10-2 海に棲む魔物


 あふれるほどの祝福をうたに乗せ、アビスサーペントは結界を越えるアビスワーク号を見送ってくれた。

 アルエスがシィと名残惜しげに手を振る。ゼオは相変わらず虎型のまま、だが幾分か気を張った様子で、彼方を見やっていた。


「ゼオやシィも精霊なのに、結界を越えられるんだな」

 不思議そうなリンドに、セロアは旅渡券を広げて見せる。


「女王様がここにしっかりと、ゼオとシィの名前を記載してくださったので、越えられるんですよ」

「へぇ、そうなんだ」


 覗きこむアルエスに視線を傾け、セロアは穏やかに笑った。


「普通、精霊は名前を持ってないので、確証するには事例が足りないですけどね。バイファル島は、まだまだ未知な部分が多いんです」


 実際、旅渡券の効果はあまり解明されていない。王宮に関わる者でなければ手にする機会は皆無だから、当然と言われればそうなのだが。

 人族に関しては、名前の記載に特別の拘束力があるわけではない。

 特に魔法陣テレポーターによる直通ゲートを使う場合は、転移を発効した当座に魔方陣内にいた者すべてが入島できる。


 いずれにせよ、その効力を熟知している者など、国王と王に近しい王宮関係者くらいしかいない。

 セロアやフリックは知識として幾らかを把握している程度であり、リンドは王族ではあるが継承権から遠いため、それほど深い情報を知らされていない。


 セロアは券を仕舞い込み、改めて全員を見渡した。

 魔法不干渉の結界を越えてしまった以上、この先はわずかな油断が命取りになりかねない。

 アビスワーク号は、海路の船着場まで自動航行するよう設定されている。悪天候や障害物の時など手動に切り替えることも出来るが、操舵技術のある者がいないのでは意味がないだろう。


「念のため、リンドとアルエスは後方を、ルベルちゃんは私と前方の見張りに。フリックとゼオは操舵室に、待機しててくださいね」


 船の速度は随分と落ちていた。岸が近いゆえの低速か、アビスサーペントと別れたからなのか、もしかしたら両方かもしれない。

 直近海とはいっても、入港するまでもう少し時間が掛かるだろう。その間に起き得るまさかの事態のため、警戒を緩めるわけにはいかないのだ。


「了解した、アルエス行こう!」

「うん、セロアさんとルベルちゃんも気をつけてッ」


 水属性の少女二人は、疲れた様子もなく元気に返事して後方へ回っていった。

 他方、憔悴しきったウサギと虎は、それぞれが活きの悪い相槌を返して船内へと戻っていく。


「さて、私たちは前方の見張りといきましょうか」


 セロアがそう言うと、ルベルはこっくり頷いて、船べりから見える島影に視線を向けた。快晴なのにどこか霞んで見える黒い陸地は想像以上に高低があって、岩地の険しさが思いやられる。


「見えますか、ルベルちゃん」

 静かなセロアの問い掛けに、ルベルは頷いて彼を見上げた。


「覚悟はオッケーですか? セロアさん」

 セロアは苦笑し、そして頷く。


「ええ、ここまで来たらどこまでだって行きますよ。ルベルちゃんの覚悟はどうですか?」


 少女はまっすぐセロアを見たまま、にこりと笑って答えた。


「ルベルは絶対にパパを捜してみせます!」


 覚悟というよりは宣誓のような。

 睨むように島へと視線を戻したルベルが、この小さな身体にどれだけの想いを抱えているのか、いまだセロアは断片的にしか知らない。

 不安要素を辿っていけば、どこまでだって遡れてしまう。

 生死すら不明という状況からすれば、最悪の結果だって想定せずにはいられない。


 いつまで島に留まり、捜すのか。

 日を重ねれば重ねるほど自分たちの存在は島民たちに知れ渡り、少女自身の危険も増して帰還が難しくなる。

 その現実をどこまでルベルが認識しているのかはセロアも知らなかったし、どう切り出して確かめたものかも思いつかなかった。


 そもそも、どこから始めてどうやって捜すのか。

 一枚の絵を手掛かりに、手当たり次第に島民に聞いて回る……それすら危険な場所なのだ、この監獄島は。

 考えれば考えるほどに、難しい。それを改めて痛感し、セロアは黙って海向こうの陸影に目を向けた。

 じわじわと迫り来る感覚を、目視で実感するにはまだ遠い。


「あ、セロアさん見てくださいっ、タコさんがトランペット吹いてます!」


 真剣に考えていたところに素っ頓狂な横槍を入れられ、セロアは一瞬、現実を認識し損ねる。

 はた、と傍らのルベルを見れば、少女は目を輝かせて海の方を指差していた。

 つられて見た先には浮き岩があり、その上には確かに、タコやイカのようなイキモノが乗っている。各々それぞれに貝殻や珊瑚でこしらえた楽器を携えて、正真正銘の演奏会をしていた。


「………………」


 たぶん水棲の生物か魔物なのだろうが、セロアはお陰で思考がフリーズしてしまい、何もコメントできないまま、まじまじとそれを凝視するのみだ。

 ルベルが隣でいろいろ感想を喋っているが、耳を通り抜けていくだけだった。

 ――あぁ、あれが噂に聞く『海星楽隊かいせいがくたい』か。

 船が真横を通り過ぎ、今度は後方から、少女たちの歓声が聞えてきた頃になってようやく、セロアはその集団の名称を思い出す。


 船乗りたちの間では、案外と有名な話らしい。

 自分らの音に絶対の自信を持ち、プライドと魔力をこめて様々な楽器を演奏するという海のオーケストラ。魔力保護のない普通の漁船や旅客船だと、音の魅力に惹きつけられて航路から逸れてしまうこともあるとか。

