3-3 真理は人間の成長レベルに応じて理解できる
よむ子:でも、人生のこんなに大切なこと、みんなが知らないのはどうしてなの?
A:3つ理由があるよ。
1つは、前にも言ったけど、真理はその人間の成長レベルに応じて理解できるということ。
霊性が啓発されないと、こういう根源的な真理は感知できない。
しかし、それを説いている人は、何人もいるよ。マスター(師)と呼ばれる人たちは、それを説いている。
よむ子:イエスキリストやお釈迦さんね。
A:そう。他にもたくさんのマスターは世の中にはいて、それを説いている。
ところが、聞く気のない人にとっては、雑音でしかないんだよね。
よむ子:そんなもの……。2つ目は?
A:新しい人生にするためには、それまでの記憶は全て忘れる必要がある。
よむ子:新しい絵を描くには新しいキャンバスを、というあれね。3つ目は?
A:真理を知らなくても、無意識のうちに、神に帰るというゴールをみんな目指している。
だから逆に、知らない方がいいこともあると、『神との対話』では言っているよ。
よむ子:どうして?
A:知るタイミングが良くないと、真理を探すことに夢中になりすぎて、現実生活をないがしろにしてしまう危険があるというんだ。
そうなると、現実生活で神性を体験しているというせっかくのチャンスを、のがしてしまうことになるんだよ。
よむ子:“植えるのに時があり”ということね。
A:いいことばを知ってるね。そのとおりだよ。『神との対話』では、「生徒の準備ができたとき、教師が現れる」と言っている。
人生や死については、いつか機会があればまた詳しく話すことにして、そろそろ終わりとしようね。
最後に、『神との対話』で死について書いてあるところを、抜粋してみるよ。
┌--《神との対話3-P83》
死ぬことはできない。あなたがたは、生命そのものだ。生命が生命でなくなることはできない。したがって、死ぬことはない。
では、臨終のときに何が起こるか……生きつづけるのだよ。
だから、「死んだ」ひとの多くは、自分が死んだとは信じられない。死を経験しないから。それどころか、自分を非常にいきいきと感じる(ほんとうに、いきいきとしているからだがね)。
「自己」には身体がぼろぼろになって、じっと横たわっているのが見えるかもしれない。だが、「自己」はあらゆる場所を飛びまわれる。文字どおり、空中から部屋を見下ろす経験もする。
└----------
A:空中から部屋を見下ろすというのは、よく臨死体験者がいっていることだね。彼らは部屋の上から自分を見下ろすって、いってるんだよ。
インターネットには、スピリチュアリズムの無料サイトがあって、そこには、死ぬ瞬間のことや死の直後の様子がくわしく書いてあるよ。(スピリチュアリズム入門第2部第2章「死の瞬間と死の直後の様子」http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sp-introduction1/sp-introduction1-2_02.htm)
それにもう1つ、死ぬ時に起きることで、おもしろいことが書いてあるんだ。
┌--《神との友情-上P114》
この体験は死の直後に、あなたが身体から離れたときに起こる。
すべての魂は、じつに興味深い方法で「ひとつになるとき」を体験する。終わったばかりの人生のあらゆる時を、もういちど味わうのだ。
それも、自分自身の立場だけでなく、関係するすべてのひとの立場で。すべての考え、すべての言葉、すべての行い、すべての経験を関係者すべての立場で、自分がほかのひとであるように体験する。実際にそうなのだから。
自分もほかのひとも一体だ、と体験的に知るのだよ。そのとき、「わたしたちすべては一体である」という言葉が概念ではなく、体験になる。
└----------
A:身体から離れた時(死)、魂はその人生で体験したことを、自分だけでなくそれに関わった全ての人々の立場で、その人生を振り返るというんだ。
これと同じようなことは、臨死体験者も語っていることなんだよ。
〈つづく〉
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