第3話 皆藤静流、本気の素顔。(後編)
食事を終え、一息つくと皆藤主任はテーブルの上の食器を下げ始めた。
「あ、俺も片付け手伝いますよ」
「気を遣わなくていいのよ。適当にくつろいでいて」
そう言われて、上げかけた腰を再び下ろす。
しかし、手もち無沙汰で何をしていればいいか分からない。紗月は実愛ちゃんとソファーに移動してくつろぐ気満々だし。ただボーっと座っているのも気が引けるので、倣って俺もソファーへ移動した。
「あ、貴大さんも一緒にゲームしよ」
実愛ちゃんはテレビゲームをする準備を着々と進めている。以前うちに持ってきたハードだった。紗月はコントローラーを持ち、実愛ちゃんの準備が終わるのを待機している。
うーん……ゲームか……皆藤主任が片付けをしている傍ら、悠々とゲームに勤しんでもいいものなんだろうか。そんな後ろめたい気持ちから、ちらりと皆藤主任の方を見る。
「ふふ、いいんじゃないかしら。付き合ってあげて」
俺の視線に気付いた皆藤主任は、快く子供たちとのゲームを勧めてくれた。
そういえば皆藤主任も紗月とは遊んでもらっているとか言っていたし、こうやってゲームに付き合っていたのかもしれない。まあ、二人のゲームを眺めているより参加していた方が気楽に過ごせるだろう。
「貴大さんのコントローラーコレでいい?」
実愛ちゃんが俺に差し出したのはProコントローラーだった。やり込みたい人向けの操作性に優れる一般的な形のやつだ。実愛ちゃんと紗月は付属のJOYコンを持っている。
「うん、なんでもいいよ」
俺は実愛ちゃんからコントローラーを受け取った。
最初に実愛ちゃんがうちに来た後日、俺は紗月と一緒に同じゲームを買いに行った。ちょこちょこ時間があるときに一緒にやっているのだが、やはり付属のJOYコンはちょっと使いにくい。ということで、いつも俺が使ってるコントローラーは、受け取ったこのProコンを使用している。
まあ、小学生相手にゲームをするので、使いやすさは度外視してもいいような気もする。万全の態勢で本気を出すのも大人げないか。
実愛ちゃんが立ち上げたソフトは、色んなゲームのキャラクターが多数登場する乱闘系のゲームだった。殴って投げて、相手を場外へ落とすアレ。これも先日紗月にねだられたので、購入して一緒にやっている。登場キャラクターが多すぎて、まだ全キャラ出せていない。
タイトル画面からモードを選択し、キャラクター選択画面へ切り替わる。
「全キャラ出てる……すげーな……」
「うん、うちは発売日から買ってるからね!」
発売日からやっているとしてもこのゲーム、小学生には難易度高いと思うぞ。紗月はキャラクター出すのはすぐ諦めて、全部俺に任せっきりだし。実は俺もちょっと苦戦している。
それぞれがキャラを選択し終え、対戦スタート。
開幕から実愛ちゃんと紗月は俺を集中攻撃しにかかる。俺を挟みこんで、息の合った連携プレー。適当に相手をしていたら、あっという間に実愛ちゃんに場外へ吹っ飛ばされた。
「なーんだ。貴大さんって大したことないんだねー」
「いやー油断してただけだよ」
ふっ……調子に乗るなよ。小学生に負ける俺ではない! ここからはちょーっとだけ、本気だしちゃおっかなー。
気持ちを切り替えて少しゲームに集中し出す。しかし意外と一筋縄ではいかなかった。
やはり実愛ちゃんはなかなか上手い。最初から明らかに紗月と結託して俺を潰しに掛かってくるのだが、どことなくぎこちない動きの紗月をフォローしながら立ちまわっている。
結果的にギリギリ勝つことが出来たが、結構危なかったかもしれない。
「ああ……もうちょっとだったのに!」
「私ももうちょっと練習してくればよかったなあ」
「良い線いってたけどまだまだだね」
小学生相手にわざと負けてあげるという選択肢が無い俺。そうやって甘やかされて育っていくのは良くないことなんだ。この敗北を糧に強く生きるがいい。大人になればその有難味が身に染みて分かる日が来る。
そんな感じでゲームを堪能していると、片付けを終えた皆藤主任がやってきた。
「私も混ざっていいかしら?」
「お母さん、混ざりたくて早く片付け終わらせたでしょ?」
「まあ……少し、ね」
少しバツが悪そうに皆藤主任はソファーへ腰掛ける。
向かって右から俺、紗月、実愛ちゃん、皆藤主任の順で、三人掛けのソファーはぎゅうぎゅうになった。なんかホント、こうやって皆藤主任とゲームをする日が来るなんて考えたこともなかったな。というか、職場での皆藤主任しか知らなければ思いつくはずもない。
