6-3 末姫の決意
「セロアさん、どうしたんだろうねー」
リンドが中庭の池には色鮮やかな魚がいるという話をして、アルエスが見てみたいと言い、ルベルも絵を描いてみたいと言うので、三人は一緒に中庭の池に来ていた。
池の縁で水面をつつくシィと一緒に魚を眺めながら、アルエスが心配そうに呟く。
リンドが眉を寄せて言った。
「寝汗がひどかったようだが、熱はなかったらしい。緊張のせいか悪夢を見たと言っていたが……、心配だな」
「うなされてたです。寝言は言ってなかったから、どんな夢かは解りません。聞いても教えてくれません……。だけど絶対、あれは悪夢でした!」
少女は言って、大きな瞳でリンドを見上げた。
「悪夢の呪いとか、ユウレイにとり憑かれたとかだったら、どうしよう……」
「そういえば、そういう呪いもあるねー。シィはなんか気づかなかった?」
答えに詰まって立ち尽くすリンドの横に、アルエスが来た。
シィはぴゅっと水を吹いて答える。
『炎のニオイがしたシィ。でも、呪いの気配じゃなかったシィ』
「そっかぁ。……火事の夢でも見たのかなぁ」
何気なく呟いたアルエスの言葉に、リンドが目を輝かせた。
「そうか! 火事の夢だったからひどく汗をかいたのだなっ」
ルベルは目を丸くして二人を見、首を傾げて考え込んでしまった。
「……ま、セロアさんは学者さんだし、ボクらより詳しそうだから、呪いとかならちゃんと対応するんじゃないかなぁ」
アルエスの言葉を結論に、三人の興味は再び池の魚の方へ。
小さなスケッチブックを広げ、池の中を閃くように泳ぐ魚を描いているルベルの隣、リンドはピクニックよろしくリンゴを剥いて皿に乗せてゆく。
「ルベルちゃん、絵上手なんだねー」
リンゴをかじりながら、アルエスが隣に腰を下ろして覗き込んだ。
ルベルはにこにこと、他のページも開いてみせる。
「ルベルはまだまだです。たくさん練習して、パパみたいに上手になるんです」
「ルベルの父さまは絵が上手なのか?」
美しいものが好きなリンドは、絵画を見るのも好きだ。
興味を引かれて尋ねる彼女にルベルは、はいっと答えてスケッチブックの間から一枚の紙を取り出した。
「これ、パパの絵です」
リンドとアルエス、それぞれが覗き込んで目を瞠る。
それは木炭で描かれた若い男の似顔絵だった。ラフでありながら、緻密で繊細な。自画像だろうか。
「––––彩色された絵も見てみたいな」
ぽつんとリンドが呟いた。アルエスはしげしげと絵を眺める。
「ルベルちゃんのお父さんって、今何歳なの?」
絵の姿はずいぶん若い。きっと失踪する前に描いたものだろうから、五年以上は経っている。
ルベルは指を折って数えながら、答えた。
「今は三十六歳です」
「そなんだ」
そのくらいなら、極端な変化もないだろう。この似顔絵で捜すにしても、それほど当人と剥離してはいなさそうだ。
「ところでルベル、バイファル島にはセロアと二人だけで行くのか?」
リンドが不意に思い出したように言った。
ルベルは大きな目で彼女を見上げ、頷く。
「はい、セロアさんとゼオくんです。フリックくんも来てくれるかも……」
「セロアにゼオに、フリック……? なんだ、男ばかりじゃないか!」
何を思ったかリンドがいきなり立ち上がったので、アルエスとルベルはそれをきょとんと見上げた。
「ルベルは立派なレディなのにそれでは困るだろう!? 年頃の娘には、男に聞けぬこともたくさんあるというのに……! よし、決めた! アルエス、私たちもルベルの旅に同行しようじゃないかっ」
「……ええっ?」
突然振られて面食らうアルエスと、目を丸くするルベル。
リンドの蒼い目はきらきらと輝いていて、使命感だけでなく好奇心も満載なのは一目瞭然。茫然とした沈黙から先に立ち直ったのはアルエスだ。
「でも、ルベルちゃんは迷惑じゃない?」
「あっそうだな、ルベルが迷惑なら無理を言ってはいけないな! すまない」
心配そうに覗き込むアルエスと慌てるリンドを交互に見て、ルベルは照れたように笑った。
「んと、ぜんぜん迷惑じゃなくて、嬉しいです。……けど、バイファルは危険なところだから来ちゃダメです。リンドちゃんだってきっと、女王さまにオッケーもらえません」
