スクールカースト
深谷根木
学校の魔女
汚れが手を伝って、体を伝って私の心に伝播する。悪意を触媒にして、私の心をむしばむ。私はひたすらに手を動かす。机にある落書きを落とすために。何も考えずに、周りの目なんて気にしないで。私は何にも気にしてませんよ。傷ついたりしてませんよ。あなたたちがやったことは骨折り損だよ。って感じに。こんなに落書きして楽しいんですか? 小学生じゃあるまいし、ダサっ。って感じに。そう思い込んでみる。ただの強がりだけど。
私が学校で使う机はいつだって汚れている。油性のマジックで落書きは書いてあるし、カッターナイフや彫刻刀で削られてたりする。皆がなんでこんなことをするのかわからないし、私が何かいけないことをしたとも感じてはいない。しかし私は、明らかに苛められていた。
なんでこんなことになったのか私にもわからない。もちろん心当たりがないわけではない。先月に私宛に届いたラインを既読スルーしたからかもしれない。たまたまクラスで人気のある男子と一緒に帰ってしまったからかもしれない。単に私の見た目が醜いだけなのかもしれない。私のテストの成績がいいから嫉妬したのかもしれない。もしかしたら、私の髪型がダサいからかもしれない。
理由なんて探せばいくらでもあった。だけどそれらは、いじめる理由としてはあまりにも不十分なように思えた。少なくとも私はそう思った。だって、こんなことは誰にでもあることだし、これ以上の悪いことをしている人だってきっといる。だったらその人を標的にするべきじゃないのか。
なんて言いつつも内心では私が悪いことは理解していた。私が弱いからいけないのだ。いじめられて、からかわれて、嫌で嫌で仕方がなくなっても、止めてと言えない。
それでも、こんな状況になっても、まだ私は心の底で普通の生活がきっとできると思っているのだ。こんなに友達もいない、味方もいないような状態でも、きっといつか普通の友達ができて、普通にどこかに行って遊ぶのだろうと本気で信じている。
そうした幻想に浸りながら私は生きていく。
私はその日も登校した直後に机を磨いた。HRの前までに綺麗にしておかないと先生にバレてしまうからだ。なんで先生にバレるといけないのかということについては、明確な理由はない。むしろ、僕自身でも分からない。
それは私の少ないプライドを保つためなのかもしれないし、先生にバレないことでで面倒なことを避けるためかもしれない。ニュースとかでよく「なんでいじめに気が付かなかったんですか」とか責められている偉い人を見かけるけど、あれって要するに苛められっこに伝える気がないんだと思う。それについては共感できた。私も同じように隠してしまうから。
ただ、私は一心不乱に机を雑巾で磨いた。私の手は雑巾の匂いがついていて、少しふやけていた。
周りの人間は数人が笑っていて、残りは軽蔑の目で見つめてきた。いじめなんてそんなもので、いじめっ子は数人なのだ。残りは、便乗勢だ。なにも考えていないしいじめに対して意思もない。ただ、乗っかっているだけ。それなのに数は物を言うというか、はっきりとした圧迫感がそこにはあった。
私は雑巾をしまって授業を受けようとした。
「ねぇ、臭いし、汚いから、近寄らないでくれない。制服に匂いがついちゃうんだけど」
「はぁ、もう学校に来てほしくないだけど。消えてくれない」
水びだしのままで放置された雑巾をつかってるんだから臭いに決まってるじゃない、そんな言葉を飲み込んだ。言ったってよかったと思う。言ったところで何も変わらないのだから、言ったほうが良かったんだ。
でも、そうとわかっていても言えなかった。声なんて出なかった。
私はいつだってそうだ。いつだって何も言えない。勇気が出ないだろうか、怖いのだろうか。それなら、一体なのが怖いのだろうか。苛められることが怖いのだろうか、クラスから孤立することが怖いのだろうか、親の悲しむ姿が怖いのだろうか。それとも、何もできないと分かってしまうことが怖いのだろうか。
私に生きている価値などあるのだろうか。命があるだけ無駄なんじゃないのか。そう思いながら水道に向かった。
水道から流れてくる水を見て、私は人間として生まれさえしなければこんな思いはしなくて済んだのにと思った。こんなふうにすぐに生まれてすぐになくなってしまいたかった。
私は雑巾を絞ったあとで教室に戻った。
教室では先生がHRを始めていた。
「あぁ、櫻井、やっと来たか」
私は先生に謝ってから席についた。
「櫻井、お前落書きしたんだってなぁ」
