遥か灰燼のアルカディア

Gorgom13

第一話

 レウリス暦二四四五年七月、突如勃発した核戦争で世界は突然終末を迎えた。


 開戦日にして終戦日でもあったその日を、私と兄は「世界最期の日」と呼んでいた。ハイスクールも夏季休暇に入ったばかりの七月下旬、私は五つ上の兄に自動車運転の特訓をして貰った。直後に無事免許証を取得。来月は兄とドライブで遠出しようという計画を話し合っていた最中だった。皇国時間七月三十一日午後十二時十三分、世界中を凄まじいまでの真っ白な閃光、灼熱の炎、大地震を思わせる爆風が襲った。そして黒く淀んだ、いつ止むとも知れぬ雨────。


 不幸中の幸いというのも不謹慎ではあるが、故国が核攻撃を受けたのは先進主要国の中では遅い方であった。同盟国が最初に攻撃を受けたとの速報が発せられて第一撃が国土の西半分を焼き尽くすまで十五分の猶予があった。


 その短い間に、幸い家の近くにいた兄と私は地下の核シェルターに退避することが出来た。両親に連絡を取ると、職場近くの避難所に向かうから心配するな、後でそっちに向かうからシェルターで待っていろと言われた。


 地下十メートルに作られたシェルターに籠った後は、ネットや電波放送の映像を身を固くして見つめる他はなく。映像が途切れるのと、衝撃波がシェルターを襲ったのはほぼ同時だった。室内は停電で一瞬暗くなったが、すぐに自家発電に切り替わり緑色の非常灯が私たちを照らした。その薄暗い照明の中で、兄と身を寄せ合うように座っていた私は手を固く握りしめていた。


 核爆発による電磁波の影響で、衛星は使用不能となり、サーバーや経由基地も壊滅的打撃を受けた。結果、シェルターに接続された外部カメラや放射線検量装置サーベイ・メータからの情報以外、外の様子を知る手段は皆無となった。


 しかもカメラ端末の殆どは瓦礫に埋もれ、あるいは破損して使い物にならなかった。両親とはそれ以来連絡はつかなかった。無論気にかかってはいたが、兄も私もそれを口にすると認めたくない現実を突きつけられるような気がして、その話はあえて避けていた。兄としては恋人の安否も気にかかっていただろう。だが、目の前にいる私を置いて探しに行く訳にもいかなかったようだ。


 それからは二人でのシェルター暮らしが始まった。両親が食料や水を豊富に残してくれていたので、半年は問題なく過ごせる予定だった。兄は、「何とかなる。大丈夫だ」と言ってくれたが、それを字義どおりに受け取ることなどできなかった。現状を生き抜くのは容易ではないことを、当然二人とも悟っていたのだ。しかし、だからお互い仲良くその状況に耐えたかというとそうはいかなかった。


 閉ざされた空間の中で張り詰めていたせいか、つまらないことでしばしば口論になった。それが虚しい衝突であると分かっているはずなのに、元は仲の良い兄妹であることが信じられないほど、制御不能な激情に襲われて相手を罵倒し合うことが増えていった。その度に、決して広くはないシェルター内の離れた場所でしばらく口を利かずにいる日々が続いた。


 外部の放射線量が外出可能域にまで低下したことをサーベイ・メータが示したのは二か月後のことだった。一般教養では核兵器が使用されて二週間程度で外出可能と教えていたのだが、その予想は実測値と大きくずれていたのだ。あれ以上シェルターで単調な生活が続いていたら気が変になりそうだったので、二人ともほっとし胸を撫で下ろした。


 まず兄が放射線遮断繊維で作られた防護服に身を包んで、外部の様子を探ってきた。家屋は完全に崩壊状態で、一階に続く階段には瓦礫が山積みとなっている様子だった。その日から、兄はそれら瓦礫を少しずつ撤去し始めた。私も手伝おうとしたが、兄はそれを頑なに拒んで一人で作業を続けた。


 男としての矜持があってのことだろうけれど、実際兄をかつて無いほどに逞しく感じていた。発作的に怒りをぶつけあっていた二人が、嘘のようにかつての良好な関係に戻ったのはこの頃からであった。

 

 シュミレーション通り、外の気温は例年の平均より二十度も低下していた。核爆発による都市の破壊で百万トン単位の粉塵が大気中に拡散されるとの試算があり、その影響で太陽光が遮断されているのだ。外は一時的な集中豪雨が続いているようだった。


