個別プロローグ

0.フリック=ロップ


 キリキリキリキリ……

 引き絞られた弓弦から三本の矢が同時に放たれる。鋭く風を切り裂く音と同時に、白い大きな影が大きく飛び跳ねた。


 ――カツッ…!!


 掠めるように二本が外れ、一本がその巨大な角に当たって弾かれる。角が砕け、カケラが散って陽光を反射した。――そのすべてを食い入るように、少年は瞬きもせず見ていた。

 切り立った岩場を造作なく跳ねて白い影がその向こうに消えるまで、ずっと。

 傍らの父も同じくそれを見送って、やがて悔しそうに息を吐き出す。


「今のは惜しかったぞ、フリック! 絶対、次こそは……!」



 叶えられなかったその夢は、その温度はそのままに、カタチを変えて彼の中に宿っている。

 あの忘れられない、鋭い矢尻が風を切り裂く音と共に。





「それがねぇ、すっごく大きな白い獣だって言うんだよ!」

「ナニソレ胡散臭いよ。大方、セイレイとかそういうモノだったんじゃないのー?」


 道行く人が思わず振り返ってしまうような大声で、主婦が二人かしましくお喋りをしている。通りがかりにその会話を拾った彼の長く垂れた獣耳が、ぴくりと反応してわずかに持ち上がった。


 腕利きの狩人だった父が数年前に亡くなって、彼の手元には形見となったペンダントが遺された。高価な宝石とか魔法効果のある術具とかそういったモノではなく、父が狩りで仕損じた鹿の角のカケラを細工したもので、どういう加減か光の反射で虹色に光る不思議な石だ。

 なにせ手作りの細工物だから骨董価値など不明だが、フリックにとっては何より大切なものだった。

 父の死後、彼は幼い頃に見た記憶と父の話を頼りにその鹿を探すことに決めた。

 父の遺志を継ぐ気持ちもあったが、どちらかといえば、共有したその記憶をもう一度確かめたいという想いの方が強いかもしれない。


 ……しかし、追い続けていた父でさえ一度しか見たことのないその獣を見つけ出すのは、簡単ではなかった。

 そもそも、普通の鹿――いや、獣なのかすらも不明。

 時々、父の話も幼い時の記憶も何かの誇張か作り話からキッカケを得た、ニセモノの想い出ではないかとさえ思うことがある。

 けれど、手の中に遺された虹色の石は確かな質感を伴う本物だ。だからフリックは、自活の傍ら空いた時間を利用して白鹿の情報を探している。


 とは言っても、本気で必死に探しているわけではなかった。かといってあきらめる気もなく。

 それはある意味、拠所よりどころのようなものであったかもしれない。




 ライヴァンの首都に大きな国立図書館があると聞いてから、ヒマを見つけてはそこに通うのがフリックの習慣だ。

 国営なだけに無料だし、借りる事は出来ないが座って読む分には長時間いても咎められない。そして人間フェルヴァーの国は他種族に対しても懐が深い。

 そんなわけで、その会話を耳にしたのも図書館へ向かう道すがらだった。


「それってでも、あの場所の話だろ? アタシは行きたくないねぇ……いくら珍しいのが見れるって言われてもサ」

「まぁねえ。でもあたしは、確実に見れるんならいくかもねぇ! なんたって、ヒヅメの先まで真っ白だってんだよ!」

「なになに、何の話ィー?」


 オバサン二人の会話にイキナリ割って入ってきた調子のいい相手を、二人はきょとんと見つめる。そこには、へらへらと愛想良く笑う若い男の姿。

 金茶の髪、好奇心旺盛そうなオレンジの目、へらりと垂れた長い薄茶の獣耳。


「あらァ、あんた獣人族ナーウェアかい! その耳は犬部族だね!?」

「あははッそうそう獣人族ナーウェア、でもワンコじゃないよー、ウサギだよー」

「冗談言っちゃってー、ウサちゃんなら耳は長くて立ってるものでしょッ」


 ウソではなかったのだが、豪快に笑い飛ばされた挙句、背中をバンバンと叩かれた。さすが人間フェルヴァー、主婦でも痛い。


「てててッ、嘘じゃないっスよー! っててイタタタ」


 否定はしてみたがさほど効果なさそうだ。まァいいかっと思いつつ、彼はとりあえず豪腕主婦のてのひらからさりげなく逃れ、尋ねる。


「でで、さっきの話! ヒヅメの先まで白いって……ズバリ巨大ヤギ! とか?」


 人差し指を立てマジメな顔で言ったら、もう一人の主婦がぶっと笑った。


「やあねぇ、アンタ。ヤギが白くたって珍しくもなんともないわよォ」

「はは、そうっスよねー!」

「ちょっとあんたッ、冗談だと思ってるでしょ!?」


 一緒になってけらけら笑う彼の肩を先に話していた方ががしりと掴み、ぐっと顔を近づけて詰め寄った。なかなか迫力がある。


「なんでも、シカみたいなナリのヒヅメがある、角のある獣って話なんだヨ。ウチのダンナが言うには、キラキラ光って良く見えなかったそうなんだけどね、その角」


 フリックはさも驚いた風に目を丸くして、言った。


「へぇー、角の光る白いシカってなんかスゲェですよねー! ハンターの血が騒ぐって言うか」

「あんたウチのダンナと同じこと言うネェ! ……ただ、そのシカが出たって場所が、ちょっとねぇ」


 意味深なその言い方に、フリックは首を傾げて見せた。そうすると、彼女は待ってましたとばかりに聞いた噂を話し出す。

 その場所――サイドゥラという地は、いわゆるゴーストゾーンというヤツらしい。その話は一応知っていたが、五年程前に解決したと言う話も聞いている。

 あれこれ親切に噂を教えてくれるオバサンたちに礼を言って、フリックはその場を後にすると、少し離れた場所でベルトポーチからメモ帳を取り出し、書き付けた。


 ウワサはウワサ、如何程いかほど信憑しんぴょう性があるとも言えないが。

 指で器用にペンをくるりと回して、にんまりと笑う。

 火のない所に煙は立たない。行ってみて、確かめることに損はないだろう。




 追い続けている夢の正体を、彼は明確に知っていたわけではなかったけれど。

 その強い憧憬は、やがて未来を引き寄せる。






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