落書き、を、した? された、のではなくて。
「あの、先生。私は何もしていないと思うんですけど」
「なに言い訳してるんだ。お前が勝手に――」
お前が勝手に書いたんだろう。そう先生は言った。私はこのときに先生が全くいじめに気づいていないことを理解した。まぁ、私が隠しているんだから気が付かなくて当然なんだけど。
「すみません」
私は席についた。
かばんの中を開けて教科書がないことに気がついた。もうあと少しで授業が始めるのに見つからない。そのときに私は周りが笑っていることに気がついた。
そうか、隠されたのか。
私は教室内を探した。教卓の中、カーテンの裏、掃除用具入れのロッカー。結局正解はゴミ箱の中だった。私の教科書はホコリまみれになっていて、端の方には牛乳でできたようなシミがこびりついていた。笑い声が私に突き刺さった。私には、どうすることもできなかった。
私は授業中が一番楽しい。先生の目があるから大きなことはできないし、席を立ってはいけないから何人もの人が一斉に苛めてくるようなこともない。
だから私はいつもこの時間中だけは先生に感謝する。何も気がついていない鈍感な先生に感謝をする。
そんな時間が過ぎて給食の時間になった。私が一日の中で一番に恐れている時間だ。
うちの学校では、全員手を洗いに行かないといけない。みんなトイレに行って手を洗う。それはもちろん私も例外ではない。しかし、私はいつも十分以上かかってしまう。
私が並んだ列の人が何分もかけて手を洗うのだ。本当にしっかりと洗う。アライグマかってくらいに。なぜって、私を、教室に戻さないためだ。
そして私が手を洗い終わる頃には皆は席に座って準備を終えている。私は席についた。私の机には給食が置かれていた。
クラスのルールとして、全員の給食が揃っていなければ食べ始められない。その上誰かの給食がないと先生にバレてしまう。だから、私の机にも一応は乗っている。
皆が食べ始めたのを確認して私は食べ始めた。まず、牛乳を飲もうとした。そしたら、下から牛乳が滴ってきた。よく底を確認すると小さな穴が空いていた。どう見ても人為的なものだった。中の牛乳が半分以上無くなっていることを確認して、私は牛乳を飲むのを諦めた。
なにか喉を潤したいと卵スープを飲むことにした。私は特になのも考えずにそれをすすった。
「ゲホッゲホッ」
私の口内に異物が流れ込んできた。苦い、ザラザラする。
勢いで口の中のものを出した。出てきたのはトイレットペーパーだった。スープをよく見ると卵の代わりに入っているのはスープを吸ってふやけたトイレットペーパーだった。こうして給食は喉がカラカラの状態で終えることになった。
昼休みの時間は校内を散策した。校庭では男子たちが騒がしく遊んでいるし、教室にいたら女どもの餌食になってしまう。体育館の裏側に当たるところに行った。そこのところにはちょうどベンチがある。私はいつもそこに座って空を眺める。学校にいる時間、ずっとここにいたい。そんな気分になった。鳥が空を飛んでいた。自由に飛んでいるその姿を見ていると、なぜだか急にその鳥を憎らしく思うようになった。私はとうとう鳥なんかに嫉妬してしまったようだった。
なんかのん気に飛んでるな。はやぶさとかにその羽食いちぎられないかな。とか考えていた。多分その時、私は随分と暇だったのだろう。
チャイムがなって教室に戻った。
昼休みのあとはLHRがある。今日に何をやるのかはまだ知らされていない。季節的に文化祭の準備だろうか。それとも体育祭の種目決めだろうか。どちらにしても私には億劫な行事に変わりはない。静かに自習にしてくれればいいのに。
教室に戻るとクラスメイトの半分と先生がいた。私の机は相変わらず油性ペンの残りがこびりついていた。それに座って授業が始まるのを待った。
「ではLHRを始めます」
先生はそう言ってから教室のモニターにタブレットの画面を映し出した。それは座席表だった。
「今日は席替えをします」
クラス中が騒音に満ちた。皆が笑っている中で私は落胆の色を隠せなかった。
席替えなんて、危険地帯に飛び込むようなものじゃないか。今の席はいじめをしてくる主犯の生徒が近くにいないから授業中は安全だが、席替えをして囲まれでもしたら、私の休み時間はぐんと減ってしまう。
「センセー、センセー。どうやって決めるんですか」
「くじ引きです。出席番号順にくじを引きに来てください」
そう言われて皆教卓に集まった。私も少し遠いところからそれを見守った。