そんな感慨に耽りながら、ふと皆藤主任の方を見た。
「な! なん……だと……」
俺は皆藤主任が手に持っているものを見て、驚きを隠せなかった。
皆藤主任が持っていたのはクラシックコントローラー。過去のゲーム機のコントローラーを模したもので、その操作性の良さから人気も高く、新しいハードが出続けてもこのコントローラーは未だにその形を遺して使われ続けている。
特にこのゲームソフトとの相性が良く、ガチな人は大抵このコントローラーを使う。むしろガチな人しか使わない。
「皆藤主任……結構ゲームやるんですか?」
「私、こう見えてもかなりのゲーマーよ」
マジか。その可能性は全く考慮していませんでしたよ。
「さあ、始めましょう」
そう言った皆藤主任の目つきが鋭く光る。
対戦が開始すると、無残で凄惨な光景が広がった。
皆藤主任は開幕と同時に、俺を集中的に攻めてかかる。うまく対応しようとするが、成す術なく連続攻撃を叩き込まれ、一瞬にして場外へ。
「紗月ちゃん! お母さんが貴大さんに集中してる今のうちだよ!」
実愛ちゃんと紗月は、先ほど俺にしたように連携プレーを発揮するが、皆藤主任はそれを全ていなし、二人を軽くふっとばす。
気がつけば戦況は三対一の構図に。三人で集中的に攻め立てるも、ものともしない皆藤主任。
結局、皆藤主任を一回も撃墜出来ないうちに試合が終了した。
「…………強すぎる」
たったの一戦だけで皆藤主任の強さを思い知らされた。
こういう対戦ゲームの必勝法として、最も有効な手段は対策だと思っている。しかし、その対策を立てるにあたって、膨大な知識と研究、そして数多の経験を重ねてこそ初めて成立するものだ。
実愛ちゃんと紗月相手には以前にもプレイしているだろうから、その対策が万全なのは納得がいく。しかし俺はどうだ? 俺が使用しているのは、今作から初めて登場するキャラクターで、その対策も十分確立されているとは言い難い。
しかし、皆藤主任はそんな俺との初見プレイですら、俺の動きを完封した。
一番の敗因としては俺自身の対策不足。何回か対戦を繰り返していけば戦えるようになるだろう。そんな思いも虚しく、俺は皆藤主任に敗戦を積み重ねた。
類まれなるゲームセンスを持つ、生粋のゲーマー。意外というか、予想外というか、もう想定外。これが俺の上司、皆藤静流の知られざる一面だった。
「お母さん、いつになく本気出すね……」
「このくらいやらないと橘君に負けちゃうでしょ」
「はあ……大人げな……」
「ふふ、なんとでも言いなさい」
たかがゲームにどんな相手だろうと手を抜いて負けることを許さない姿勢の皆藤主任。正直、その気持ちは凄い良く分かる。
なにを隠そう、実は俺も生粋のゲーマー気質。就職してからは一線を離れているが、学生の頃の俺はもう、相当なものだった。
ゲーマーと言っても多種多様なものを好んでいるのではない。俺が好んでやっていたゲームは2D対戦型格闘ゲーム、いわゆる格ゲーというやつだった。
戦場は主にゲームセンター。毎日のように通い詰めている時期もあった。
全国大会常連プレイヤーが集うハイレベルなゲームセンターで、コテンパンにされながらもある程度いい試合をしていたので、実力もそれなりにあったと自負している。全国大会には出られなかったが、地区予選では惜しくも準優勝したことだってあるくらいだ。
だからゲーム自体は変われど、こういった対戦型ゲームにはある程度の自信はあった。実際、今やっているこのゲームも、たまにオンライン対戦をするが勝率はかなり高い。
それがどうしてこうなった。
皆藤主任が意外とゲーマーだという事実より、自信のあった対戦型ゲームで蹂躙されているという事実が俺のプライドを深く傷つけた。
「くそっ……なんで勝てないんだ……」
「橘君はまだそのキャラクター、ちゃんと使いこなせていないのよ。まだまだやり込みが足りないわね」
悪態を吐いていると、的確な指摘が飛んでくる。確かに、このゲームは触り程度しかやっていないので、基本的な動きしか出来ていない。しかし、皆藤主任はどれだけやり込んでいるんだよ……
食後に皆でワイワイゲームを楽しむつもりだったが、いつの間にか俺はなんとかして皆藤主任に勝つことに躍起になっていた。
このままじゃ引き下がれない! なんとか一矢報いたい!