 まさか本当に出くわすとは。

 折角なので見納めておこうと、何気なく振り返った、視界に。

 不自然に慌てた様子で彼らが岩から海へとダイブしたのを見てしまい、セロアの直感に何かがかする。彼らの行動の意味を分析している時間はなかった。


 唐突にがくんと、船体が揺れた。咄嗟にセロアはルベルに腕を回し、海に投げ出されないよう船べりから距離を取る。

 続く第二撃は、船底を突き上げるような振動。

 同時に賑やかな足音がして、後方からリンドとアルエスが走って来た。


「セロア! 船の下に何かがいるぞ!」


 叫んだのはリンドで、アルエスは息を切らして後から来ると、ぜいぜい呼吸を整えながら斜め後ろを指差した。つられ見た先に、船べりから見える巨大な触手。


「――っ!? きゃぁぁ!」


 ルベルが悲鳴を上げてセロアにしがみつき、少女を抱き留めながらセロアは、停まりかけた思考を高速で巡らせる。

 何というかアレはどうにも友好的イキモノではなさそうだ。

 触手の先端に横縞のようなひだ。タコやイカみたいな吸盤ではない。表側が深青色で裏側は白、それが滑らかな動きで船上を進入しようとするのを、リンドが鞘に入ったままのエストックで思い切りぶっ叩いた。

 一瞬怯んだものの、逃げる様子はない。リンドは鞘を抜き払い、謎の触手と対峙する。本体の全様は船の下に在って、確認できない。


「セロアさん! コレって絶対ピンチだと思うんだケドっ」


 半放心状態のセロアをアルエスが揺さぶって叫んだ。

 ルベルがじたじたとセロアの腕から抜け出し、短槍ショートスピアを構えて魔法語ルーンを唱える。

 ぴりりと空中に電撃が走り触手を焦がしたが、相手が怯む様子はない。


「もしかして、オーシャンドウェブ?」

 ぽつりとセロアが呟いた名称に、アルエスがさっと蒼ざめた。


「うそぉ」


 がり、がりがりと船底から音がする。何かが爪を立てているような、あるいは齧っているような鈍い摩擦音。

 がくりとさらに船が傾いた。


「セロア! どうしたらいい!?」


 窺うようにちょっかいを出してくる触手を牽制しつつ、リンドが叫んだ。セロアは脳内の魔物事典を検索しながら、答える。


「とにかく力任せに振り切る……のは、ちょっと無理そうですかね」

「もぅぺったんぎゅぅぅっ、ですもんっ」

「……確かに」


 【海洋の網オーシャンドウェブ】と呼ばれるこの魔物は、食肉性クラゲの一種だ。動きが鈍く、身体の中央にある牙の生えた口以外、攻撃手段を持っていない。

 ただとにかく長い触手と伸縮性の身体で魚やら船やら漂流物やらに絡みつき、相手を締め上げ弱らせて喰らうのだ。


 捕まると厄介な魔物なだけに速度に任せてかわすか、捕まったとしても勢いで振り切るしかないのだが、陸地が近いこの場所で速度を上げると座礁の恐れがある。

 加えて相手の大きさと抱擁具合の熱烈さから鑑みれば、ちょっとやそっとで離れてはくれないだろう。

 向こうが力任せに船を海中に引きずり込む前に、何とかしなくてはならない。

 でも、どうやって。


「相当大きな個体ですね」


 脳内で独り作戦会議でも、口から出てくるのは感想染みた呟きだけ。アルエスが焦燥もあらわに、リンドとセロアを交互に見て叫ぶ。


「呑気なコト言ってるうちに、船が沈んじゃうよーッ」

『アルぅ! 近くの鱗族シェルクたちの住処で助けを呼んだ方がいいシィ!』


 シィの提案に、ぎくりとアルエスの表情が固まる。一方セロアは、それを聞いてはっとしたようにふたりを見て、頷いた。


「確かに、その方が良さそうですね。あの魔物は大きな存在物しか判別できませんから、アルエス。シィと一緒に鱗族シェルクたちのところへ行って、助けを求めてきてもらえませんか?」

「え、えっ……ボクがっ!?」


 言葉を交わす余裕もなく、第三撃。

 よろけて彼の袖に掴まるルベルを抱きかかえ、セロアは答える。


「時間がないんです」

「う、解ったッ」


 加速的に、船は崩壊し掛かっていた。もう幾らも、猶予はない。事情を聞く時間も、作戦を授ける時間すらも。

 言外にそんな意味を含められては、アルエスも応じるしかない。

 心配そうに見上げるルベルと目が合って、アルエスの中でも肝が据わった。確かに、自分が同行したのはまさにこういう時のためだったわけで。


「解ったッ、行って来ます! みんなどうか無事で!」

「アルエスちゃんも気をつけてくださいっ」


 必死なルベルの声に、頭の芯がすぅっと冷えてく気がした。

 ぐらぐらと揺さぶられて、船が悲鳴を上げるように軋む。アルエスはもう振り返らずに、船べりを踏み台にして思い切り良く海に飛び込んだ。

 待ち合わせの場所指定も、合流の約束もないけれど、仕方ない。

 だって時間がない。


 さばぁんという水音と同時に、生ぬるい海水が自分を取り囲んで持ち上げる。

 親水の属性を持つ鱗族シェルクは、水中でも呼吸に支障を受けない。普通なら動きを制限する水圧も、同様に。

 たとえ、二本の足を尾に変ずることが出来なくとも、水の精霊たちはアルエスを見限ったりしないのだ。

 そうであれば、自分に出来ることは間違いなく同族を捜すこと。

 そして彼らに助けを求め、水中での安全を確保することだ。


 それさえ果たしたら、目指す場所はただ一つ。

 それは、船が沈もうと離れ離れになろうと、変わらない。



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