私の主席番号は三十一番だ。男子が引き終わったあとに女子が引く。
いじめの主犯格は私のあとに引く。私がくじを引く番になった。息が止まりそうなくらい緊張した。
窓側の席の一番後ろになった。普通の生徒だったら先生から見えないから喜ぶだろうが、私に限っては先生に見られないことは好ましくないとこだった。いじめを抑制することができない。つまり、苛められても分からない。
私は想像しただけで吐きそうになった。恐怖で潰れそうだった。目の前が真っ白になるくらい、頭の中がいっぱいだった。
「やったー! 席隣だよ、隣!」
教卓でそんな声がした。いじめっ子が何やら騒いでいるようだった。私は振り返ってその姿を見た。
あいつらは前の方に座りながら喋っていた。つまり、彼女たちの席は私の対偶にあたる廊下側の前だ。
今日はお母さんに頼んで赤飯を炊いてもらおうと思った。それくらいに救われた。
次の日の朝に昨日の夕食の残り物である赤飯をおにぎりにして食べた。私が起きたときには両親ともに出勤してしまったようだった。私は一人で黙々とおにぎりを食べた。テレビをつけるとニュースをやっていた。何やら東北の方でいじめのせいで自殺した高校生がいたらしい。私にとってその話題はあまりにも生々しすぎるので別のチャンネルに変えた。朝からガン萎えだった。
いつも玄関で立ち止まってしまう。なぜなのか自分でも分からない。学校に行きたくないのはその通りなのだが、行かないといけないことくらい分かっている。
学校に行くといつものように私の机は書道の練習に使われたように真っ黒だったので、雑巾を使って清掃した。席替えをしてもこんな被害を受けるのなら、昨日の私の喜びは何だったのかと言いたい。まあ良い。前の席よりかは幾分過ごしやすくなった。周りに地雷がないということがこんなにも心に余裕を与えるのだと日本にいながら知った。
一限目は社会の時間だった。何やら日本の古い文化についてグループで話し合いをするそうだ。当然のように私には友達がいないので、椅子の上に座ったままの状態で待機した。何もしないというのも恥ずかしかったので何かすることにした。
そう言ったところで授業中に何かするわけにもいかないので、消しゴムにシャープペンシルで穴をあけるという作業をすることにした。何でこんなことをしたのか分からないがこの消しゴムに私のストレスをぶつけたかったのかもしれない。
「お前、何やってんの」
いきなり声をかけられて私は一瞬身じろぎをした。声をかけてきたのはとなりに座っている男子、菅原だった。
「えっと」
私はなにも答えられなかった。改まって質問をされると何をやっていたのか自分でもわからなかった。
「五芒星のようなものを書いていたから悪魔でも呼び出すのかと思った」
五芒星、というのがなんなのか私は知らなかったが消ゴムを見てみるときれいな星形になっていた。
「私は別に意識してこうなった訳じゃないんだけど」
「意識しないで書いたの。スゲーな。手が勝手に動いたってことだろ。安倍晴明みたいだ」
安倍晴明、というのは私は聞いたことがあった。しかし、それがいったい誰なのかわからなかった。
「ねえ、安倍晴明って誰だっけ」
彼の口から答えがこぼれかけた。
「安倍晴明ってのは」
「よし、じゃあ授業をやめにする」
しかし、私がその答えを聞き取る前に、先生が終わりの礼をするよう日直に頼んだ。その一言で私は現実世界に戻ってきた。そしてそのまま意識を完全に元に戻すために急いで前を向いた。
現実世界に戻る前にいた場所は一体どこだったのか。それは分からない。私が同じ年の生徒と会話をしたのは中学に入って以来、今日が初めてだった。だから、衝撃だけが私の心を満たした。
私はその日も何の変わり映えもなくいじめられた。変わった事といえば給食の時に食事を邪魔されなくなったことくらいだろうか。席が離れたおかげで何かされるようなことが無くなった。もちろん手を洗って席に座るのは一番遅いけど。
下校するときになっていきなり菅原が声をかけてきた。
「なあ、うちに来てくれないか」
突然の誘いだった。しかも、相手は全くと言っていいほどの他人だ。クラスメイトだけどほとんど何も知らない。
「どうして」
「聞きたいことがあるんだよ。どうしても来てほしい」
私は基本的に知り合いに誘われた時には言い訳を言って帰ってしまうような性格をしているし、少なくともこの場合に限って言えばそのような行為が好ましいことくらいは私にだって分かった。
「いいよ」