ふとテレビボードの中を見ると、そこはゲーム関係の機器で埋め尽くされていた。色んなハードやコントローラー、そしてそのソフト諸々。さすがにゲーマーを自ら騙るだけある。
その中で俺は見つけてしまった――
俺が今まで最も時間を費やし、最も自信がある2D対戦型格闘ゲームのタイトル『Genesis Grief』の家庭用ソフトを。
無意識だった。
というか考えるよりも先に身体が動いていた。気付くと俺は、持っていたコントローラーをソファーの上に投げ捨て、そのソフトを手に取っていた。
「皆藤主任!! 次はこれで勝負しましょう!!」
そう言った俺を、紗月と実愛ちゃんは冷ややかな目で見る。「何言ってるんだコイツ。皆で遊んでる途中なのに、頭おかしいんじゃねーの」とでも言いたげだったが、今の俺にはそんな事を気にしている余裕はない。
自分の庭に引きずり込んででも、皆藤主任に勝つことしか頭がなかった。
しかし、あまりにも行き過ぎた俺の大人げない行動に、皆藤主任は一喝する。
「あら、そのゲームで私に挑むなんていい度胸してるじゃない」
ということはなく、かなりノリノリだった。
「ちょっと待ってね。準備するから」
そう言って皆藤主任はソファーから立ち上がる。
「紗月ちゃん、ゲームバカな大人は放っておいて、私達は避難しよう」
呆れ顔の実愛ちゃんは、紗月の手を引いて早々に別室へ移動して行った。
悪いな、子供たちよ。ここからは大人だけの真剣勝負の時間だ。
皆藤主任は折りたたみ式の小さな机を置き、その上一面に滑り止めを広げる。そして、アーケードコントローラーをドンっと置いた。
「コレ、一つしかないんだけど、橘君はどっちがいいかしら?」
「あ、俺はどっちでもイケるんで、普通のコントローラーでいいですよ」
ゲーセンプレイヤーはレバー一択だと思われがちだが、俺はどちらかといえばコントローラー派。アーケード筐体にもコントローラー接続口が欲しかった。って言うといつも邪道って言われる。何故なんだ。
準備が整い、いざゲームスタート。
俺はいつもの機動力の高い女キャラクターを選択する。多彩な攻撃手段を持つ比較的テクニカルなキャラクターだ。
皆藤主任の方は電撃の剣を持った剣士を選択する。バランスの取れた性能と複雑な操作が必要ない、初心者が好んで使用するキャラクターだった。
うんうん、女性とか初心者は大抵このキャラクターを使うんだよな。俺は自分の最も得意とする分野で、初心者相手に既にマウントをとった気でいた。
この流れでどういう結果になったかは、言わずもがなか……
そう、俺は皆藤主任の前に成す術なく、一方的にやられてしまったのだ。
確かに俺は一線を離れてしばらく経つし、多少のブランクはあるだろう。しかし、身体に染みついた感覚はそう簡単に忘れられるものではない。全盛期の頃と全く同じという訳にはいかないが、そこまで衰えを感じさせない動きが出来ていた。
それでも、全く歯が立たなかったのだ。
全盛期の頃は、名だたるトッププレイヤー相手に、それなりに戦ってきたつもりだった。どの程度かと言うと、五戦に一戦は勝てるかどうかくらい。勝てなくとも2ラウンド先取の戦いで、三戦に一戦は1ラウンドくらい取れていたと思う。
それが今はどうだ。今、十戦目を終えたところだが、一勝どころか1ラウンドも取れていない。
「いやー皆藤主任強いですねー」
台詞も棒読み。あまりのショックに茫然自失になっていた。
「橘君もなかなか強いわよ。まさか本気でやることになるとは思わなかったわ」
もはやそんな言葉も耳には届かない。画面を見つめる俺の眼は完全に死んでいた。
とにかく強すぎる。どう強いかとかは、このゲーム特有の専門用語が羅列するので省略するが、もはやチートと言っても過言ではない。