そんなことは、––––思わず言いかけて、リンドは口をつぐむ。
彼女とてバイファルの特異性を知らないわけではない。それなのに今ここで宣言してしまうのは、軽々しいことに思えた。
「よし、それじゃあ私は姫さまと父さまたちに、ちゃんと許可をもらってくる! その上で改めてこの話をしよう!」
アルエスはまだきょとんとしていたが、ルベルはそれを聞いて大きく目を見開き、次いで嬉しそうに笑った。
「はい、了解です」
+++
午前の執務を終えた昼食の後にお茶でくつろぐのは、黒曜姫の習慣のようなものだ。
カミルが来訪している時は大抵この時間になるとテラスへ出没するのだが、他に興味を引くことがあったのか今日は現れる様子がない。
それはそれで静かでいいのだが……彼の興味対象を考えると不安があるのも事実で。
「––––姫様、あまり思い詰めては良くありませんわ」
柔らかな声が気遣うように投げ掛けられた。
見ると、慎ましやかな雰囲気の女性が手に小さなバスケットを抱えて微笑んでいる。リンドとアルトゥールの姉、エルフリーデだ。
「……エリー、目の具合は大丈夫ですの?」
「ええ、今日はずいぶんと調子が良くて。屋敷の活気に、精霊たちも上機嫌なのかもしれませんね。事情は幾らかリンドからも聞きましたし、姫様の様子が気になって来てみたのです」
目に障害を持つ彼女が王宮まで出向くのは珍しい。黒曜はふわりと微笑む。
「心配掛けてごめんなさいね」
「そこで謝るのは、姫様の悪いくせですわよ。そんなこと言ったら私たちも、心配してごめんなさい、……って言わなくてはいけなくなりますもの」
くすくすと微笑みながら、彼女は黒曜の真向かいに腰を掛けバスケットを開けて、テーブルの上に彩りの綺麗なクッキーを並べながら言った。
「うちの屋敷の女中たちが新作のクッキーを味見して欲しいと言うものですから、少しいただいて来たのですよ。リンドが里帰りしているためかしら、みんな張り切ってしまって……」
「みな、寂しがってましたものね。あら、このジャムは不思議な香りがしますわ」
「それは確か、チェアリーの蜜を使ったと言っておりましたね。心を落ち着かせる効果がある、幻の樹だとか……」
紅茶とクッキーでそんな他愛もない会話をしていると、ぱたぱたと軽い足音が階段を駆け上ってきた。
エルフリーデが顔を上げ、咎めるように声を掛ける。
「リンド、女の子が邸内を駆け回るものではありませんよ」
「あっ済みませんっ、姉さま! 姫さまとご一緒だったんですね」
足音の主は畏まるようにぴたりと足を止め、姿勢を正し満面の笑顔で二人を見た。エルフリーデはくすと吹き出し、黒曜姫もふんわり微笑む。
「相変わらず元気なことですわね、リンド。宜しければあなたも一緒にお茶をいかが?」
「はい! ありがとうございます姫さま! でも今日は、許可をいただきに参ったのです。姫さま、セロアやルベルと一緒にバイファルへ行くことを、リンドに許可してくださいませんか!?」
その途端、黒曜の笑顔がすぅっと引いた。
エルフリーデが静かに問いかける。
「突然にどうしたの? リンド。あなたが行かなければならない理由を、説明してもらえるかしら」
「はい! バイファルが危険な場所だということは、よく承知しています、姉さま。だからこそ、同行してルベルの力になりたいのです! セロアもフリックも、……その、こう言ってはなんですがイマイチ頼りないですし、ゼオは精霊ですから戦いを好みません。それに長旅の道中、年頃の娘が男ばかりに囲まれていては、いろいろと息苦しいと思うのです!」
一気に並べあげるリンドの言葉を聞きながら、黒曜はカップに口をつけ、息を吐き出した。ふわりと白い湯気が広がって散ってゆく。
エルフリーデは彼女を見、再びリンドに顔を向けた。
「確かにその通りね、リンド。けれどそれは、あなたでなくてはいけない理由にはなりません。無茶を言って姫様を困らせるものではないわ」
「––––無茶、って」
意外な事を突きつけられたかのように目を丸くするリンドに目を向け、黒曜はふわりと優しく微笑んだ。
「リンド、その許可はわたくしからは出せませんわ。兄様とアルルとエリーと、家族でしっかり話し合ってくださいませね。それで皆に許可を貰えたのでしたら、わたくしも許可いたしますわ。それで、よろしくて?」