 作業を終えてシェルターに戻ると、兄はまず宇宙飛行士のような恰好のまま洗浄液を十分ほど浴びて灰燼を洗い流し、更に防護服を脱いでから十分以上シャワーを浴び、ようやく室内に戻ってきた。その全ての過程にサーベイ・メータによる入念な放射線チェックを行っていた。作業は少しずつ、午前と午後に各三時間程度行い、一週間かかってようやく我が家だった瓦礫の外に出るルートを確保できた。三階建てだった我が家は小さな地震一つで更に崩落する危険性があったので、決して安全なルートではなかったが。

 

 兄は再び外部に向けてカメラを設置し直し、それをシェルター内のモニターに接続した。おかげで周囲をいつでも視認できるようになった。屋内から外に出るまで、兄は暴徒がいないか、放射線残量に変化はないかをしきりに調べていた。時に小型無人機を飛ばして偵察することもあった。周囲の安全をほぼ確認できたと判断した頃には、カメラを設置して一週間は経っていた。


 それから、兄が周辺の地域を探りに日中出歩くことが増えた。生存者や物資を探しに行っていたのだ。もし信頼できる人物やコミュニティがあれば、そこから物資の調達ができる可能性があった。恐らくだが、両親の職場跡や恋人のいた住居にも足を伸ばしたに違いない。兄がそれについて一切触れないことが、却って冷酷な事実を物語っているように感じられてならなかった。


 恐らく私と口論になりかねないと思って言わなかったのではないか。私も敢えて尋ねようとはしなかった。本当なら、兄一人に背負わせるべきではなかったのだろう。言い争いになってもいい。二人で悲嘆にくれるのもいい。そうした辛い現実を二人で受け止めるべきだったのだと、後で何度も後悔することになった。だが、あの時の重苦しい雰囲気と、兄の暗い目を直視することは当時の私には荷が重かった。思えば私も不安で仕方がなかったのだ。私に出来る事と言えばシェルターの管理と兄の行動を手伝うことくらいだった。


 兄が外にいる時、シェルターに残ってカメラで周辺に異変がないかを監視するのが私の役割だった。視界を遮る大きなビルが無くなった今となっては、カメラは広範囲を視野に収めることができた。かつて存在した見渡す限りの巨大都市群は、今やただ廃墟と瓦礫、それらを覆い尽くさんばかりの広大な砂漠と化していた。それも自然界のそれとは異なる、黒みがかった灰色の砂漠である。


 地上だけではない。空もまた淀んだ鉛色の雲に覆われたまま、一向にその彼方にあるはずの太陽を見せなかった。私たちが再び陽の光を見たのは、核爆発の日から実に五か月後、つまり十二月の半ばのことである。

 

 その間、人の姿は誰一人として姿を見かけなかった。顔見知りの人や、ただすれ違うだけの人、挨拶を交わしていた苗字しか知らなかった人々が、ふっつりと消え去った静寂の世界────。それもただいなくなったのではない。皆、死んだのだ。その厳然たる事実が、想像以上にじわじわと私たちの精神に打撃を与えていたように思う。私は自分という存在が黒い霧の中に拡散していくような、茫漠とした恐怖とも虚無ともつかぬ感情を抱えていた。


 太陽が再び現れた日、私も初めて外に出た。既に空気中の放射線量は安全域にまで低下しており、放射性物質の蓄積した場所に近寄りさえしなければ危険性は低いと考えられた。それでも放射線遮断性繊維で製造された衣服とマントを羽織り、手袋を嵌め、顔には防塵性マスクとバイク・ゴーグルを装着したのは用心深い兄の指示に従ったものである。兄の運転する車は、付近の自動車販売店の地下駐車場に放置されていたものを修理したものだ。


 崩落しかけたその場所にあって、幸い崩落したコンクリートに潰されることもなくほぼ完全なまま残された車両だった。ホバリングによる低空飛翔が可能なそのモデルを、兄は何とか瓦礫の中から飛び立たせ、シェルターの近くまで運んできたのだった。それに乗って二人で食料工場の倉庫に向かった。運転席の兄の顔はマスクとゴーグルのせいで表情を窺うことができなかった。だが、ふと兄が運転を仕込んでくれた時のことが脳裏に蘇り、胸に熱いものがこみ上げてきた。


