8.嵐の御前試合
8-1 大賢者の思惑は
セロアとフリックが帰宅したのは夕飯の直前くらいの時間だった。
アルエスが仲良くなった女中たちに誘われ、ついでに他の四人も是非にと誘われたので、使用人用の食堂で一緒に夕飯を食べたのだが。
妙に静かなルベルに、嫌な予感はしたのだ、確かに。
風呂を済ませて部屋に戻り、ベッドに就いたのがもう日付も変わる頃。
消灯した夜闇の中、昼に決まった御前試合の話を聞かされたセロアが、その夜一睡もできなかったのは当然だろう。
「よぉ隠居、目の下にクマがいるぜ」
夜明けと同時に起きて、まだ眠っているルベルを起こさないよう部屋を抜けだし中庭に出たら、そんな声が掛けられた。
振り返って虎の精霊を確認し、セロアは微妙な笑顔で答える。
「そういうゼオも、憔悴してますね」
け、と返されたが否定しないところ、精霊の彼にとっても心をすり減らすようなことが立て続いているのだろう。
「さすがにちょっと、眠れなかったですよ」
「てぇか、別に受ける義務ねェだろ」
溜息混じりに言うゼオをセロアは見て、にこりと笑った。
「心配してくれてるんですか?」
「天地がひっくり返ったって勝てねーッて思ってるだけだ」
唸るような返答と共に、軽く火の粉が舞った。
不完全燃焼絶好調ってところだろうか。
「私は、受けようと思っています。……御前試合」
虎の精霊は唖然と賢者を凝視した。この話の流れからどうしてそう言う結論が飛び出したのか、理解しかねるといった表情だ。
「隠居てめー剣苦手だって言ったじゃねぇか」
牙を剥くように鼻の頭にしわを寄せ凄むゼオに、セロアはのほんと答える。
「どうやら、勝たなくても良いようなので」
「––––は?」
「面白いものを見せてみよ、ということなのだと思いますよ。白き賢者殿は」
ゼオが、絶句して固まった。しばらくそのまま色々考えていたようで、今度はいきなり頭を抱えてしゃがみ込む。
「うっわー、否定出来ねぇ」
「問題は女王陛下がこの条件で御前試合を認めるか、……でしょうけど」
不自然な沈黙と、朝の空気を満たす鳥の声。
ゼオが呻くように、ぁー、と呟いた。
「マジで気に入ってるってか、お嬢の事。あの鬼畜野郎」
「そうなんですか?」
仮にも大賢者。何か深い意図があるものだと考えてたセロアにとって、ゼオの言葉は意外だ。
だが彼の嫌悪感一杯な渋面は、妙な凄みと真実味があった。
「……で、何? 面白けりゃ協力するってー言ってンのかあのヤロウ」
是非は答えずゼオが尋ねた。セロアは考え込む風に口元へ手をやって目を伏せる。
「いえ。彼が提示した条件が、そんな感じなんですよね」
「条件?」
怒濤の勢いで駆け込んできて騒いでまた飛び出して行ったルベルとリンドから、その条件とやらを詳しく聞きそびれていたゼオだった。
眉を寄せてセロアを見返す。
「条件って言ァ、勝ったら協力してやるって話だろ?」
「それが正確な所は、勝ったらリンドの旅中の保護と女王陛下の説得を引き受けてくださる、と言うもので。……負けたなら」
言い澱むようなセロアの様子をゼオは怪訝そうに見た。
「負けたら?」
「カミル様が館にお戻りになるそうです」
一瞬の沈黙。
「はァ? なんだそのワケワカンネェ条件」
驚いたというより疑わしげに表情をしかめてゼオが呟くと、セロアは困ったように笑った。
「私が負けたからといって不利益を課せられるわけではないというか。それが一晩考えても解せずにいたんですが、気に入ったから……という理由なんでしょうか」
問われたゼオも真剣に考え込む。
「わかんねぇ」
「そうですよね。だから」
庭木が朝日を弾いて、まだらの影を二人に落とす。
眩しそうに緑玉の双眸を細め、セロアは穏やかに笑った。
「お受けしてみようと思うんですよ。御前試合」
当然ながら、黒曜姫は朝から不機嫌だった。
原因を知っているとはいえ掛けるべき言葉も見つけられず、彼女の兄オスヴァルトはいつにも増して置物めいた無口さで黙々と仕事をこなしてゆく。
何せ、これを持ち込んできたのは娘のリンドで、どう考えてもまともではない剣試合の相手は息子のアルトゥールだ。
何とかしてやりたい気持ちは山々だが、どうしたものか全く見当もつかない。
「兄様、そろそろ一区切りと致しません?」
黒曜が、不機嫌な時ほど笑顔になるのもいつものことだ。長い付き合いだし、なんたって妹なのだからそれくらい理解している。
「……そうだな」
昼前に中庭へ、というカミルの指示なので、そろそろ行かねばならないだろう。そう思って彼もまた、書類とペンを机に置いて立ち上がった。
あの気紛れな大賢者を、オスヴァルトはあまり好きになれない。
それぞ彼とも長い付き合いで、彼が帝国を守護してくれていることへの感謝は常々抱いているし、知識人また高位精霊使いとしての実力も尊敬に値すると考えている。
それでも彼との関係が帝国の運命を左右すること、それがゆえに妹姫が王位を継がざるを得なかったことや次男が国を出奔してしまったことを考えると、何とも言えぬやり切れなさが胸を塞ぐのも事実だった。
長兄でありながら王位を継承できなかったことについての葛藤などは、特にはない。
ただ、この罪悪感に似た気の重さは恐らく一生消えることがないだろう。
事あるごとにカミルに対し恋心を囁く妹の本当の想い人が、当の白き賢者ではないともオスヴァルトは気づいている。妹の所作が本心を隠すための演技だということも。
だからといって結局は、何もできないのが現実で。
だから、明るく振る舞うことで隠し通そうとする妹の真意に、気づかぬ振りをするのだ。
「……すまないな、リンドにしろアルルにしろ」
低く言った兄にふんわりとした笑みを向け、黒曜は首を傾げる。
「兄様が気に病むことはありませんのよ。わたくしはリンドにもアルルにも、自由に生きて欲しいと思ってますもの。わたくしこそ頑固で物分かりが良くなくて、リンドに苦しい思いをさせてるのかと思うと、申し訳ないですわ」
「おまえは……いつも自分を責め過ぎだ」
もっと私たちに頼ってくれ、––––そう言おうとして結局言えなかった。
今さら、過ぎる。
「さ、行きますわよ兄様」
黒曜はやはりその言葉に答えを返さず、オスヴァルトを促して立ち上がった。
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