俺の知る限り、この実力であれば全国大会レベルでも通用するどころか、優勝確実とまで言えてしまうのではないだろうか。
そこまで考えてハッと思い出す。
以前、このゲームのプレイヤー間で持ちきりとなった噂があった。それは家庭用のオンライン対戦でめちゃくちゃ強いプレイヤーがいる、というものだった。
全国大会出場プレイヤーすら圧倒する実力を持つも、その素性は誰も分からず、どこのゲームセンターでもその姿を現さない。実は、精巧にプログラムされたAIではないかと言われたことすらある。
そのプレイヤーの一人は電撃の剣士使いで、キャラクターカラーは常に黒を使用していたことからこう呼ばれるようになった。
「……
「うーん……その呼び方、あまり好きじゃないのよね……」
皆藤主任は眉をしかめながら言う。
「本当に……皆藤主任があの
「なんか……そう呼ばれているみたいね。本当は
ああ……気にしているのはその部分でしたか。いや、画面の向こうのプレイヤーが男性か女性かなんて判別がつかないから、自薦でもしないと修正できないだろう。皆藤主任、意外と中二っぽい。
「はあ~~~~…………そりゃあ、俺なんかがいくらやったところで勝てるわけがないよなあ~~」
事実を知った俺は、脱力してソファーの背に身体を預ける。自信満々で挑んだ先ほどはプライドがズタズタにされた思いだったが、今となってはむしろ清々しい気分になっていた。人が神に勝てるわけがない。
「次の対戦はいいのかしら?」
「いやーさすがに勘弁して下さい。次は……出直してきますよ」
「そう。じゃあ、少し休憩しようかしら」
そう言って、皆藤主任は立ち上がりキッチンへ向かう。
「橘君、ワインは飲めるかしら?」
「あ、はい大丈夫です」
俺はそのままソファーで待った。
いやしかし、気付けば皆藤主任の私生活にかなり踏み込んでしまっているけれど、これが知られざる本当の素顔なんだろう。料理上手で家庭的な面もあれば、実はゲーオタでトッププレイヤーすら圧倒する実力の持ち主。
まあ、仕事での一面を切り取ったところで、その人の全てが分かるなんてことはない。皆藤主任に限らず、意外な素顔を知らない人がほとんどだろう。それを意外と言っている時点で、勝手なイメージの押しつけなのかもしれないが。
そんなことを考えていると、ふと美波さんの顔が思い浮かんだ。
誰にでも優しくて、いつもニコニコしていてふわふわな感じ。それが美波さんに対する俺のイメージだった。実際、本当にそうなのかもしれないけれど、やはり俺の中ではイメージの域を出ない。
俺は――美波さんの素顔を知らない。美波さんの素顔が見えない。
それは今に始まった事ではなく、最初に出会った頃から感じていることだった。
なんていうか、これ以上踏み込ませたくないっていう壁みたいなものがあるんだよな。
もしかしたら美波さんにも、表面には現れないような一面があるのかもしれない。実は超人気ユーチューバーとか。うん、それなら職場の人にはバレたくないな。あ、でも超人気なら即バレか。
勝手な妄想で、少し笑いが込み上げる。
「はい、どうぞ」
キッチンから戻ってきた皆藤主任は、ソファーの前にある小さなガラステーブルにワイングラスを二つとチーズクラッカーが入った小皿を置いた。ワイングラスには淡い朱色が注がれている。赤ワインだろうか。
「そんなにニヤニヤして……何を考えているのかしら」
「ああ……いや、皆藤主任がこんなにもゲーム好きだったなんて意外だなーと思って……はは」
愛想笑いで誤魔化し、表情を修正するようにワインを口に注ぐ。スッキリとした飲み口の後に、黒スグリの甘さが広がった。
「あ、これキールですか」
