7-4 嵐の前


 どんな風向きか、朝食終了と同時に非番の女中たちに連れ去られ旅の話をせがまれた挙句、新作のお菓子の味見までさせられて、ようやくアルエスが部屋に戻ったのは昼近く。

 外見と実年齢が一致しない魔族ジェマなだけに本当のところは知れないが、彼女たちの外見年齢はアルエスに近くシィもすぐに懐いたので、つい女子トークではしゃぎ過ぎてテンションがまだおかしい気もする。


 借りた自室に入ったものの気になって客間を覗いてみたら、広い部屋の中なぜかゼオが一人だけで読書をしていた。

 その姿に何か形容しがたい違和感を感じたものの、口にしてはいけないような気もする。


「虎のお兄ちゃん、ルベルちゃんとリンちゃん知らない?」


 声を掛けたら、灼虎は顔を上げアルエスを見た。

 ゼオは破壊特化の炎精霊だから、彼が側にいる時はシィは滅多に出てこない。

 仲の良し悪し以前に、存在力で劣る水の下位精霊では下手すれば消滅する危険があるからだ。


 鱗族シェルクは水の民なので、全体として炎精霊とは相性が悪い。これも互いに悪意があるのではなく単純に精霊相性の問題だが、アルエスにはさほどそういう意識はなかった。

 炎の民である人間族フェルヴァーを父に持つからか、あるいは地上に住み旅歩きが常だったゆえの慣れなのか、自分でもよく解っていないが。

 さすがに間近まで寄られるとぴりぴりした乾燥感があって苦手なのだが、その辺はゼオも気を遣ってくれているらしく、今までも苦になるようなことはなかった。

 水精霊のシィという存在が身近にいることも手伝って、アルエスにとって精霊は友人認識だ。

 だけど、それを差し引いたとしてもこの灼虎は良いお兄ちゃんだと思う。


「お嬢なら、リンドを連れて飛び出してッたきりだぜ」

「そっかぁ」


 リンドに連れられて、じゃない所に幾ばくかの不安が残るが、追い掛けようにもどこにいるか不明だ。

 アルエスは客間に入ると、隅に重ねられた荷物の間からフリックが昨日見せてくれた本を引っ張り出した。

 ソファに座り、パラパラ捲ってみる。


「アルエスもついて来るのか?」

「うん、そうしようかなって思ってるよ」

「危険は解ってンだろな」


 溜息混じりに言って、ゼオはきんいろの目をアルエスに向けた。


「うんー、実はよく解ってないかも、って気がするケド」

「なにノー天気なコト言ってンだよおまえはッ」


 口が悪い中にも遠慮がうかがえて、それが妙に可愛く思えて、アルエスはへへっと笑う。


「今までずっとシィとふたり旅だったから、危険なんて今さら……だしっ。それに、みんなと一緒にいるのは楽しいから、ちょっとでも役に立てるなら、なんて思ったの」


 どうせ、帰る場所も待つ家族もないのだ。

 そんな自分をなんのてらいもなく友達と言ってくれて、必要としてもらえたのが嬉しかった、……なんてのは恥ずかし過ぎて、とても言えやしないけど。


「ウサギもおまえも、ノー天気な振りして寂しがりなのな」


 ぽつんと呟き、ゼオが床に仰向けに寝転がる。

 どきりと心臓を突かれた気がして、アルエスは息を詰め、無作法な虎の精霊を見下ろした。


「ウサギお兄さんもって?」

「……消えて欲しくねーんだろ?」


 答えではない言葉が返る。心を射抜く一言だった。


「そりゃ、アタリマエだよぅ」


 ぎゅ、と本を掴むてのひらに力を込める。

 細かな文字で書かれた文章は専門的過ぎて、アルエスには半分も理解できない。


「ボクそんなに強くないし博識じゃないけど、絶対にルベルちゃんよりは魔法も武器も使えるしっ。……海に出るなら、イザって時は海の精霊とも会話できるしっ。このまま別れて、お互いに生死も分からなくなっちゃうのは、イヤなの……っ」


