青春ブタ野郎はプチエンジェル後輩の夢を見ない

井守千尋

青春ブタ野郎はプチエンジェル後輩の夢を見ない

煌めきは一度きりの方が良いものだ。


夏の海。多くの観光客で賑わう湘南、江ノ電で江ノ島や由比ヶ浜、長谷に向かう目的はたいていが海だ。梓川咲太は、とうていそんな混雑したエリアに近づこうとは考えたことはなく、お盆の期間は部屋でのんびりと宿題を解いたり他愛のないおしゃべりを妹のかえでとしたりして過ごしていた。涼しくなる夕方には窓を開け放ち、スイカを切って夏を満喫していると、桜島麻衣から電話があった。

「こんばんは麻衣さん」

「夕涼みでもしていたのかしら?」

「良くわかりましたね」

麻衣が咲太のマンションの前を先程通ったら、窓が開け放たれカーテンが靡いているのが見えたのだという。

「と言うと、今帰りですか」

「ええ。撮影でね」

ほんのひと時、こうやって咲太と麻衣は電話口で話をする。まだなったばかりの恋人同士、会えば求め合いたくなるのが自然であり、歯止めが効かないかもしれない。だからこうして、電話で距離を作っているのだ。

「どこで撮影だったんですか」

「七里ヶ浜でよ。しかも水着を着たわ」

「えっ」

まさかの、高校の裏の砂浜だという。観光シーズン真っ只中なのに、わざわざ貸し切ってのプライベートビーチ。麻衣はそれだけは譲らなかった。水着に抵抗を持つ彼女だったが、大人になったので妥協点だった。さすがに不特定多数に肌を晒すのは許せなかったのだろう。

「でも、肌を出すなんて」

咲太は不思議に思う。年中黒いストッキングを履いて脚の日焼けを恐れる麻衣が、そのような格好を許可するなんて。電話が終わったあとも首を傾げてしまうばかりであった。

見たかったなあ、麻衣さんの水着、と言ったがそれはかなわない。撮影はすべて完了済みで、今からではどうにもならないみたいだ。あまりにもレアな光景が見られないのは残念だなあ、と思った瞬間。


咲太は夜の藤沢の自宅ではなく日中の七里ヶ浜に立っていた。

砂浜から返る熱、波の音潮の香り、見慣れた景色は確かにここは七里ヶ浜だと教えてくれた。だが、日中なのに誰もいない。

「それなら、翔子さんは……いないか」

波の音だけが聞こえる。よく遠くを見れば、江ノ島の方には人の気配がわかる。人払いしたような、人工的な閑散だ。

「あら、咲太じゃない」

驚いた顔で、麻衣が姿を現す。

「麻衣さん?」

薄桃色のショートパンツの上から白いパーカーを羽織っている麻衣。その姿が目に焼き付けられた瞬間、咲太は自身のマンションに戻っていた。

ほんの数秒、七里ヶ浜にいた気がしたが、あれは果たして幻想なのだろうか? 額に張り付いた汗の感触を確かめるが、濡れた感じはしなかった。

「そうだ、あれって麻衣さんの撮影の……」

リビングに戻ると、受話器をつかんで麻衣を呼び出す。1回、2回……。

「はい、桜島麻衣です」

「麻衣さんですね。咲太です」

「知っているわ。携帯電話だもの」

「あの、変なことを聞きますが、撮影した時に僕がいませんでしたか?」

「は……、咲太が?」

要領を得ない説明しか思いつかない。だから、一言謝って電話を切るしかなかった。


翌日も、お盆なので藤沢の街が大きく雰囲気を変えていた。学生やサラリーマンの姿もない。そろそろ読書感想文を書くことを考えないと、と駅前にある大型家電量販店に併設された書店に向かった。エスカレーターに乗って、上に向かう最中、突然目の前が明るくなった。エアコンの効いた屋内から、突然浜辺に瞬間移動。昨夜と同じ七里ヶ浜だったが、少し風景が違う。真っ白な砂浜は踏み荒らされ、鉄骨のようなものや、コード類の撤去を行っている最中だった。