キールとは白ワインをベースに、カシスリキュールを加えたカクテルの一種。皆藤主任の作ったものは少しカシスが多めで、ジュースの様な柔らかい飲みやすさがあった。
「そうよ、良く分かったわね」
「分かるのはコレくらいなもんですよ」
そして小皿のチーズクラッカーを一つ摘まむ。これ、何のチーズだろう? 塩分が多めで、甘いキールとの相性が抜群だった。
横に居る皆藤主任は、俺を避けるかの様に、身体を斜めにして座っている。場所もソファーの淵ギリギリで、その距離感は遠い。なんか気に障るような事でも言ってしまったのだろうか。
「どうしたんですか?」
「いや……なんか、冷静になったら急に恥ずかしくなってきちゃって……」
「恥ずかしい……って何がですか?」
「私がゲーム好きな事……」
皆藤主任は本当に恥ずかしそうに呟く。
「最近ゲーム好きな女性は多いですし、そんなに気にすることはないですよ。まあ、それだけの実力があるのに大会とか出ないのはもったいないな、とは思いますけど」
「基本的に家ゲーマーだから、外で自分の姿を晒してゲームをするのは抵抗あるわね……」
皆藤主任の実力からして、大会は常に上位、もしくは優勝すら可能性は高い。そうなれば小さくともメディアに取り上げられるのは確実だろう。今の色んな立場上、それはあまり好ましくはないか。
「皆藤主任の立場ならそうでしょうね。でも、家庭や仕事を疎かにしているわけじゃないんですから、恥ずかしがらずにもっと誇って良いと思いますけどね」
本当にいつゲームやってるんだと思うくらい。この人の一日は三十時間くらいあるんじゃないだろうか。
「そう……かしら……でも! お願いだから、誰にも言わないで!」
「いや……誰にも言いませんって……」
言ったところで信じてもらえないような気がするし。それに、なんでそんな事を知っているんだと突っ込まれたら、事の経緯を全部説明しなくてはいけない。
ワイングラスをに取り、勢いよく喉の奥へ流し込む。精神的にも摩耗している身体にアルコールが行き渡るのを感じた。
「まあ……ゲームの事は言わないにしても…………実愛ちゃんの事は、いつまで秘密にしておくつもりなんですか?」
って俺は上司相手に、何を偉そうに口走ってんだろうか!? いや、最近特に感じていたことではあるが、まさか自分でもこのタイミングで口にするとは思っていなかった。先ほどの対戦でナチュラルハイなテンションは残るし、アルコールにも後押しされたか。
俺は横目で皆藤主任の方を窺う。伏していた顔を上げ、意を決したように口を開いた。
「貴方にはいつか言われると思っていたわ。なんでそう思ったのか、少し聞かせてもらいたいわね」
一瞬、どう返すか迷ったが、俺はこのまま突っ走る覚悟を決める。
「最近、周りから皆藤主任の雰囲気が変わった、という話をよく聞くんです。それについて皆藤主任自身はどう思ってるのかなって……少しでも、実愛ちゃんの事、話す気にはなったのかなって考えていました」
「そうね……私自身、職場での雰囲気が変わったと言う自覚はあるわ。でもそれは、実愛の事を話す気になったというわけではないの。どちらかといえば橘君のせいね」
「俺のせい……ですか?」
心当たりがないが、何故か悪いことをした気になって焦りを感じる。
「ふふ、貴方のせいと言うのは、少しイジワルな言い方だったわね。実愛の事を誰も知らなかった時とは違って、今は知っている人がいる。その相手はたった一人であっても、気の持ちようが全然違ったのよ。少し軽くなったのかしらね。今は仕事中、常に気を張り続けるのが難しくなっている」
「実愛ちゃんの事を知っている俺のせい、ってことですか」
「そう、橘君のせいね」
皆藤主任は少し楽しそうに含み笑いで言う。
「気持ちが軽くなった、というのはやっぱり隠してることは無理をしてる、ってことですよね? だったら、やっぱり皆に打ち明けた方がいいんじゃないですか?」