「どうした?」


 兄がこちらを向いて尋ねた。何かを話したら涙を零しそうだった私は、首を振るだけにして外に視線を移した。


 倉庫跡には既に二十名ほどの先客がいて、大型トラックに荷物を運び入れる最中だった。兄と私はすぐに車を止め、身を隠しながら双眼鏡で様子を見ていた。もし協力できそうな相手なら、互いに助け合って生存することが可能かも知れない。そんな淡い期待はすぐに打ち砕かれた。彼らの大型トラックのすぐ近くに、白いミニバンが停まった。中から二十代くらいの若い男女数人が現れ、作業を見守っていた頭目らしき中年のスキンヘッドに話しかけるのが見える。スキンヘッドは若い男が語りかけている最中、黒い何かをその男に向けた。


 五百メートルは離れていた私たちの耳に、乾いた破裂音が飛び込んできた。硬直する他のメンバーに向けて、スキンヘッドはなおも躊躇いなく銃弾を撃ち込んでいった。生き残った三人の女は、すぐにスキンヘッドの仲間に捕まり凌辱が始まった。大陸の言葉を喚き散らしながらはしゃぐ男たちからは、もはや人間の尊厳などその辺に転がる瓦礫程度にしか考えていないことが伝わってきた。

 

 唇を噛みしめるようにその様子を見ていた兄は、私の肩に手をまわして戻るぞ、と掠れた声で囁いた。それからは、迂闊に外も出歩けなくなった。あの連中に見つかったら何をされるか、火を見るより明らかだったから。武装と言えるものはその辺で拾った鉄パイプくらいしか私たちは持っていなかった。


 それ以来、大型ショッピングモール跡は避け、周辺の小さな商店街跡を中心に食料を探して回った。車の移動では発見される可能性が高まるので、夜に暗視ゴーグルを使って徒歩で周囲を警戒しながら進んだ。暗視ゴーグルは工学系の院生だった兄が、以前面白半分に作成したものではあったが、十分に機能していた。


 最大の問題は水だった。サーベイ・メータによって雨水に含まれる放射線量を測定していたが、セシウムをはじめとする比較的半減期の長い放射性同位元素は依然高濃度を維持していた。さすがに放射性物質処理プラントまでは核シェルターには設置されておらず、私たちは汚染されていない水も探さねばならなかった。

 

 その日もいつものように探索に出かけ、夜中のうちに商店街の中では少し大きめのスーパーマーケットだった場所に潜り込んだ。既に別の生存者が資材を漁った形跡があったが、二人で少しずつ荒らされていない場所に進んでいった。


 そして崩落したコンクリートの瓦礫に隠されていた地下一階に続く通路を見つけ、何とか体を滑り込ませ、粉塵の積もった階段を下りて行った。地階に降りると、暗視ゴーグルを外して懐中電灯の光を頼りに進んだ。中には白骨化した遺体が幾つも転がっていて、うっかりするとご遺体を踏んでしまいそうになった。


 半ば開きかけた扉の中に進むと、そこには食料や衣服、日用品などの在庫が山積みとなっている。床に散乱する人骨を避けながら、二人で水と食料を台車に乗せ、音を立てないように元来た道を進んでいった。ここに眠る人たちは、恐らく放射線への備えが無かったために急性放射線障害のために亡くなったのだろう。私たちは地上に上る前に、一度振り返って黙祷を捧げた。後はもと来た道を戻るだけだ。


 暗視ゴーグルの先に、幾つかの人影を見つけたのは我が家たるシェルターまであと十分という場所だった。兄が私の腕を掴んで付近の物陰に引きずり込んだ。そっと二人で様子を窺っていると、私たちのシェルターの周りを何人かの男たちがうろうろと歩き回っていた。その中に、見覚えのあるスキンヘッドの姿を認めたとき、背筋が凍り付くのを感じた。


 大陸の言葉で何か喚きあっているのが聞こえてきたが、その内容までは理解できなかった。恐らくシェルターの中に人がいると考えているのだろう。兄が私の肩に手を置いて、首を振った。そして、そっと二人でその場所を後にした。以来、根無し草としての放浪生活が始まった。それは必然的に略奪者からの逃避行を意味していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る