 友情、なんて言って良いのか解らない。

 でもどうしても、このままサヨナラなんてできなかった。

 自分が役に立てるかも、––––なんてのは単なる理由づけだ。消えて欲しくない、まだ離れたくない、本音なんてただそれだけに過ぎないのだ。


「そっか。ま、海上じゃ一番の役立たずはオレだかンな。お嬢のためには有り難いのかもな」

 どこか他人事のように言うゼオが不思議で、アルエスは視線を傾け尋ねる。


「虎のお兄ちゃんは、行きたくないの?」

「あぁ」

「どして?」


 しん、と落ちる沈黙。

 灼虎は身を起こし、まっすぐ前を見たまま炎混じりの息を吐き出した。


「お嬢の傍にいてお嬢を守る、オレの役割はそれだけだ。それ以上のことは契約外だし、邪魔する権利もねぇ」


 彼は精霊なのになぜ本音を隠すのだろう、と。

 アルエスは漠然と思う。

 契約なんて証書みたいなもので、絶対的に意志を縛る効力などありはしないのに。

 口にできない事情を胸の内に秘め込んだまま、この炎精霊はルベルに同行しているのだと知る。


「そんなことないよぅ」


 こんな言葉、彼の前には無意味だ。誰に言われるまでもなく、ゼオ自身が解っているに違いないのだから。

 でも、言わずにはいられなかった。


「お嬢はホントに、叶えちまうのかもな」


 ゼオはぽつんと呟いて、再び仰向けに床に寝転がる。

 と、ちょうどその時、扉が勢いよく開いてルベルが部屋に飛び込んできた。


「ゼオくんっ! 魔法のバットに変身してくださいっ」


 開口一番それだ。

 ゼオは跳ね起きて目を丸くし、遅れてついたリンドを胡乱げに見遣った。


「なンなんだよオィ。なんでバットだ」

「ゼオ、私からもお願いだ! バットでなく杖でも構わないから、セロアが使えそうな武器に変身して御前試合に出てくれないかっ」


 呆気にとられ固まるゼオの隣で、アルエスが恐る恐る尋ねる。


「御前試合って……?」

「話せば長くなるんだが長くても良いか!? どこから話せばいいんだ?」

「ぐぁー隠居の武器になんかなるかッ! それにオレは剣以外変身不可だっつーの!」


 一気に騒々しくなる客間の扉をアルエスは立ち上がって閉じ、改めてルベルとリンドを見る。


「長くてもいいから、できればハジメっから聞きたいなー……」

「それじゃ今からでも練習して、杖とか棒とか柱とかに変身できるようになってくださいっ」

「ンな気軽にポンポン変身して堪るかッ!」


 大真面目におかしな事を言い放つルベルと、吠えるゼオ。

 それをアルエスがなだめて、リンドが事の次第を話し終えた頃には。

 ゼオの髪が怒りで逆立ち、アルエスの笑顔がひきつっていたのは、言うまでもないだろう。




 +++




灰竜かいりゅうさま、随分と入れ込んでおいでのようですわね」


 常にない固い声で黒曜姫が書庫に来たのは、日付が変わろうとしている夜更けだった。

 カミルはペンを走らせる手を止め、紅い両眼を彼女に向ける。


「向こうが勝手に此処へ出入りして、勝手に話して行くだけだろう」

「開き直らないでくださいませ」


 溜息と共に吐き出し、彼女は積み上げられた本の間を器用にすり抜けて、奥に座るカミルの正面まで来た。

 大きな両眼と細い眉が今は怒ったようにつり上がっている。


「……何年振りだ? おまえがそんなに怒っているのは」

 揶揄するように言った途端、少女のほっそりとした手が伸びて、ぐいぃと彼の襟を掴んだ。


「殴りますわよ?」

「嫁の貰い手がいなくなるぞ」

「そうしたら、カミルさまが貰ってくださいますわよね?」

「殴られたから嫁に取れとは、どんな道理だ」

