。
「断片の過去というのは、事実に足りないだけでなく真実を歪めることさえある。誤った基の上に仮説を築けば、完成するのは紛い物の論理だ。おまえたちはどちらも、断片を見て全容を知ったつもりになっていないか?」
「てめえ、何が言いてェ?」
ゼオの警戒が、殺気に転じる。セロアは黙って視線を落とし、考え込んだ。
「知りたいから会いに行く––––……で済むことでは、ないのですか」
ルベルの父がそうまでして
会って知れることならば、ルウィーニもフェトゥース国王も今に至るまで困惑を引きずることはないはずだ。
徐々に上昇する気温を頰に感じつつ、セロアは無言のまま思考を巡らす。
「––––あ」
不意に。バラバラだったパズルピースが、一つになった気がした。
炎帝がレジオーラ家を系図上から
「レジオーラ卿は、フェトゥース国王の母違いの兄、……でしたね」
彼自身がひた隠しにしていたこの事実は、ライヴァン王宮関係者の中でもほんの一部の者しか知らない。
ルベル自身も知らず、セロアはこの旅が始まって間もなくルウィーニから手紙でこの事実を知らされた。
知った時に意外とも思わなかったせいか、ほとんど忘れていたと言ってもいい。
その事実と、炎の夢が不意に、
「炎帝は、彼と彼女の関係……そして彼女の
はっとしたように、ゼオが顔を上げる。
カミルは薄く笑んだまま目を伏せた。
「ルヴェリエリウはレジオーラ家にとって滅びの種だった、という事だ」
途端、いきなり立ち上がったゼオがカミルの襟をつかみ、紅い双眸に
積み上げられていた本が数冊、床に落ちて
「てめぇに、何の権利が……ッ!」
「私は事実を述べただけだ、ゼオ」
ちりりと埃を
張りつめた緊迫感に、セロアは金縛りに
「存在そのものが罪悪だったのだよ、あの娘は。だから父親は事実を自らの胸に封印し、娘の罪を引き受けてバイファルに行ったのだ。 その覚悟を打ち砕くということは、娘に、己の存在の罪を自覚させることに他ならない」
「……やめろ、てめ、……っ」
名を持つ破壊特化の精霊をすら威圧する、白き賢者の魔性の瞳。その底知れぬ存在力を目の当たりにして、普通の人族が平常心を保てるはずがない。
意志力を総動員して、セロアは目を
それでさえ皮膚を通して感じる魔力の圧に、心臓が冷えるような
「はっきり言おうか。炎帝が恐れたのは、ロッシェの子を宿したレジオーラ家が宮廷内で力を持つことだ。凡才のフェトゥースに父を排する覇気はないが、ロッシェは母に似て賢い若者だった。炎帝はレジオーラの娘が彼を
「てめっ! 黙れッ」
淡々と語るカミルと、声を荒げるゼオ。
その傍らでセロアは目を伏せたまま思考を巡らせる。
「だが、人の心は計算通りに動かぬものだ。ルヴェリエリウはレジオーラ家に滅びを招いたが、〝
セロアは黙って目を開き彼を見る。
血色の双眸に映っていた魔性の光はすでに無く、彼は穏やかに笑んで灼虎の手を振りほどいた。
「人であろうと国であろうと、私のものを脅かす相手は容赦なく消すよ。私は」
ふっと殺気が霧散する。
ゼオが崩れるように座り込み、セロアは柔らかく微笑んだ。
「私は、ルベルちゃんを守ります。どんな真実を突きつけられても、私はあの子の味方です。––––そういうこと、なんですね?」
「性悪ヤロウてめ、その回りくどい論法いい加減やめやがれ」
ゼオは
––––白き賢者の言葉は、流血の過去を負ったあの
カミルは乱れた襟を直しながら続ける。
「守秘能力に絶対などない。いくら黙秘を固く決意していたとしても、記憶を拾う手段は幾らでもある。スーシアのような特殊能力、あるいは魔法、薬など。本当に事実を隠し通すには、その記憶を持つ者を消し、精霊を黙らせるしかない。––––あの男は賢い。意図的か無意識か知らぬが、それを実行したのだからな」
セロアは黙って白い
精霊が口を閉ざすという、館の過去。恐らく精霊王に
「あなたにも解らないのですか」
静かに問うたら、彼は薄く笑んだまま、今度ははっきり頷いた。
「あの男は精霊に相当深く愛されている。彼と精霊たちの間には一種の契約関係が存在し、それを
「……ナニ?」
「おまえは心の根底で、真実を知らせたいと願っている。それに感応できたのは、精霊王の魔力を
ゼオのきんいろの猫目が驚きに
言葉を失うセロアに視線を向け、カミルは穏やかに笑った。
「おまえにも言ってやろうか、セロア=フォンルージュ。どんな無謀にも、理由があると同じく。どんな決意にも、理由はあるものだ。それに、シェルシャの言葉を考え併せてみると良いだろうよ」
「……解りました」
明確に意味が解ったわけではなかった。
この
それを正しく配列し、道を見定め、方法を選ばなければ、すべてが崩壊することもあり得るのだという、そんな重圧。
––––けれど。
あきらめるつもりは、ない。
答えはまだ解らなかったが、セロアの中ではその時ひとつの決意が固まっていた。
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