しかし、私はそうはしなかった。何でそうしないかと言われればそれにはあまりちゃんとした理由はない。多分、このタイミングで行かなかったら私は何も変われないと思ったからかもしれない。これで彼の家に行かなかったら、いじめられ続けるとか思ったのかもしれない。そんなの行ったって行かなくったって同じなのに。
私は美化委員の仕事を終えてから急いで校門まで走った。そこには菅原がいた。菅原は私を見つけると、何を言わずに私の家の方に向かって歩いた。目の前の菅原を見るたびに、私は今日の会話を思い出した。すると、だんだん私の体が軽くなっていくように感じられた。私の心の中にあるものは、もう衝撃だけではなかった。
しばらくすると菅原はいきなり止まった。
「ここが俺の家」
菅原の家は周りの家とそっくりに作られていて、建売感が満載だった。菅原は親の許可もとらずに私を家の中に入れた。
「ねえ、お母さんに私のことを言わなくてもいいの」
「どっちとも働いてる」
つまり、家には彼ひとりであり誰かの許可を取ることができないという事だった。
菅原は玄関の鍵を開けると、私が入ったことを確認して鍵を閉めた。私はかぎっ子になったことが一度もなかったのでその風景が大人びているように見えた。
菅原の家は新築らしく建物が内側も外側も真っ白で大きな窓が並んでいた。窓からは私たちの学校が見えた。私の心に針が刺さったようだった。
「じゃあこっち」
菅原は私のことを手招きした。窓から日光が射しているいるから室内は蒸し暑かった。菅原は階段で二階まで行ってから、目の前のドアを開けた。
「入って。いきなり呼び出したりなんてして悪かった」
私は言われるがままに部屋の中に入った。部屋の中には今までの人生の中で見たこともないような異物みたいなものが並んでいた。時代の流れに取り残されたかのような土偶や戦国時代を思わせる刀、西洋の博物館から買い取ったのか鎧のようなものまで置かれていた。
「これ、何なの」
私は想像していた男子の部屋とのギャップで、頭の中の常識というのもが一気に私の体から抜けたような感覚に襲われた。
「かっこいいだろ。本物なんだ。めちゃくちゃ高くて、大変だった」
「こんなものいつ使うの」
私が質問をすると菅原はベッドに座った。だから私は勝手に勉強机にあった椅子に座った。それに対しては菅原は何も言わなかった。
「何時って、いざって時だろ。自分に何かあって、そういう物が必要になった時に使えるように」
「武器が必要になる事って日本じゃあんまり無いんじゃないかな」
「そんなことないよ。きっといつか戦いは起こるんだ」
そんなのありえない。思ったけど言わなかった。
菅原は私に近づいてきたかと思うと机に会ったペンとメモ帳を取った。菅原はそれを私に渡した。
「今日かいたものを書いてくれないかな」
「書くって、何を書くの」
「櫻井が今日消しゴムに書いてたものだよ」
今日消しゴムに書いていたもの。そう言われて私は今日の会話の内容を思い出した。
「たしか五芒星だったっけ。菅原が私の消しゴムを見て言ってたやつ」
「そう五芒星。それを櫻井に書いてほしい。そのために今日来てもらったんだ」
「何でそんなことを私にしてほしいの」
「だって、手が勝手に動いたって言ってただろ。どんなものなのかなって思って。そういうのって気になるじゃん」
そう言ったし、事実としてそうなんだけど、でもだから何なの。何で私をこんな家に呼び出してまで書かせたいのか、その理由を知りたい。
「菅原って何。なにかの研究でもしてるの」
「ううん、違う違う。そんなんじゃない。ただ興味があるんだ。そういう普通じゃできないような力があったらって思って」
私には彼の言っていることのほとんどを理解できなかった。ただ私が考えるに、彼は普通のままでいたくないのだ。普通の中学生として勉強して、普通に受験して、高校に入って、大学を出て、働くという事をしたくないのだ。私は彼が変化を求めているということに気が付いた。
「でも私にはなんの力もないわよ」
そんなものがあったらとっくにいじめてくる奴らを倒している。
「分からないじゃないか。もしかしたら、櫻井が気付いていないだけで世界を救えるような力があるかもしれない」
超能力じみたものでタラレバを使わないでほしいんだけど。何で菅原がそんなことを言うのか私には全く分からなかった。私が彼と話をしたのは今日が初めてだし、それまでは顔を知っているくらいの関係だった。小学校も違うし、家が近所だってことも今日初めて知った。
