0-2 セロア=フォンルージュ


 レジオーラ家については、伝聞でなら知っていた。

 実際に訪れる機会があったのは五年ほど前で、以来こうして旅の合間に立ち寄るほどには、付き合いが続いている。


 忘れもしない、印象的な出会いだった。





 セロアの父は、帝都学院の教授を務めている。

 あの日、一年ぶりに旅の空から帰ってみれば帝都学院は多忙の極みにあり、父もろくに家に帰れないほど仕事に追われていた。


 なにやら国家存亡に関わる大事件だったらしいのだが、学院はそもそも政治的には中立だ。どちらかと言えば、その有事を切っ掛けに流刑を解かれた前王統の公爵が帝都に帰還したことが、この多忙の要因らしい。

 たった今作成し終えた書類を今日中にレジオーラ家に滞在している公に届けねばならない、と聞いて、セロアはおつかいをかって出た。


 父ももう若くはないしまだまだ仕事は山積みだ。それに、ほんの少し興味もあったことは否めない。




 レジオーラ家にまつわる事件は、学院内でも有名だった。

 さらにさかのぼること五年、館で惨殺事件が起きた。人から家畜に至るまですべて殺され、火を放たれた。調査しようにも現場はあまりに凄惨で、証拠は見つからず魔法すら発動しなかったという。


 魔法はほぼ例外なく、世界に満ちた精霊たちの力を借り受けて行使される。

 つまり、その場所に在った精霊たちは一様に自らの意思で、真相を解明することを拒否したのだ。

 当時は学生だったセロアもその事件については知っている。

 様々な予測が飛び交ったが解明には至らず、その数年後に当主が見出され家は復興し、やがて自然と人の噂にも上らなくなったという。



 記された住所を頼りに館を見つけ、建物を見上げる。

 建て直されたばかりということもあり館は真新しかったが、貴族の屋敷というにはあまりに小さく質素だった。門扉は開け放されており、守衛がいる様子もない。


 呼び鈴を鳴らし、待つ間なんとなく辺りを見回してみる。庭はよく手入れがされており、噂の名残はどこにも無かった。

 ––––と突然、扉が勢いよく開いた。危うくぶつけられそうになるのをすんでで避け、思わず見れば、扉にしがみつくように顔を出していたのは幼い少女だった。


「––––あ、ごめんなさいです」


 大きな目がセロアを見上げる。

 きまり悪そうに笑う少女の後ろから、声が飛んできた。


「ルベル、お客さんかい?」

「うん、そうです」


 少女が引っ込み、代わって、セロアより一回り以上年上そうな魔術師風の男が現れた。セロアを見てにこりと笑う。


「いらっしゃい。……ええと、どちら様かな?」

「ああ、すみません。突然に失礼致します、学院のフォンルージュ教授から書類を預かって参りました、セロア=フォンルージュという者です」


 問われて我に返り、慌てて挨拶を返す。

 預けられた包みを差し出せば、彼はそれを受け取り大きく扉を開けた。


「ありがとう。きみが、フォンルージュ教授の息子さんか。時間があるならお茶の一杯でも飲んで行かないかい?」




 噂の公爵は、ルウィーニという名の魔術師ウィザードだった。

 王家の出でありながら政治から身を引き学院の教授をしていたそうで、どうやら父とも知己ちきだったらしい。


 あれこれ話し込んでいる間にあっという間に時間が過ぎ、セロアが帰宅のため立ち上がったのは遅い午後だった。挨拶を述べて外套がいとうを羽織ったところで、ふと、階段の横に飾られた絵に目が留まる。

 四人の人物が描かれた、肖像画だった。


 初老のほっそりとした婦人、目の細い若い男性、柔らかく微笑む若い女性、その腕に抱かれたオレンジ髪の幼い少女。

 強く目を惹く、美しい絵だった。

 思わず視線を奪われ立ち尽くすセロアに、ルウィーニは穏やかに笑んで言う。


「その絵はね、父親が娘のために描いた、想像画なんだよ」

「想像画、ですか?」


 意味深な表現。つい問い返せば、ルウィーニは声をひそめて答えた。


「ルベルの母親はもうすでに亡き人で、父親は遠方の地に行ったきり戻ってないんだ。今ルベルと一緒に住んでいるのは、ルベルの祖母と、後見人である俺と、俺の妻なんだよ」


 話せば長くかかりそうな事情だと察する。

 好奇心が頭をもたげたが、今ここであれこれ聞くのははばかられた。


「そうなんですか。……ルウィーニさんはなぜ、彼女の後見人を?」

 ルウィーニは曖昧あいまいに笑う。


「あの子の父親によろしく頼まれてね、……おかしな話だが、そうなってしまったって言うしかないなぁ。いずれゆっくり、語る機会でも作ろうかね」

「そうですか。ではいずれ……気が向いたら聞かせてください」


 ゆるく笑ってセロアが応じると、ルウィーニは目を伏せ呟いた。


「ルベルの父は、とても背が高くて髪の色も薄くてね。年齢もきみくらいかな。……どこも似ているところなんかないのに、俺は一瞬、彼が帰ってきたのかと思ってしまったんだよ」


 どこか痛みを伴う、低いささやきだった。

 セロアはどう返答すべきか逡巡しゅんじゅんし、なんとなく浮かんだ思いを言葉に乗せる。


「……そうですか。お会いしてみたいですね、私も、その彼に」

 ルウィーニはそれを聞いて、嬉しそうに笑った。


「ああ、会ってやってくれ。きみは彼のよい友人になれそうな気がするよ」





 カタチにされたコトバは、未来を引き寄せるだろうか。

 ヒトの思惑おもわくをはるかに超えた、場所で。


 ––––それはルウィーニの、願いだったのかもしれない。


 勢いよく扉を開け自分を見上げた時、一瞬だけ少女の目が泣きそうに潤んだのを、セロアは見てしまっていた。

 なんだか、忘れられなかった。



 それが出逢いで。

 それが、始まりだ。




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