からかいを受け流した俺の追撃に、皆藤主任は表情を曇らす。
「無理はしているのでしょうね……でも、今はまだ言えない」
「どうしてですか?」
「色々事情があるのよ」
「色々ってなんですか……このまま隠し続けるのはあまり良い事とは思えません……皆藤主任の為にも、実愛ちゃんの為にも――」
そこまで言って思わず口を噤んだ。
「こうやって隠し続けていることは、実愛のためにならないと思っているのね?」
「……」
俺は沈黙で肯定を示す。家庭の事情に踏み込むべきではないと思っているが、自分の考えも否定したくはなかった。
「そんな顔しないで。責めているわけではないのよ。ただ、改めて言われると……ちょっとショックよね。私自身も良くないことだと言うのは分かっている、つもりだった……
でも、誰もそれを指摘する人は居なかったし、実愛も気にしてる様子を表に出さない。だから、気付いていないフリをして誤魔化してきたの……」
「だったらすぐにでも皆に話しましょうよ!」って言いたいのをグッと堪えた。上司に心の内を曝け出させてしまったこの状況は、申し訳なさでいたたまれなくなる。そんな感じで自分の本心なんて、どんどん奥の方へ引っ込んでいってしまった。
なんて返したらいいか分からずに黙っていると、皆藤主任が再び口を開く。
「でも、やっぱり今は打ち明けることが出来ない。私には、積み上げてきた立場と言うものがあるの。簡単に母親の顔を晒しては、下の者に示しが付かない。
でも……いずれ……必ず話すわ。だから、今は少し時間をちょうだい……」
皆藤主任にも迷いはあったようだ。ふいに踏み込んでしまったが、少しでも背中を押すことが出来たのだろうか。
「分かりました。俺はその時を待っています」
皆藤主任が自分で話すと言っている以上、俺からは何も言うことはない。
「悪いわね。なんか気を使わせちゃったみたいで」
「いえ、そんなことないですよ。ただ……皆藤主任と実愛ちゃんの事、松永が気付き始めてるいるんですよね……」
俺の一番の気がかりはそこだった。知ったらアイツ、絶対バラしそうだし。
「松永さんが? 今日、彼女からやたらと視線を感じると思っていたけど、そんなことを気にしていたの?」
「そうんなことって……アイツ、結構周りを観察してますし、指摘も鋭いんですよね……適当に誤魔化してますけど、いつまで持つか……」
すると皆藤主任は可笑しそうにクスクス笑い出す。
「多分、松永さんが気にしているのは別のことよ」
「はあ……別のこと、ですか……」
「ええ、だから実愛のことはそのまま適当に誤魔化していてもらえれば大丈夫だと思うわ」
本当に大丈夫なのか? と思ったが、まあ、皆藤主任が大丈夫だというのなら大丈夫なのだろう。なんか引っかかる気もするけど。
少し釈然としない気持ちを流し込むように、キールの最期の一口を飲み干した。
「あ、ちょっと仕事の話をしてもいいかしら?」
そう言って皆藤主任はソファーから立ち上がる。
「仕事の話、ですか……」
こんなにもプライベートモードに浸っていたので、今さら仕事の話と言われも乗り気にはなれない。さすがにこの空間に馴染んできたせいか、そんな気持ちが態度に表れてしまった。
「そう言わないで。今日、貴方を誘ったのは、この話をするためだったんだから」
「実愛ちゃんが紗月と夕飯を食べたかったから、じゃなかったんですか?」
「そ、それは……あくまで口実のひとつよ……」
実愛ちゃんの件は否定せず、口ごもりながら皆藤俊は言う。まあ、俺を誘った理由が明確になって、ちょっとスッキリした気分になった。
皆藤主任は少し乱暴に一枚の紙を俺に渡す。
「なんですか、これは?」