「まあ、いいけど」
まあ、でも、紙に星を書くくらいだったらしてあげてもいいかもしれない。
私はメモ用紙に星を書いた。すると偶然にもすごくうまくかけた。別に私は絵を書くのが上手いってわけじゃない。だから、直線を引くのさえ手こずるなのに今日はなんだかうまくかけて線と線のバランスもよくかけた。
「あ、できた」
そう言って隣を見ると菅原が目をキラキラさせてメモを見ていた。それはまるで、小学生が欲しかったおもちゃを見ているような、それさえあれば世界が救われるみたいな眼をしていた。私がその姿を見た時、なんだか母性本能のような願望が私の中に生まれた。
「すげぇ。やっぱり毎日練習とかしてんの」
「練習。練習って何なの」
「だから、魔法の練習だよ」
「魔法の練習って何よ」
「何って、そのまんまだよ。魔法を使うための練習。まさかやってないのにこんなに綺麗にかけたの」
私はなぜか彼の話を聞いているだけで急に恥ずかしくなってしまった。
「何を言ってるの」
「もしかしたら櫻井は素晴らしい才能の持ち主なのかもしれない」
「意味わかんない」
「だから、魔法を使う才能があって、世界を救えるかもしれないってことだよ」
世界を救う。菅原がそういった事に対して私は、彼は気がおかしいんじゃないかと思った。
「世界を救うって誰から救うのよ。敵なんていないでしょ。そもそも、こんな星をかけたくらいで世界なんて救えない」
「俺にもそれは分からない。いったい誰が敵でどうやって世界を救うのか。でも、櫻井はきっと特別な人間なんだよ」
私は下らないと思った。だから、そんな雰囲気を顔に出した。でも私の心はなぜだか温かかった。まるでゆりかごの中に入っているかのような気持ちになった。
「菅原、私そろそろ帰らないと。ここに寄ってるって親に伝えてないし」
「それもそうか。じゃあな。いきなり呼んで悪かった」
そんなことは謝らないでいいから、私を混乱させたことについて謝罪してほしかった。
「じゃあ、また明日」
私はこの不思議な感情を抑えながら部屋を出た。
次の日に学校に行くと菅原がいた。
私はいつものように机の上を拭き終わると菅原は声をかけてきた。
「なあ、今週の日曜って予定入ってたりするか」
私は何の予定も入っていなかったので、大丈夫だと伝えた。
「それならその日に神田に遊びに行かないか」
「神田なんて何しに行くの」
「本を買いに行くんだよ。古本を買うならあそこが一番いいだろうから」
「何の本を買いに行くの」
「そりゃあ、魔法の本だろ」
「魔法の本? ハリーポッターとかってこと」
「ちがうちがう。魔法モノの物語じゃなくて、魔法の教科書みたいな本だよ」
魔法の教科書。私はその響きに胡散臭さしか感じなかったが、しかしそれを口にはしなかった。菅原はその魔法を本気で信じているのだ。
「でもなんでわざわざ神田まで行くの。ここから二十分くらいはかかるよ」
「ここら辺の本屋だとそんな本売ってないし、新品を買うと意外と高いんだよね。だから古本屋でたくさん本があるところに行くわけだ」
私はその理由に納得して、再度、行くという意思を示した。
「それから、今日の放課後って空いてるか」
「空いてるけど」
「じゃあ、うちに来てくれないか。見せたいものがあるんだ」
私は快く承諾した。今日は本当に暇なのだ。
そして彼はお手洗いに行った。私は席に座って教室を眺めた。前の方で雑音がしている。女の子が話しているのだ。
一人ぼっちで何も無い私と、話し声という要塞に守られる彼女たち。彼女たちは何を思って友達と一緒にいるのだろうか。私のようにいじめられないためだろうか。だとしたら友達とは自分を守るための防具なのだろうか。それって本当の友達なのだろうか。私はそんなものは友達とは思えないけれど。話していて楽しいのだろうか。私は疲れるだけだと思うけれど。
だから、いじめられるのかもしれない。友達なんて所詮ただの他人なんだと、決めつけてしまっているから。私より私を知っている他人なんていないと思っているから。私は小さいころからそうやって考えていた。友達は友達、自分は自分。だから信用してはいけないし、一緒にいることに意味はない。近くにいたらむしろ不快で、邪魔で、鬱陶しいって。だから一人だった。ずっと一人だった。何にも縛られない、楽な人生だと思った。
だけど、そのことを利用する奴が現れた。そこがターニングポイントだったのかもしれない。縛るものが無いってことは守るものも無いのだ。攻撃されたらただ受けるだけ。当然なんだ。
