1.少女と賢者、旅のはじまり

1-1 旅のはじまり


 乗船券を確かめた係員が、にこやかな笑顔をセロアに向けて言った。


「セロア=フォンルージュ様ですね。お連れ様は先にお待ちのようですよ」

「––––はい?」


 連れなどいないし待ち合わせている相手もいない。……が、しっかりと名前を確認しているところ、人違いとも思いにくい。

 釈然しゃくぜんとしないまま記されている番号を頼りに席を探す。そうして窓際前方まで来て、背もたれの上から見えたオレンジ色のツインテールを確認し––––、


「ルベルちゃん」


 脱力気味に呟いたセロアの声に、少女は振り向いた。

 嬉しそうに、大きく手を振っている。


「ルベルちゃん、私、一緒に行くなんていう話は聞いてないですよ?」

「うん、言ったら絶対にダメって言われるから、言わなかったです」


 にこにこと悪びれる様子もなく答えられてつい、乾いた笑いが漏れる。


「確かに、船はもう出港しちゃってますし、ここから帰りなさいっては言えませんけどね……、これじゃ家出でしょう?」


 ルベルは、背負っていたリュックを膝に載せ替え、大きな目を見開いてセロアをじっと見上げる。


「セロアさん、監獄島かんごくとうって行ってみたくないですか?」

「はい? 監獄島って……バイファル島ですか」


 少女はこっくり頷き、リュックの中から重ねて折られた二枚の紙を取り出した。

 ガサガサと広げられたその一枚は、若い男のラフスケッチ。もう一枚は破れかけの地図だった。覗き込んだセロアは、眉をひそめてささやく。


「凄い物持ってますね、ルベルちゃん」


 それは相当古い、バイファル島とその周辺の地図だった。

 市街や主要道路は記載されず、単純に地形と港のみが描かれた地図。それでもこれに国宝級の価値があるということを、賢者を志すセロアが知らないはずもない。

 もちろんその価値は持ち出したルベル自身にもよく分かっているはずだ。得意げに目を輝かせて、セロアの反応を観察している。


「フェトさまにもらったんです。だからホンモノです」


 フェトさま、––––フェトゥース国王。ここライヴァン帝国の現国王だ。

 詳しくは知らないが、ルベルは国王との縁があるらしい。ここ数年の紆余曲折うよきょくせつを経て今は宰相さいしょうを務めているルウィーニと共に、たびたび王城へも出向いているという。


 監獄島という性質上、バイファル島に関する情報は王族にしか知らされず、地図なんてものは存在しないにも等しい。流刑地として特化しているその島は、調査し戻ることそれ自体が非常に困難だからだ。

 伝え聞くことによれば、ライヴァンの建国王はバイファル出身の剣士だという。おそらくこの地図は、その時代から伝えられて来たものだろう。


「こんな貴重な物を下さるなんて、国王様も気前がいいですね」


 そういうことではないのも重々承知で、でも口にできた感想はそれだけだった。

 あのお人好しの国王陛下はこの少女にどんな弱みを握られているんだろうか。そう思って地図から目を上げると、自分を見つめているルベルと視線がかち合う。


「ルベル、今からここに行くんです」

「はい?」


 冗談で言っているのでないのは、すぐに分かった。あかね色の両眼は真剣な輝きを秘めて、じっとセロアを見つめている。

 だが、この島は政治思想犯、重犯罪者の流刑地だ。

 軍人や役人ならともかく、十歳の少女が行くような場所ではない。


「……ちょっと、ルベルちゃんには危険すぎると思いますよ」

「うん、そうなんです。だからセロアさんが一緒に来てくれるなら、この地図あげちゃいます」


 ここに来て、セロアはようやく少女の意図を完全に理解した。

 それにしてもなぜ自分に白羽の矢が立ったのかは分からないが、素直にハイと了承するわけにもいかず、曖昧あいまいな笑いで誤魔化ごまかしながら返す言葉を考える。


「ルベルちゃんはどうして、バイファルに行かなきゃならないんですか?」

 ルウィーニが何か変な課題でも出したのかと思ったが、返って来た答えは意外なものだった。


「ルベルは、バイファルにいるパパに会いに行くんです。パパは仕事で島に行ったきり帰ってこないから、パパが帰れないならルベルが会いに行きます」


 そう言えば、と思い出す。

 帰ってこない父親、玄関に飾られた家族絵。つまり––––、


「……そっちの絵は、ルベルちゃんのお父さんなんですね」

 もう一枚のラフスケッチを指して尋ねたら、ルベルは照れたように笑った。


「はい! パパは、すごく背が高くて、優しく笑ってルベルの頭をなでてくれるんです。でも五年前にお仕事で出たっきり帰ってこれなくて、手紙とかも届かない場所だって聞いたから。だから、ルベルから会いに行こうって決めたんです」

「そうなんですか。……でも、私はあんまり強くないから、役に立たないかもですよ?」


 剣も魔法も不得手な自分に護衛など務まるはずもなく。

 困り笑いでそう言うと、ルベルは大真面目な顔で見上げて言った。


「大丈夫です。先生が、セロアさんは精霊の加護が強くて幸運を呼び込むって言ってました。だからセロアさんと一緒なら、絶対にパパに会えるはずなんです」

「……はは、責任重大ですね」


 犯人は、ルウィーニだったようだ。幸運体質なのは事実だが、だからと言ってその教え方はどうなのだろう。

 セロアはしばし逡巡しゅんじゅんし、やがて笑うようにため息をついた。


「解りました。帰りなさいっては言いません。……どのみち」


 なかば無意識に、少女の頭をくしゃりとなでる。

 深く長い付き合いではないが、それでも五年の間に分かってきたこともある。


「一緒しなくたって、ひとりでも行っちゃうんですよね。ルベルちゃんは」

 上目遣いにセロアを見上げ、ルベルは嬉しそうに笑った。


「はい、ありがとうですセロアさん!」


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