0.ジークリンド=フェラー=ヴァイデンライヒ=リンデンバウム
いつの頃の記憶かははっきり覚えていない。
旅の吟遊詩人が街角で歌い語っていた
隣国とはい当時その国との関係はあまり良くなく、まして王族という立場上どう手続きを取ったものかと真面目な父は大層頭を悩ませたのだが、結局は父の妹でもある女王が
普段なら着ないような軽装に身を包み、女王に手を引かれてわくわくしながら出掛けて行ったのを憶えている。
ズサ、ッと思い切り痛そうな音を立てて目の前で小さい子供が転んだので、思わず駆け寄って助け起こそうと手を出した。その手が何かふんわりしたものに触れて、羽毛だと気づいたのは少し後。
「だ、だいじょぶかっ?」
小さな
「リンド、いかがいたしまして?」
柔らかな声とともに黒髪の女性が駆け寄ってきた。保護者として付き添ってくれた女王は、血縁の関係では叔母に当たる。
自身もまだ子供のリンドは幼子の怯えた様子にどうしていいか分からず、助けを求めるように彼女を見上げた――その時。
「息子から離れろッ、
酷く切迫した声が投げつけられ、リンドは思わず子供から手を離した。
女王――
バサッ、と強い羽ばたきの音が耳を打つ。眼前に突然現れた大きな翼の影が子供を奪い取り、リンドを翼で跳ね飛ばそうとする直前。黒い影が割り込み、何がなんだか分からないままリンドは細い腕に抱き込まれていた。
翼を打ち広げる音と、ざさ、と地面を鈍くこする音。一瞬、平衡感を失う。痛みを堪えるような呻きが聞こえ、リンドは自分が黒曜の腕の中にいる事に気がついた。
「――!? ひめさまっ」
腕の中の姪を庇おうとしたため上手く受身が取れなかったのだろう。不自然な体勢で転んだものの彼女はすぐに立ち上がり、乱れた髪を撫でつけながら自分を跳ね飛ばした
若い父親だった。向こうも、腕の中に小さな息子を抱き込んでこちらを睨んでいる。大きな青みがかった翼は自らの楯にするかのように弓なりに持ち上げられていたが、その大きさは左右バランス悪く違っていた。
殺気に近いほどの警戒を放つ彼に、黒曜は首を傾げて穏やかに話し掛ける。
「ごめんなさい、驚かせてしまいましたわね。わたくしたち、何もいたしませんから……怯えなくても大丈夫ですわよ」
「
彼は吐き捨てるように叫ぶと息子を抱えあげ、返事も待たず逃げるように雑踏に紛れてしまった。茫然としていたリンドが、その言葉に思わず声を上げる。
「ちょ……! いくらなんでもシツレイだっ」
「構いませんのよ、リンド。仕方ないことですもの」
「でも、ひめさま……っぁぁッ血がっ!」
彼女の目の下あたりが、鋭利な刃物によるかのようにすぱりと切れて血が流れていた。黒曜はあらと呟いて
「これくらい心配ありませんのよ。おそらくあの方は、
「……えっ」
言葉を失うリンドを黒曜はぎゅっと抱きしめ、耳元に囁くように言った。
「世界視点で言うならば、わたくしたちは加害者ですわ。でも、そのことで卑屈になったり、びくびくして暮らすことはありませんのよ。……リンド、あなたは良い子だから、自信を持って胸を張ってよくってよ」
「ひめさま、なかないで」
抱きすくめられて動けなかったけど、リンドは腕を伸ばして、黒曜をぎゅうっと抱き返した。
彼女の声は震えてはいなかったが……なんだか泣いてるように聞こえたのだ。
「姫さま、父さま、リンドは明日、旅に参ります!」
唐突な末娘の宣言に、父は石化したかのように凍りつき、黒曜姫は目を丸くして彼女を見る。
「あら、それはずいぶん突然ですのね」
「はい! 実はもうだいぶ前から決心していたのです。剣術で、兄さまから一本取る事ができたら、旅に出ようと!」
ガッツポーズに全開の笑顔。これは、本気だ。
「……アルル、取られたのか?」
不穏な目つきで父が問うと、兄のアルトゥールは、はは、と乾いた笑いで答えた。
「まさか、そんな決意を固めていたとは夢にも思いませんで……少しばかり手加減が過ぎたようだね」
「いいえッ! 兄さまあれは私の実力です!」
「たいした自信ね、リンド。……でもまだ、一本だけなのでしょう?」
ほんわか微笑みながら鋭く突っ込んだのは、姉のエルフリーデだ。リンドはうっと言葉に詰まる。
「そ……それでもっ! 誓いは誓いなのです姉さま! だからリンドは明日旅立ちます」
「止めても行くのだろう、おまえは」
深い溜息を吐き出して、父があきらめたように言った。黒曜は、くすりとそれを見て微笑む。
「まぁ、良いのじゃありません? 兄様。リンドは多少無謀な所がありますけれど、賢い子ですわ。そんな無茶なことはしませんでしょ?」
「はい! もちろんです姫さま、無茶はしないと誓います!」
「全く、おまえはそう軽々しく誓いなどと口にしたがる……」
「本当、父上にそっくりだよね」
くすりとアルトゥールに言われて、父が固まる。
「そうそう、融通利かないところもそっくりよね」
エルフリーデの微笑み込みの追撃に、今度こそ父は沈黙してしまった。
目指したいモノは、血塗られた歴史の清算ではない。
リンドは強い瞳で、愛しい家族が住まう王城を見上げる。
世界はもっと知るべきなのだ。人を想い、美しいモノを愛する事に、種族など関係ないのだと。
「さて。行くか」
道連れなき旅の始まりが、どんな絆につながっていくのか――その時まだ、彼女は知らない。
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