きっといつか普通の友達なんて、できない。
きっといつか普通にどこかに行って遊ぶことなんて、できない。
私は菅原の家にまたお邪魔することになった。今度は親がいたので挨拶をした。優しそうなお母さんだった。この前無断で入ってしまったことがばれて、怒られたらどうしようと思っていたが杞憂だった。
私はこの前と同じように菅原の部屋に行った。菅原は私にしばらく待ってろ、と言って本棚をあさり始めた。私はどうしようもなく暇だったので部屋の物をじっくり見てみることにした。
周りには昨日見た者と同じものしかなかったのでもう少し奥まで見てみることにした。机のしたとか、引き出しの中とかだ。
「何やってんの」
「暇つぶしに部屋あさってる」
「あっそう。ごゆっくり」
相変わらず部屋にはおもちゃだらけだった。剣とか兜とかしかない。
私はゴミ箱の中をのぞいてみた。私は気になって菅原に聞いた。
「ねえ、菅原。何でこんなに包帯とか絆創膏とかがいっぱい捨ててあるの」
「魔物と戦ったから」
「そう。大変なんだね」
「いや、そこはツッコめよ。魔物なんかと戦ったら包帯じゃすまないだろ、って」
私はそもそも魔物がいることにツッコみたいんですけど。当然言わないけどね。
私は菅原の方を見た。注意深く見てみると腕や顔にいくつかの痣があった。それに傷もあった。
「菅原、どっかから落っこちたりしたの。それとも転んだりしたの」
菅原は私の方を見た。探していた本が見つかったらしく本を一冊取り出して、大事そうに手に持っていた。子供みたいだった。
「それ、どういう事だよ」
「いや、痣とか傷とかあるから、どうしてだろうって思ってさ」
「なんでもないよ。気にするようなことじゃない。それよりもこの本を見てほしかったんだ」
彼の手にあったのは『世界の魔女百科』と書かれた分厚い辞典だった。
菅原は私に本を手渡した。
「それの第四章の三節に魔女狩りってあるだろ。それを読んでほしかったんだ」
私はそのページを開いていわれた内容の箇所を斜め読みした。
「私、魔女狩りの意味くらい知ってるわよ」
「だったら、何で魔女狩りが始まったか知ってるよな。恐怖から来る迫害、そして理不尽な制裁、数による暴力。つまりそれは、現代でいう所の、『いじめ』なんじゃないかと思ったんだ」
彼は楽しげに話す。
「何言ってんの」
しかし私は、いじめ、その言葉を聞いただけで身構えてしまった。毎日を悪夢に変える、クラスメイトや先生を想像してしまったから。
毎日のように罵倒の言葉が机の上に並べられていて、授業中は勉強させてもらえなくて、給食はゴミを食べさせられて、休み時間はいつも一人ぼっちで、下校の時に誰かとおしゃべりしたくて、でもできなくて、親に学校が楽しいって嘘ついて、笑って見せて、部屋で泣いて、明日からちゃんとしようって思って、そんな明日は来なくって、もう何が何だか分からなくなって。
「じゃあ、なんなの? なんだっていうの? 私はこのままいじめれないといけないっていうの?」
私がもともと人と違う魔女みたいな変人だから、生まれた時からの劣悪種で邪魔だから、クラスメイトから見て私は下等だから、いじめられて当然だと――
「私は、そんなにおかしい人間なの?」
菅原は最初に少し驚いてから、真剣な目で言った。
「そんなことお前が言うなよ」
菅原は言った。
「いじめがつらいのは知ってる。このままじゃダメだって思ってるのも分かる。だけど、いじめられるってことはそれだけ櫻井を意識せざるを得ないってことでもあるんだよ。いじめなんてマイナスでしかないけど、すごい力があるかも知れないって思ってれば少しは頑張れるだろ」
いきなり興奮しだした私に対して、冷静に言った。だけど本心なんだと分かった。
私の中にあった大きな岩を、持ち上げられた感じがした。
今まで誰もそんなことを言ってくれる人はいなかった。私の気持ちを理解したうえでちゃんと考えてくれる人なんていなかった。
気が付いたら目の前がクシャクシャになっていた。
「ありがとう」
それは自然に出た言葉だった。
その日の昼休みもいつものように体育館の裏のベンチで暇をつぶしていた。私はいつもの席に座って清閑を味わっていた。
そんな時に目の前を菅原が通った。昨日のお礼を言おうとしたが、今いう事でもないと思って気が付かないふりをした。あちら側も私のことに気が付いていないようだった。
