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個別エピローグ

E.フリック=ロップ


 なぜ、こんなことになってしまったんだろう?



 帝都学院の一室で、ソファに畏まり愛想笑いを浮かべながら、フリックは考える。

 元はと言えばセロアに用事を頼まれたのだ。


 ライヴァン王宮からティスティル帝国への特使の命を受け急に旅立つことになったから、と訪ねてきたのが昨日。厚みのある封書を携えてきた彼は、これを帝都学院のルウィーニに届けて欲しい、と言ってきたのだった。

 フリックも一応面識はある。バイファル島から『ゲート』を通して一足先に帰還した自分たちがルベルとロッシェの帰還を待つために、学院寮を貸してもらえるよう計らってくれた人物だった。

 その際に顔も合わせているし、会話もしている。穏やかで落ち着いた印象の年嵩としかさの賢者……というイメージだった。


 貴族か騎士かは知らないが生粋の上層階級出だということは、その立ち居振る舞いからすぐ判る。根っからの庶民で野生児な自分とは本能的に合わない気がして、学院滞在中も極力顔を合わせるのを避けていた。

 それなのに。

 なぜ、こんな高級感あふれる閉鎖空間に二人きり、向かい合って座ってコーヒーなんて飲んでいるんだろう。しかも、話の内容が超不穏なのはどういうことだろう。



「……そういうわけでね、きみにはここで、俺の助手として働いて欲しいんだ」


 白髪交じりな赤金の髪と、目元に笑い皺が刻まれた紅玉ルビーの双眸。無精には見えない程度に整えられた口髭くちひげ顎髭あごひげ。話す声は低く穏やかで、気さくな笑顔とあいまって親しみやすい雰囲気を添えている。

 それなのにこの、頭を押さえつけられているような威圧感は何なんだろうか。


「いや、えーとムリですってッ。だってオレ、学歴もなければ野育ちで作法や礼儀とかもサッパリだし? ……そう、セロア、っじゃなくてセロアサン、適任じゃないっスか」

「ああ、セロア君ね。彼は糸の切れた風船だからなあ……肝心な時にいなくなっちゃうんだよ。困ったもんだね」


 ははは、と気安く笑い、それから自分を見た彼の表情に、フリックは正直、某大賢者と相対した時みたいな戦慄を覚えた。


「何たってきみらは、バイファル島へ行って帰ってきたばかりの貴重な目撃証人だし、特にきみが書き込んだこの地図と動植物分布図は国宝モノの貴重な資料なんだよ。だから、俺としてはその辺の話もじっくりしたいわけさ」


 狙われている、と。

 この錯覚は野性のカンか、はたまたアンラッキー体質が発する警告なのか。


「その代わりと言っちゃなんだけど、休日や空き時間は自由に学院の講義を受けてくれて構わないし、図書室や資料室も自由に出入りしていいよ。悪くないだろう?」

「た、確かに……ッて、野ウサギですからオレっ!?」


 えらくいい笑顔で鼻先にお宝をぶら下げてくる。若かりし頃に学者を志したことがあり、実はまだこっそりとその夢をあきらめていないフリックに、その誘惑を拒めるはずがないと解っているかのように。

 得意の軽口がこんな時に限って出てこないのは何なのだろう。

 セロアから聞いたのかゼオがばらしたのかそれとも別ルートから調べたのか、彼に自分の経歴が全部知られてしまっているのはもはや疑いなき事実だった。


「野ウサギでも海ウサギでも、向学心ある者にとってはまたとない機会じゃないかな。嫌じゃなけりゃ、明日詳しい話をするからまた来てくれるね?」

「う、……ンじゃ一応話だけ、聞きにキマス」


 最後はもう押し切られるような形で、ほぼ棒読みに近くなりつつ、フリックは首を縦に振る他に道はなかった。





「……あ、ついでに一個聞いてもいいっスか?」


 尋問みたいな面会がようやく終了して、書類が幾枚も押し込められた分厚い封筒を持たされ、帰路につこうとした所で、フリックはふと以前に聞いた噂を思い出した。


 そもそもの始まりとも言うべきは、道端の主婦たちが話していた、鹿に似た白い幻獣の目撃情報。その真偽を確かめたいがために、フリックはこの国に来ていたはずだった。

 ここへ来て、相当有名な学者かもしれない相手と話す機会ができたのなら、是が非でも聞いておかねばチャンスが勿体ないではないか。


「うん? なんだね」


 人懐っこい笑みに促され、フリックは恐る恐る尋ねる。


「結構前に耳にした噂なんですけど、……なんかライヴァン近郊で、鹿に似た白いでっかいイキモノがいたとか……聞いたことないですか?」

「鹿に似た、白い幻獣かい?」


 思考を読まれたのか、と一瞬思う。が、ルウィーニは真面目な面持ちでしばし逡巡しゅんじゅんした後、にやりと口元をほころばせた。


「もしや、きみも興味があるのかな?」

「い、イヤイヤ別にッ、狙ってるワケじゃねーですけどッ」


 いつもの反射行動で両手を振りつつ否定したが、ルウィーニは意味深に笑んだまま立ち上がり、壁に立て掛けてある魔術杖ウィザードロッドを手に取った。


「確かに、狙われちゃ困るけどね。彼の友人になってくれるなら、俺としては大歓迎かな」


 友達って何のことだろう。

 疑問を口に出すより先に、ルウィーニが杖を水平に持ち、囁くように呼び掛る。


「危急の用ではないが、会いたくなってね。きみさえ良ければ来てくれないか、クレストル」


 ひどく簡略された、だがまぎれもない召喚の儀。驚くフリックの目の前に白く目映い光が現れたかと思うと、ゆっくり輪郭を成してゆく。

 輝く白い巨体と、すんなり長い首。額にいただくは美しい螺旋の一本角、そして真夜中の湖面みたいな藍の瞳と。


「ユニコーン……?」

如何いかにも。吾はクレストルと言う。汝は、ルウィーニの友人か』


 静謐せいひつな声に問い尋ねられ、けれどフリックは口をぱくぱくさせるだけで、何も答えが出てこなかった。――圧倒されたと言ってもいい。

 不思議そうに首を傾ける白き獣の後ろでは、稀代の魔術師が笑いを堪えてそっぽを向いている。ここにきて初めてフリックは、彼が〝傑物〟と呼ばれる真の意味を理解した気がした。



 ただの学者でも教授でもない、天才施政家という肩書きすら凌駕りょうがする、精霊に愛された魔術師ウィザード

 そして、そんな人物の間近で自分は、これから様々な研究に携わるのだ、と。




 噂の白い幻獣は、追い求めていた獣ではなかった。

 憧れ続けていた夢に近づいているのか否か、正直今の時点では解らない。

 けれど。

 この出会いは、案外と悪くないかもしれない。


 そんな、気がした。






 fin.

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