「ちょっと目を通してみなさい」
俺は紙を受け取り、それに視線を落とし一瞥する。内容は仕事でのスキルアップが望める研修の案内だった。
「内容は中堅向けだから、橘君には少し早いかもしれないのだけれど、私は充分対応できると思っているわ。どう? 参加してみない?」
これは勤務年数以上の働きを期待されていると受け取って良いのだろうか。だとしたら、それはとても喜ばしいことだ。俺は再び案内に目を通し、詳細を確認する。
日時は二月の中旬で連続した二日間。平日か。問題なのはその開催場所だった。
「神戸ですか……遠いですね……」
「そうね、研修だけど出張扱いになるわ。もちろん交通費も宿泊費も出るから安心して」
皆藤主任はそう言うが、俺が心配しているのはそこじゃない。
紗月をどうするかだ。
一日とは言え、さすがに一人で置いておくわけにはいかない。叔父さんの家に預けてもいいが、そこから一人で小学校へ通わせるのも大変だ。じゃあ逆に千夏や千冬に来てもらうというのはどうだろう? いや、あいつらも学校があるし、なかなか難しそうだ。
「気持ちは嬉しいんですけど、参加することは出来ません。紗月を一人にするわけにはいかないですから……」
「橘君ならそう言うでしょうね。だから言ったでしょう? この話をするために貴方を家に誘ったんだって」
「えっと……どういうことですか?」
まるで話をするためだけではないような言い方に俺は首を傾げる。
「これは提案なのだけど、この日、私に紗月ちゃんを預からせてくれないかしら?」
「え!? 紗月を……ですか?」
「ええ、それなら紗月ちゃんは一人にならないし、橘君も安心して研修に行けるでしょう?」
「まあ……それはそうですが……」
確かにここからなら、通学の心配は一切ない。紗月の様子を見る限り、皆藤主任宅にも慣れ親しんでいるから安心も出来る。
「ただ、口で言われても、預ける先がどんな環境か知らないと不安になると思ってね。だから、橘君にも実際に来て観てもらおうと思ったの」
なるほど、今日の経緯にはそういう目論見があったわけか。さすがとしか言いようがないほど大成功じゃないか。今の俺には、この話を断る理由が見つからない。
「そうですね。とりあえず返事は、紗月に相談してから――」
「決めるのは紗月ちゃんじゃない。貴方よ」
皆藤主任は俺の言葉を遮る。
ああ――そうだった。紗月はあの日、俺の邪魔になりたくないと言った。俺が紗月の存在を気にして、研修に行くのを迷っていると知ったらなんて思うだろうか。
紗月にあの時の感情を、少しでもチラつかせるようなことはしたくない。何より今は、周りのサポートは万全だ。最初から、迷う必要すらなかったんだ。
「では、ご厚意に甘えて、研修の件と紗月の事、よろしくお願いします」
俺は深く頭を下げる。
「ええ、任せてちょうだい」
皆藤主任は優しく微笑んだ。
「――って……え!? もうこんな時間ですか!?」
「あら、本当。もう十一時過ぎているのね」
気付くと時刻は十一時二十分。こんなに長居するつもりはなかった。皆藤主任との会話も一区切りつたところだし、ここは早々に帰宅しなくてはいけない。
「そういえば紗月たちは……?」
「実愛の部屋じゃないかしら?」
皆藤主任はリビングを出て廊下を歩く。俺も静かにその後を付いて行った。そして玄関から入ってすぐ右側にある部屋のドアをノックする。少し待っても反応が無いので、皆藤主任は部屋のドアを開けた。
「あら?」
「どうしたんですか?」
ドアを開けたまま立ち止まる皆藤主任の脇から部屋の中を覗く。
部屋の中に居る紗月と実愛ちゃんは寝てしまっていた。俺たちが最初にやっていたゲームを持ちこんでやっていたようで、二人共ゲームのコントローラーを握ったままだった。ゲームをやったまま寝落ちしてしまったんだろう。