「は、はい!」
慌てたように応じるリンドに、エルフリーデはきっぱりと言った。
「たとえアルルや父様が良いと言っても、私は許可するつもりはありません。––––リンド、書庫へ行ってもう一度、バイファル島についてよく調べてきなさい」
早くに母を亡くした家族の長女として、エルフリーデは時に母のような一面を見せる。そんな時の姉には言葉を挟む余地がなく、リンドは困惑したように頷いて、ぺこりと頭を下げ階段を駆け戻っていった。
黒曜はそれを見送り、ぽつりと呟く。
「––––きっと、送り出す立場にならなければ、永遠に知ることは出来ないのですわね。残された家族が夜ごと無事を祈って、胸が裂ける思いに囚われていることなど……」
エルフリーデは黙って立ち上がり、そっと彼女の肩に細い腕を回した。
黒曜姫の胸に凝った孤独を、彼女もまた、よく理解していたからだ。
書庫に行ったら、守護者と呼ばれる白い
踏み込んだ瞬間わずかなキナ臭さが鼻についたが、彼が平然としているなら何も問題はないのだろう。
白き賢者は足音に顔を上げ、悠然と笑む。
「入れ替わり立ち替わりと賑やかなことだな。どうした、リンド」
「灰竜さまお久しぶりです! ……あの、実はバイファルのついての記述が載せられた書を、お借りしたいと思いまして」
彼はこの城の住人ではないし、ましてこの書庫の番人ではない。だが、彼が滞在するときは大抵ここにいるので、書庫の主のような錯覚を覚えてしまう。
カミルは、彼にしては珍しく驚いたように目を丸くした。
「おまえも監獄島へ行くのか、リンド」
「いえ、行きたいですと申し出たら、姉さまにダメ出しされて、記述を勉強し直してくるよう言われました」
それを聞いた途端、白き賢者は吹き出した。
どこで笑われたのか分からず、リンドはきょとんと押し殺すように笑いを堪える守護者を見つめる。
「あっ、あの……」
「ははは、当然だリンド。全く、おまえたちの家系は能天気が遺伝するようだな」
ある意味大層失礼なことを言いながら、カミルは椅子から立って、緩んだ表情でリンドの頭を軽く撫でた。
「詳細記述など調べたら、おまえの好奇心に火が点くだけで逆効果だ。あの島は魔法不干渉地域ゆえに、魔法による移動と通信が不可能、その上ティスティルには直通のゲートがない。反対される理由はこれだけで理解できるだろう?」
見上げるリンドを、カミルは穏やかな双眸で見る。
「どんな危険に見舞われても、転移魔法で島を脱出することが出来ない。こちらから生死含め一切の状況を知る手段はないし、占術で知れたとして助けに行くことも不可能。それがお前を大切に思う者たちにとっていかほどの苦痛か、おまえなら解るだろう」
「……はい」
まっすぐな蒼い両眼に光が揺れる。
物心つく前に母を亡くした彼女は本当の離別を知らないし、知るにはまだ、幼い。
「それでも行きたいのか?」
「––––私は」
応じた言葉は途切れ、少女は目を伏せ口元を手で覆った。
眦からあふれる雫が頬を伝って手を濡らす。
「……カミルさま」
震える声で、リンドは白い守護者を見た。
「ルベルは、どんな思いで、父さまの無事を願っているのでしょう……?」
カミルの話でリンドが想起したのは、自分の家族ではなくルベルのことだ。
途切れてしまった絆と、知ること叶わぬ生死。自分がルベルだったら、あんな風に笑うことができるだろうか、と。
カミルの紅い双眸をまっすぐ見据え、胸に込み上げる想いをぶつけるように、リンドは言葉を続ける。
「カミルさま、私はあの子の楯となり、剣となりたいです! 私でなくてはならない理由が、絶対あるはずですっ! だって、私がルベルをここへ連れてきたんですから……っ!」
泣きながら訴える少女を見、白い
「精霊の剣は使い手を選ぶ。––––或いはおまえも引き寄せられたのかも知れぬな」
「……え?」
話題の繋がりが解らず戸惑うリンドの頭をもう一度、撫でて。
カミルは優しく、囁いた。
「今日と今夜、じっくり考えてみるが良いさ。結局の所、誰が何を言うとしても、最終的な決定は自分が下すしかないのだからな」
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