9.滅びの剣、導きの翼

9-1 愛しいと想うゆえに


 ずっと昔。

 人間フェルヴァー魔族ジェマの間で、大きな戦争があった。


 長く続いた戦いは大地を血で染めたくさんの命を奪い、暴走した魔法は大地を引き裂き森を滅した。

 それを憂いた者たちが人間フェルヴァー魔族ジェマの争いを終わらせるため、約定と国境によって大陸を切り分け、二つの帝国を興した。

 両の国は互いに不可侵を結び、剣を交えず境界を侵さずに均衡を保っている。

 その甲斐あってかそれ以来、地を焼き尽くすほどの大きな戦火は起きていない。


 その二つの帝国がライヴァンとティスティルだという事は、史学の授業で習ってリンドも知っている。

 しかしその知識は紙面上の記述から得たものに過ぎない。

 それがどれだけの犠牲の上に成り立ったのか、世界にとってどれほどに差し迫った危機だったのか、––––略述された記録から知れるはずもない。





 なし崩しの御前試合が決着づき、仕切り直すように一旦解散し、夕飯後に黒曜は再び家族を招集した。

 高齢の建国王はさすがに姿を見せなかったが、イアルゥとオスヴァルト、黒曜姫、アルトゥールとエルフリーデも同席で、リンドにとっては久し振りの全員集合となった。

 昼間の張り詰めた空気は解け穏やかな空気が流れていたが、いまだ黒曜の憂いが晴れる様子はない。


「カミル様は帰ったのですね、おばあさま」

 エルフリーデの問いに、イアルゥは気まずそうな笑顔を浮かべた。


「大人気なく追い返してしまったわ。ごめんなさいね、シェルシャ君やスゥ君も一緒に追い返すみたいになってしまって」

「おばあさまが追い返したというより、あの方の気まぐれはいつものことですわ。……それで、守護についてのお話はどうなったのかしら」


 ほとんど見えない目を末妹に向け、彼女は緩く首を傾げる。

 話題を向けられたリンドは緊張して、思わず背筋をまっすぐに姿勢を正す。


「特に何も……ですのよ。真夜中に現れるつもりかもしれませんわね」


 黒曜がため息混じりに言って、リンゴの砂糖漬けをぱくりと食んだ。

 オスヴァルトはソファの上、無言で足を組み替え、アルトゥールは視線を逸らすように壁掛けの世界地図を見上げる。

 数刻の、沈黙の後。


「……やっぱり、監獄島に行きたいのか。リンド」


 低く呻くように尋ねたのは、オスヴァルトだった。家族の視線が自分に一点集中するのを感じ、リンドはこくりと息を呑む。


「はい」


 これ以上どんな言葉を重ねて説得すれば家族に納得してもらえるのか、まだ十九年しか生を積んでいないリンドには解らなかった。


 だってこれは理屈ではなく、衝動に近い。

 歴史書にある遠い昔の戦争は実感できずとも、世界が終わる前にと語った少女のまっすぐな瞳は、理屈じゃない迫力を伴って胸に迫るのだ。

 だから、共にあって、手を貸して、叶うならば見届けたい。

 あふれるようなこの想いをいったいどんな言葉に表したなら、届くのだろう。


「私は、反対だわ」


 ぽつんと、エルフリーデが言った。

 唇を噛んで俯く妹に見えない両眼を向け、少しだけ笑うように表情を緩ませる。


「あなたには、覚悟が足りていないもの」

「本当に、姉上の言うとおりだよリンド。……覚悟、なんて」


 アルトゥールが、苦笑に近く笑いながら姉の言葉に自分の言葉を重ねた。


「そんな重いモノを、一生のうち何度もできるわけないってのに」

「私は……」


 覚悟ならできていると、そう言うとしてリンドは躊躇った。

 旅の不自由に甘んじる覚悟、危険に立ち向かう覚悟、力を尽くして仲間を守る覚悟、……他に、何が足りないのだろう。


「覚悟が足りたなら、旅立つことを許可してくださいますか?」


 可笑しな質問だ。自分でもそう思いつつ答えを待つ。

 家族が自分に向けているであろう想いと自分の気持ちが噛み合わないことが、ひどくもどかしい。

 穏やかで居心地の悪い静寂が、空間に満ちる。


 エルフリーデが困ったように笑んで弟を見上げた。アルトゥールも溜息をつき、父の方へと視線を投げる。

 釣られたリンドの視線まで向けられ、オスヴァルトはまるで刑を宣告する裁判官のように厳かに言った。


「行って来なさい、リンド」


 数秒の間隙。

 ぽかん、と呆けた顔で末娘は父を見つめた。父は苦虫を噛み潰したような渋面のまま、海の底みたいに深く息を押し出し、言い加える。


「……どうせ、止めても行くのだろう?」


 気質を知り尽くした娘への、寂しげなあきらめと深い愛情が滲んだ声音だった。

 幼い頃から繰り返されたやり取りが今日はひときわ胸にしみて、涙があふれる。

 どんなに楽観的解釈をしても賛成とは言えない表情のまま、それでも家族は自分の意志を認めてくれたのだ。


「あ、ありがとうございます、父さま! 姉さまも兄さまも、おばあさまも姫さまも……、ありがとうございますっ」


 満面の泣き笑いで喜ぶ娘の様子に父は苦く笑った。


「おまえが旅先で危険に見舞われたり命を失う可能性を思えば、行ってこいなど口にしたくもない。だが……明日の生死など誰にも解らんものだ。友のため命をかけるのは、誰かを見殺しにして、あるいは食い物にして生きるより、ずっと誇れる生き方だと私は思う」


 リンドは勢いよく立ち上がり、ぴしりと姿勢を正して胸を反らせた。


「はい! 覚悟は出来ておりますっ」

「そうそう、リンド。そのことだけれど」


 エルフリーデがそう言って立ち上がり、柔らかく笑む。


「あなたに足りない『覚悟』とは何か、旅の間に見極めてきなさいな。私からの宿題よ、リンド」


 今度は姉の顔をきょとんと見つめるリンドの頭を、アルトゥールが優しく撫でた。


「どうせ挫けそうもない意気を挫くためあの手この手で妨害するより、万全の備えで送り出す方が建設的だと思っただけさ」


 大きなてのひらから伝わる優しさに涙ぐみつつ、それを袖で強く拭いてリンドは笑った。


「解りました! リンドは旅を通して、覚悟の真髄を見極めて参ります!」


 いまだ苦笑いではありつつも、オスヴァルトはそれ以上何も言わず視線を黒曜に向けた。彼女は頷きリンドを見る。


「もうひとつ、言っておかねばならないことがありますのよ。もしかして灰竜かいりゅう様があなたの元に現れ、あなたやお仲間を守護しようと持ちかけても。決して、受け入れてはいけませんわよ」


 普段カミルとの間にある軽い往なしあいの空気とはまるで違う、警告の響きを含んだ口調だった。何も言えずリンドはただ頷く。

 それでも疑問がもたげるのは抑えられず、尋ねた。


「どうしてですか、姫さま。灰竜かいりゅうさまは私やルベルを心配してくださってますのに」


 紫水晶アメジストの双眸がまっすぐ自分を見る。

 まるで感情を瞳の奥に閉じ込めたような、透明さに、今までにない感覚を感じて背筋が冷えた。

 愛情でも怒りでも、憎悪でもなく、そこにあるのはただただ無機質に透明な、拒絶。


「あの方は、慈愛に満ちた守護者などではありませんわ。白き賢者は世界に対する大罪者なのですもの」


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