私は菅原がどこに行くのか気になったので目で追った。彼は体育館裏のさらに奥に行くようだった。そんなところにまではいって一体何をするのだろう。きっと本当に見られたらまずいことをするのだろう。そう思ったら、なぜか緊張し始めた。立ち入ってはいけないような恐怖感を覚えたのだ。
奥には私の知らない男子生徒が二人いた。菅原はその二人組に近づいた。
すると、目の前で、あるはずが無いことが起こった。菅原がいきなり蹴られたのだ。菅原は蹴られたところを押えて、黙ったまましゃがんだ。するともう一度、今度は別のやつに蹴られた。
「おい、何でこんなことになったのか分かってるよな」
「何で昨日の放課後、俺らに金を渡しに来なかったんだよ」
私にはそう聞こえた。間違いなくそう聞こえた。聞きたくなかったけど、聞こえた。そこから先のことはよく覚えていない。気が付いたら、教室まで走っている私がいた。
その日の授業中に休み時間の件を聞くことはしなかった。なんだかこんな場所で話したくなかった。しっかりしたところで長い時間かけて話したかった。ただ、私の脳裏から菅原が蹴られている描写が消えることは無かった。まるで壊れたDVDプレイヤーみたいにひたすらにその映像が流れ続けた。
相変わらずいつものように菅原は私のことを誘ってくれたけれど、今日は断った。今の私には彼といることなんてできない。
日曜日に神田に行った。菅原と会うためだ。買い物をすると約束していた。この約束は四日前から決まっていたことでドタキャンをするわけにもいかないし、菅原のいじめを目撃してからも時間がたって自分自身の中である程度整理ができたため、私は行くことにした。
予定の時刻の十分前に菅原が来た。駅のベンチに座っている私を見ると「じゃあ、行こうか」と言った。
菅原は通学路のようにスルスルと古本屋まで行った。
「私こんなに本がいっぱいあるところ初めてきたかもしれない」
「ここくらいしか本屋がいっぱいあるところなんてないよ。ちょっとブラブラ見てて。目当ての物を探してくる」
そう言って菅原は私を置いて書店の奥の方まで行った。
私は菅原がいじめられていた時のことをもう一度思いだした。いつもぼけっとしている菅原が、苦しんでいた。私と同じように。誰にも守られずにいた。
今思えば、部屋にあった大量の絆創膏も、体にあったあざや傷も、それによってついたものだったのだと分かる。だからはぐらかした。私に悟られないように。
私に興味を持ったのも同じ境遇に立たされている人間と話したかったからなのかもしれない。私なんかが、ではなく私でなくてはならなかった。
じゃあ、何のために私に魔女なんて言ってきたんだろう。それだけは考えても分からなかった。
「おーい、買い終わったぞ。どっかで昼飯食べようぜ」
菅原がそんなことをいいながらドアの前で立っていた。
腕時計を見ると時刻は十一時半になっていた。
昼食は軽いものにした。私も菅原も小食だし、東京の外食でお腹を満たそうとすると、財布はあっという間に空になってしまう。
「サンドイッチなんかでよかったの」
私は訊いた。
「いいよ。朝飯は食べてきたし。少し食べられれば十分だから」
菅原はそう言いながら卵サンドを口に運んだ。
私はそんな姿を見ながらもずっとさっきの答えを探していた。私に何を求めているのか、そして何で今更こんなことをしてきたのか、菅原は何を考えているのか。私は気になって仕方が無かった。
「菅原、この前の傷って治ったの」
「ん。あ、あぁ、傷ね。まあそんなに大したことは無いかな」
「じゃあ、蹴られた傷はどうなったの」
菅原の顔が真っ白になった。私の顔をじっと見て、だんだんと目が丸くなっていくのが分かる。
「何でそれを知ってるんだよ。見たのか」
「偶然ね。見ようとしたわけでもないし、隠そうともしてない。いつか言おうと思ってたんだけどね。ちゃんとした所で話そうって思ってたらなんか時間経っちゃってて」
「そっかぁ」
菅原は辛そうな微笑を浮かべた。
「なるべく隠そうとはしてたんだけどなぁ」
やっぱり、隠そうとしてたんだ。
「何で、隠そうとしてたの。それと、自分がいじめられてるのに何でいじめられっこの私に気を使ってくれるの」
菅原が口をもごもごし始めた。言いたくないのだろう。でも、私は聞きたかった。どうしても聞きたかったから、粘り強く菅原を見た。
「俺、結構前からいじめられてたんだよ。お前がどれくらいからいじめられてるか知らないけどさ、長い間だよ。つらくて、何とかしたいと思ってた。そんな時にお前がいじめられてるのを教室で見た。俺よりつらそうな顔してて、なんか同情しちゃって、それから気にするようになった。しゃべろうとは思わなかったし、守ろうとも思わなかったけど、同じような苦労をしてる人がいるってだけで、もう少し頑張ろうって思えた」