ああ……俺も学生の頃は、友達の家に泊まりがけでゲームをしていた時とか、よくこの状態になったよな。そんな風に懐かしく思うも、さて、この状況はどうしたものか。
「今日は泊っていく?」
「紗月を置いて帰るのは、さすがに申し訳ない気が……」
「橘君も一緒に、っていう意味よ」
「いや、帰ります」
まるで条件反射の様に即答で返す。今日はもう精神的に疲弊しきっているので、このまま泊るかどうかは自分の中で議論する余地もない。
「ほら、紗月。帰るぞ」
「ん~~~むにゃあ……」
軽く揺すって声を掛けるも、紗月は目を覚ましそうにもない。
「あまり無理に起こしたら可哀想よ」
「そうですね……このまま連れて帰ります」
寝ている紗月の上体を起こし、着てきたコートに袖を通す。そしてそのまま、肩の上に担ぎあげた。
「まさか……それで帰るつもりなの……?」
「ええ、歩ける距離ですし、大丈夫だと思いますよ」
「う~~~~~ん……」
「紗月ちゃん、苦しそうな声出してるし、せめておんぶにしてあげた方がいいんじゃないかしら……」
苦しそうなのもそうだが、絵面があまりよろしくないことに気付く。皆藤主任も引いてるようだし。一旦紗月を降ろし、おんぶの形に背負い込んだ。
それから皆藤主任に今日のお礼の言葉を述べ、心配そうに見送られながらマンションを後にする。
静寂に包まれた夜の街を歩く。冷え切った空気が頬に触れる度、突き刺さるような痛みにち近いものを感じた。
この時期の冷え込みはやはり厳しい。雨雲でもあろうものなら、雪が降ってもおかしくないだろう。
そんな中、約二十分の距離を紗月をおぶったまま帰るのは決して楽ではなかった。かといって皆藤主任のところで泊る、という選択肢は絶対なかったけど。
楽ではないけど無理でもない。疲れてきたら紗月を降ろせばいいだけの話だ。
「なあ紗月。そろそろ降りないか?」
家までの距離を半分程進めたところで声を掛ける。しかし紗月からの返事はなかった。
「起きてるのは知ってるんだよ。寝ている奴はそんなにしっかりしがみ付かないからな」
身体を支えている腕の負担は意外と軽い。多分、紗月はマンションを出る頃には起きていた。起きているなら自分から降りると言いだすと思っていたが、いつまでもこのままなので、こちらが先にしびれを切らした形だ。
「……これは、私達を放置していたバツです」
「いや、悪い。ちょっとハメを外し過ぎた。ちゃんと構ってやれなくてゴメンな」
「ホントだよ。もっと静流さんと話したい事あったのに……」
「はあ……すっかり懐いちまったもんだな」
「うん。やっぱり、お母さん、っていいよね」
「……そうだな」
そう一言だけ返し、俺は黙って歩き続けた。
紗月の言葉に込められた意図や想いを模索する。
姉と皆藤主任は似ても似つかない。容姿や性格、どれをとっても共通する部分は乏しいように思う。だから紗月は、皆藤主任にかつての母の面影を重ねているのとは少し違う気がした。
特に深い意味もなく、ポッカリ開いてしまった母親というポジションに、懐かしさと愛おしさを感じているのかもしれない。
しかしそれは、俺では絶対埋め合わせることの出来ないポジションだった。そのことがなんだか悔しくて、行き場のない、やる瀬ない感情が込み上げてくる。
「急に黙っちゃってどうしたの?」
「紗月が重くて疲れたんだよ」
「う~~~……もうちょっと……このままがいい……」
「……ったく、しょうがねえな」
紗月の温もりを背に感じ、歩き続けていた身体は熱を持つ。
いつの間にか、冷たい空気が包む寒さなど感じなくなっていた。
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