「嫁入り前の女性が手を上げてしまうほどの意地悪をなさった、責任ですわ?」


 一瞬、息継ぎのような沈黙。

 テンポ良い台詞の応酬が不自然に途切れ呼吸を乱された黒曜を、カミルの両腕が抱え込んだ。


「何をなさいますのっ」

 裾の長い衣の間にすっぽり埋められ抗議の声を上げる彼女の髪に、軽く唇を落としカミルは甘く囁く。


「怒ってばかりの泣き虫ナティ。何がそんなに不満なのだい?」

「不満なんてありませんわ……!」


 強く言い返したところで、台詞の最後が幾分か湿っているとカミルが気づかぬはずもない。彼はいだいた腕を緩めることなく、悠然と笑った。


「監獄島に関わらぬという決意は、おまえが自分に課した誓約だ。監獄島へ渡るという決意は、あの娘が自分に課した使命だ。私はどちらの味方でもないが、沈黙を貫くべき理由もない」

「……わかっていますわ、カミルさま。あなたは、ご自身が面白いと思われることにしか協力しませんもの。わたくしの誓いはわたくし自身の事情、翻したとしても国が不利益を被るわけではない。とのことも、とくと理解しておりますわ。なんて慈悲のない、頑なな女だと思ってくださって結構ですのよ」


 白い守護者の腕の中、少女は震える声で心を吐き出す。

 カミルの指がつぅっと彼女の頬を撫でた。


「本当は協力してやりたいのか」

「いいえ」


 黒曜の返答は明瞭だ。

 カミルは黙って目を伏せた。長い指を、愛撫するように彼女の黒髪へ絡ませる。


「建国王は、馬鹿な男だった」

 不意に耳元でそんな台詞を囁かれ、少女の肩が震えた。


「おじいさまを侮辱するのは、カミルさまでも許しませんわよ」

 噛みつくような勢いで言われて、白い魔族ジェマは薄く笑む。


「馬鹿だったが、あれは愛し方を知っていた男だ」

 少女の答えは沈黙。カミルの言葉だけが独白のように続く。


「私なら」

 昔語りを聴かせるのと同じ、囁くような声音で。


「世界を従えることが出来る」

 甘く優しく、鼓膜を震わせる。


「だが。全てを従えた所で得られぬものは在ると、識っている」


 全身を包んでいた温度が離れた。

 息苦しい布から解放され、黒曜は大きく息を吐いて眼前の守護者を見上げる。


「サイヴァが誰より愛したおまえだ。私が永遠を費やそうと決して知り得ぬ方法を、おまえは奴から譲り受けただろう。金や力では得られぬものを得る方法を、知っているだろう。ナティ、おまえ自身はこのままでいいのか」

「愚問ですわ、カミルさま」


 黒曜がまっすぐ彼を見上げる。

 大きな紫水晶アメジストの両目から、ひとすじ、涙がこぼれ落ちた。


「わたくしは、おじいさまではありませんの。わたくしはわたくし以外の誰にも、なれませんのよ」

「そうか」


 薄く笑み、カミルは身を屈めて唇を重ねた。軽いキスを続けて頰、額、髪に落としていく。

 目を閉じて身を任せる彼女の耳元に囁いて尋ねる。


「聴く耳すら持たぬのは、理由を知ればそれが楔になると理解しているからか。だがナティ、それほど難しい事なのか?」

「灰竜さまには分かりませんわ」


 答えた声の調子が拗ねているようで、カミルは小さく笑った。


「好きにしなさい、頑固者のナティ。もう夜更けだ、明日に備えて寝た方がいい」

「ええ、言われなくとも」


 お互い自然に唇を合わせ、それから黒曜は足早に書庫を去って行った。

 夜更けの王宮は、ただただ静まり返っている。

 この静けさを揺るがす嵐の到来を予見していた者は、カミルの他に多くはいなかっただろう。






 to next.

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