「じゃあなんでいきなり声をかけたの」
菅原は急に言い渋り始めた。
「言ってよ。ここまで言ったら変わらないよ」
私がそういうとやっと重い口を開けてくれた。
「俺さ、今月中に転校するんだよ」
「は、転校って」
「別にいじめが関係してるわけじゃない。親が勝手に仕事の関係で引っ越す手だけだ。それで、最後に何かしてあげようって思ったんだ。運よく席が隣になったりしたからいけると思った。だから、家に誘った」
「それで何がしたかったの」
「転校する前に、少しでも被害者を減らそうって思った。何か自分にできることがあるかって考えたらお前を助ける事だった。だけど、いじめっ子を懲らしめることなんて俺にはできないから、だからせめて、ポジティブになってもらおうとした」
菅原の発言からだんだんと生気が失われていった。
「何か特別なものさえあればいいんだって思わせたくて部屋に上げた。結果的に魔女って言ったのが効いたっぽくてよかった」
菅原は、気付いちゃったらこの本も意味ないな、と言って、バッグにしまった。『魔女の修行』という本だった。
「何でそんなことをしたの。自分のことを考えてればよかったのに」
「それじゃあ意味ない。だって俺はもう少し我慢すればこの苦痛からは逃げられるから。転校してしまえば、遠くに行ってしまえば、こんなことは終わる。だけど、櫻井は違うだろ。これからもいじめられるんだろ。だから救ってやろうと思った。いじめられっこでも、勝てるって思ってもらいたかった」
菅原の口は力が入っているからなのか震えている。
「だから、櫻井に声をかけた。自分の趣味である魔法を利用して。家によんで魔女のことを話した。直接いじめのことについて話をしないようにした。間接的に元気を出してもらおうと努力した。そしたら、櫻井が自分からいじめのことで興奮したから、大丈夫だと言った」
私は菅原の本心を聞いたら今までのつらい記憶とかが全部飛んで行った。こいつのために、こいつがいじめられて辛かった分まで、背負って生きようと思った。
帰り道、駅に向かって歩く途中で菅原が私に声をかけてきた。
「なあ、俺の分まで頑張ってくれ」
それは、負けてしまったスポーツ選手のような重い音がした。
その言葉を私は力いっぱいで跳ね返した。
「頑張るに決まってるじゃん。世界を救う魔女なんだから」
私は頑張らないといけない。支えてもらった恩返しとして。
菅原が転校したのはそれから三日後のことだった。
今日も私はいつものようにいじめられるのだろう。私はそんなことを毎日のように思う。朝起きるとき、家を出るとき、教室に入るとき、机を見たとき。
だけど違う。今日は違う。菅原のいない教室で私は自分自身に誓う。
私はいじめてくる奴を見て言った。
「何書いてるの。止めてくれない」
彼女たちの手の動きが止まった。私の机には落書きが途中まで書かれていた。
リーダー格の生徒がニヤニヤしながら言った。
「あんたみたいなやつに注意する権利無いんだけど。黙っててもらえる。唾が飛ぶんだわ」
私は変われた。菅原の家に行く時、私はどうせ何も変われないだろうと思った。だけど違った。彼は私を変えてくれた。
だから今なら言える。
「なに言っているのか分からない。私の方が格上だから、権利が無いのはあなたの方じゃないの」
言ってやった。
すると、ニヤニヤした顔がやっと止まった。
「あんたが私より格上? 何様のつもりなの?」
菅原は私に教えてくれた。私たちは変で、おかしくて、嫌われ者だけど、それは決して欠点じゃないのだと。それは強さの証で、特別な能力で、誰も持っていない個性なのだと。
きっといつか普通の友達なんて、できない。
きっといつか普通にどこかに行って遊ぶことなんて、できない。
だけど、だからこそ私たちは出会えた。普通じゃない友達と普通じゃないおしゃべりができた。それはきっと防具なんかじゃない、本当の友達なんだ。
私より私を分かっていた彼は私の本当の姿を知っていた。その姿に期待をしてくれた。だからこそ、私は応えなきゃいけない。
菅原が言っていたように私も言った。胸を張って誇らしげに、言ってやった。
「私は――魔女だよ」
スクールカースト 深谷根木 @nisioisn0404
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