「あら、咲太じゃない。関係者以外立ち入り禁止よ?」

昨夜見た白昼夢と同じく、ハーフパンツとパーカーだが、手には大きなバスタオルを握っていた。シャワーから出た後に見えた。

「麻衣さん、泳いだんですか?」

「それは……」

答えが返ってくる前に景色が切り替わった。危うく躓きそうになる。そこは、書店のエスカレーター降り場だった。


「おかしい!」

「そう言われても、本当に白昼夢でも見ていたんじゃないか?」

「そうかな」

「そうだろうさ」

電話先の双葉理央は、咲太の相談を一蹴した。確かににわかには信じがたいが、それでも思春期症候群ではないかという仮説を立てることができるのだ。だからこそ、理央には信じてほしかったのだが……。

「だって、時間を戻すという古賀朋絵との話は終わったのだろう?」

「そうだよ」

「じゃあ、彼女が時間を戻したとも思えない。桜島先輩の水着を見たいだけの梓川の妄想だというのがいちばんしっくりとくる説明じゃないだろうか?」

その通りだと思った。理央も、何らかの理屈をつけて返そうとはしたのだろうが、いかんせん学生は最も休息をとっているであろうこの時期に、思春期症候群とは考えにくかったのだろう。

再び、咲太は七里ヶ浜に投げ出される。


繰り返し砂浜に放り出されること27回。4日間でそれだけの妄想?を見続けたが未だに水着にはたどり着けなかった。咲太は、馬鹿だとはわかっていたが、後輩の携帯電話に連絡する書く後をした。

「あれ、先輩じゃん。どうしたの突然。ラインでもしてくれればよかったのに」

「古賀は僕がスマホを持っていないことを知らなかったっけ」

「そ、そうだったと」

「単刀直入に、古賀、おまえは僕の時間を巻き戻したりしていないか?」

「……えっ?」

「だよな」

「やっとわかったんだね」

受話器を持って、小悪魔的なスマイルの後輩が目に浮かぶ。

「なんか、先輩の反応が薄かったからさ。連絡くれるまで続けてみようって思ったの」

「そりゃあ、だって妄想かもしれないって思ったからな」

「ひどいなあ。なんども桜島先輩の水着姿を」

「見ていない」

「うそっ?」

27回タイムスリップさせられて、27回ともに麻衣の水着を見ることはできなかった。朋絵は、咲太が気付いても無視しているとばかり思っていたのだが。

「麻衣さんのガードはとんでもなく固いんだ。それよりどうして、こんなことを」

「……お礼だもん」

プチデビルとの仮の恋人を過ごしてくれたお礼のつもりだった。麻衣の水着姿を見せてくれれば、咲太は喜んでくれると思ったのだろう。咲太からしてみれば天使のようだ。

「それなら古賀、おまえの水着の方がいいな」

「えっ? あたし?」

「だって麻衣さんはカメラの前で水着だったんだ。古賀なら僕だけの前。しかも恥じらってくれるだろう?」

「な、なにを……、ばかちん!」

咲太の冗談が終わる前に、目の前が明るくなった。


江ノ電江ノ島駅から続くメインストリート・すばな通り。そこに、飛ばされていた。既視感のある光景。学期末の放課後、朋絵とデートした道だった。遠くに、朋絵と咲太らしき姿が見える。

「あーあ、浮き足立ってるよ情けない」

自分を客観的に見る機会はあまりないので、滑稽に見える。

「あれ…………?」

人混みをかきわけるように、咲太と朋絵からつかず離れずあとを追う麻衣の姿が見えた。

「……」

真剣に尾行する麻衣。額には汗を貯め、探偵のようである。直後、自室の電話前に戻された。朋絵の電話はすでに切れており、今みた光景についても何も聞けなかった。


「麻衣さん、本当に水着着たんですか?」

「着たわよ。でも、その上にパーカーを着たから」

「着たから?」

「七里ヶ浜で水着は露出していないわよ」

麻衣の水着は、まだ誰も見ることは無さそうだ。それがわかると、咲太はほっと胸をなで下ろした。

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青春ブタ野郎はプチエンジェル後輩の夢を見ない 井守千尋 @igamichihiro

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